街の遊撃手

昭和の日の早朝。

己の体は、とある呉の野球場にありました。

1年に1度、開催される「元」高校球児の夢の祭典。

「マスターズ甲子園」。

各世代のOBをバランス良く配置してはチームを「再」結成し。

勿論、県大会で頂点を極めれば、甲子園に出場できる本大会。

※幾つモノの事細かな大会規定があります

不思議なモノで、高校時代の部活動の先輩方と。

20数年の時を経ては、お会いしても、関係性は当時の「まま」。

常に敬語で、全く頭が上がりません(笑)

また、こうした「不変」で申せば。

高校時代の1年生大会で対戦して、敗れ。

3年生、最後の夏の大会で、9回裏2アウトまでリードしながら…

そこから追いつかれ、逆転されて、敗れ。

これまた、本日の対戦相手となったのも?

全て同じ、「西条農業高校」。

ユニフォームの胸に刻まれる「SAINO」の文字を目にしたらば。

時空を超えて、様々な感情がフラッシュバックして来る好敵手であり。

この度の試合では、またもや…

敗れる結果に♪

それはそれで、「エンジョイ・スポーツ!」で構わないのですが。

何が衝撃か?って。

私はショート(遊撃手)を守りながら。

「あの頃、追いついたボールに(幾度も)追いつけない」現実。

「下半身が、ついて行かない」ってヤツで。

どうでもイイ話になって参りましたけど(笑)

コレは本当にショック。

ココで。

「まあ歳だからさ♪」と認めてしまうと、正直な話…

「一気に老化が進んでしまう」気がして。

ココが、分岐点。

試合後にトイレに足を運んだらば、そこでも掲示にて「ダメ押し」され。

場所が場所だけに、「なにクソ!」を痛感。

「加齢と上手に付き合うでなし、抗ってやるぞ!」

「マスターズとは熟達者なるモノであり!」

「まずは俊敏性の復活だ!」

と、熱き血潮が再び目覚めて来た1日でもありました。

真剣に。

投稿日 : 2015年4月29日
 街の遊撃手

 宜候

刻々と「4年」の任期を終える日が近づいて参りましたが。

新たな任期がスタートするのは、5月2日から。

ちなみに、5月に入れば中旬に、臨時の暫定的な議会が開催され。

議会内の「議長」と「副議長」のポストを決めなければなりません。

そして、新たな議会体制の下に、6月の議会へ突入して行く事に。

そこで、今現在も議会内を見渡してみたらば?

「私が議長に成りたがりぃ」が、そこかしこにいらっしゃる。

あくまで、私見ながら。

執行機関(行政)の「長」を、自らで率先して「やりたがる」のは…

ある程度、理解し得るのですが。

代議制(議会)の「長」(議長)たるや、「自らで成りたがる人物」よりも。

やはり、周囲から慕われ、請われ、望まれて、その結果。

「周囲から推される人物」に、就いて頂きたいモノ。

構図で申せば。

市民の方々より、ご負託を得た議員が、「更に負託する」感じ。

しかし、「ココを誰が握るか?」によって、議会運営は?

人事案件に行政対応と、ある種の「カラー」が決まりますので。

凪(なぎ)なる4月末の擬海(議会)は、徐々に時化(しけ)て行くかと。

唐突ながら、現在。

アメリカはNYにて、5年に1度のNPT会議が開かれており。

核兵器の不拡散に、核の傘を如何に閉じての核廃絶。

言わずもがな「達成への道程」は、簡単にあらず。

こうした核問題をはじめ。

広島市議会では、幾つモノ諸課題に、達成すべき壮大なる目標を抱えながら。

「我々の世代(存命の間)に成し遂げられないであろう事」は?

結果的に、幾つも生じる可能性は多分にある。

ゆえ、「世代を超えて」成し遂げて行く為にも。

議会として、会派云々を抜きにしては。

公益に資する「議員の後進」も育てなければなりませんし。

※不肖なる私も、まだまだ発展の途上にありますが

何より、議会内に「長老」と呼ばれる存在があるなれば。

人事や議案の議決に際しても。

「向こうから一人抜いて、コチラへ一人足して、ヘッヘッヘ♪」

なんて、域でナシ。かつ、利己でナシ。

そろそろ大局的な見地から。

それこそ、利他の幸福を希求する「達観」の域で。

議会全体を新たな広島の未来へと結ぶべく…

言うまいか。

宜候(ようそろ)とは、船の操舵で、右にも左にも舵を切らず。

「真っ直ぐ進め」の指令、かけ声、はやし声。

いつまでもグルグル内海を回っている時代ではないのですから。

投稿日 : 2015年4月27日
 宜候

 ライフをライブでアライブ♪

まずは昨日の話となりますけども。

午前中に地域での活動を済ませ、午後からは議会棟へ。

そこで、複数のペーパーワークを終えた後、夜からは。

オリエンタルホテル1階の「New York Cafe」にて行なわれた…

「Jazz Live」の司会へ。

ちなみに、以前も書かせて頂いた通り、私は初回(4年前)選挙の際に。

「全ての喋りの仕事」を辞めて立候補いたしましたので。

現在も、議員活動を「そっちのけ」で、頻繁に喋りの仕事をするでなし。

月に数回、あるか?ないか?のレベル。

そんな弁解はヨシとして、司会云々を抜きにすれば、久々のライブ♪

やっぱり…

「生演奏」は、イイ!

しかも、如何なる音楽ジャンルのライブであっても。

毎度の事ながら、演奏されるアーティストに憧れてしまいます。

天賦の才に胡坐(あぐら)をかくでなし、また相応の苦労と苦悩が伴えど…

「とにかく音楽を愛してやまないのだろうな♪」

「送り手も受け手も双方が音を楽しむ構図たるや羨ましい♪」と。

ドラマーに、あんな素敵な笑顔で演奏されちゃあさ(笑)

羨望(せんぼう)です。こちらの眼差したるや、羨望。

そして翌日の土曜日は、午前中にスーツでアチラやコチラへ出向き。

午後からは着替えて、一路、久々のホームゲームへ。

自らも「絶対に負けられない戦いが、そこにあったり」致しましたので♪

ご無沙汰していた別世界の観客席ではありますけども。

ポカポカ陽気の下、記念すべき、クラブの「1000ゴール」にも立ち会え。

若手が台頭しては、中堅、ベテランと融合しての見事な勝利。

やっぱり…

「生観戦」は、イイ!

しかしながら、「受け手」側から申せば、何が「惜しい」って。

試合とは、90分間が終わったタイムアップを機に…

カットアウトで「バサッ!」と瞬間的に強制終了させられるモノではなく。

まだまだ“勝利の余韻”を楽しみたければ、人々とも共有したいのが「本音」。

と、表現するよりは、大袈裟ながらも、人類がココまで歩みを遂げて来た…

それが「本能」でしょう。

でもさ。周辺にさ。

コレ以上は言わず、自らも引き続き、行動で示して行くしかございません。

「ライブ」は「LIVE」で、まさに誰もが今を「生きている」証。

有限なる時間内に、1回でも多く楽しみ、1回でも多く感動したいモノ。

1人でも多くの人々と共に♪

投稿日 : 2015年4月25日
 ライフをライブでアライブ♪

 蹲踞(そんきょ)と選挙

各界、各層から構成される仲間とは、かくも有り難く。

それは、様々なバックグラウンドと“現場”を持つ人々で構成され。

お陰様で「刺激」を頂戴する事も多々。

そんな同志が定例にて催す会合に昨晩も出席し…

ある話に及びました。

何かと申せば、同日の日経新聞(4月22日)朝刊の記事。

「日本で最も難しい試験」について。

なんでも“それ”は、「剣道八段の審査」と言われているそうで。

なにしろ合格率は「1%」。

「七段取得後、10年以上も修行を積み」

「かつ46歳以上の猛者が集まっては、それぞれ4回も立ち会う」。

技量は当然、風格や品位まで問われ。

10年以上も挑み続け、70歳代で合格する人も。

合格率は1%なので、パスするのは稀であり。

「結果が気にならなくなった頃に合格するモノ」でもあるとか。

ふむ。私の様な門外漢でも、率直に…

剣の道に秀でたとて、若くては成らず。

一層、剣の道に秀でたとしても、がさつで野放図なれば不適合。

うむ。深く、険しい。と、感じてしまいます。

更に、前記の紙面では、「ところが…」と続き。

正念場を迎えたはずの統一地方選挙・後半戦では?

「まるっきり違った戦いが繰り広げられている」と。

続ければ。

「19日に告示された市長選では27市で立候補者が1人しかおらず」

「既に無投票で当選が決まり」

「合格率100%という驚きの審査は全体の3割を占める」と。

「前半戦で開票が終わった道府県議選でも」

「無投票は総定数の2割に上り、当選した理由は?」

「立候補したから」と言うわけである。

末尾に。

「地方の消滅さえ言われる時代に、技量も人格も分からないまま」

「首長の段位を授ける事になった」と。

いわゆる「無審査」への憂いが書き綴られ。

今一度、ココに。

剣の道を極めんとされる有段者から伺った話が思い出されます。

「打って、勝つ」でなく、「勝って、打つ」。

現職へ対して「対抗馬」が現れないのは?

「対抗馬を立てなくさせる、現職の力量(強さ)にも起因する」

こうした一面も「ある」と言えば、あるわけで。

選挙とは、「告示日」には、既に大よその結果が決まっている。

と、申しても過言ではありません。

(告示後の数日間に名前を連呼しても簡単に当選へは繋がり難く)

統一地方選で申せば、告示日から次の告示日までの4年間。

この「平生の取り組み」が、現職に新人を問わず、結実するモノであり。

初段から二段への私ごときは、引き続き、思い上がるでもなく。

一日一日を大事に、より良い未来へ向けて。

精進して参る所存です。

礼。

投稿日 : 2015年4月23日
 蹲踞(そんきょ)と選挙

 耳を傾ける

例えば、政治の世界では。

極左に右傾化、保守本流に革新系、等々。

こうしたワードが飛び交いますけども、良いのか、悪いのか。

私は「より良い未来」を切望する一人でありながら。

特定の思想を持ち合わせたり、政党色に基づく活動は行なっておりません。

この辺りを踏まえながら、今一度、「かき船」の移転問題へ。

現在、着々と「移転」へ向けて、工事が進められており。

改めて、私も現況を把握すべく、現地(平和公園)を訪れては。

ボランティア・ガイドさんや外国人観光客にインタビューして参りました。

誰に何を課せられるでなし、なぜ聞き取り調査を?

それは、後ほど触れると致しまして。

まずもって、同問題に対しては、今日までも賛否が渦巻いている状況。

「広島の伝統的な食文化の継承を」

「そもそも移転に反対する意味が分からない」との意見や。

「鎮魂の場所であり、その精神性が脅かされる」

「世界文化遺産としての景観を損なってしまう」との意見も。

そして、私の場合は「反対」の姿勢を明確にしており。

「ファスト」(直観)と「スロー」(熟慮)との判断基準があるとすれば?

私の“現時点”での判断基準は、果てしなく前者に意向するモノで。

あの時、あの場所には、一瞬で命を奪われた方々や。

熱さに暑さと、喉の渇きに耐え切れず、川へ飛び込み絶命された方々。

不穏当な表現ながら、その無念の自覚すら感じ得なかった亡骸で…

川面が「埋め尽くされた」場所であり。

「ならば各所で人々が亡くなられているのだから」

「どこも手つかずでは街の再建なんてないぞ!」

との反論もあるかと存じます。

また、移転の反対を克明に示される被爆者の方々に。

親族や友人を原爆で失いながら、移転に賛成の方もいらっしゃる。

でも、1つだけ確かに言える事は…

「亡くなられた方々は、今ここに賛否を発せられません」。

そこで、繰り返しとなれ、私が「反対」する理由は?

「世界文化遺産が云々」「この川に酒席を設けるな」等。

どこか世俗的な論調ではなく。

やはり、先人の魂への「畏敬の念」に尽きる。

無論、「自らが正しい判断を下している」なんて不遜であり。

だからこそ、改めて「諾否」(だくひ)の答さがし」に、現地へ向かった次第。

結果、「統計が得られる」ほどの人数にインタビューしたわけでも。

単純に「賛否」を求めたわけでもなく、ニュートラルな見地から。

ランダムに現地ガイドさんや外国人にお話を伺ってみたのですが。

返答に感想は、ある一方へ「圧倒的」に集まりました。

かと申しまして、それで私が自信を深めたのではなく。

言うなれば、受け売りで恐縮なれ。

「人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って」

「それだけ未開であり、野蛮である」

(思想家 オルテガ・イ・ガセット)

うむ。

重ねて、「議会機能」を果たす、一人の議員としても。

行政を無思考に追認するでも、反発するでもなし。

何でしょう。このダッチロールと申しましょうか。

しなやかに「ゆらゆら」しながら目的地へ向かう部分は、非常に大事かと。

「満場一致」へのリスクヘッジが…

二元代表(多様)制の「議会が担う役割」ですので。

いずれにせよ、ある方面から。

「あと半年は検討してみては如何でしょうか?」と言われ。

「完成した“かき船”をドックに維持する費用がかさむ」と…

拙速に進める話にあらず。

今日も平和公園では、見ず知らずの者同士で写真を取り合ったり。

訪れた外国人が、地元ガイドと歴史背景や街並みを語り合ったりと。

「人と人を結びつける場」にありました。

投稿日 : 2015年4月22日
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