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石橋りゅうじ 議会棟控室

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訃報

市議会の大先輩となります

前市議会議員の木島丘(たかし)様におかれましては

本日、3月18日の午前8時20分にご逝去されました。

享年90歳。

私にせよ、ご訃報にあたり。

言葉を失ったのはいうまでもありません。

思い返せば、私が初当選を果たした13年前より。

所属した会派の先輩に木島先生がいらっしゃいまして。

同氏が引退をされた丁度1年前まで、それは大変お世話になった次第です。

常に地元に寄り添い。

また、実直で非常に真面目な議員さんで。

我が、我が会派が、我が地元が、に留まらず。こだわらず。

目先の損得にも執着せず。

大局観を持っていらっしゃったな。

それこそ、政治とは、議員たるや。

事あるごとに離れたりくっ付いたりとの「離合集散」が常であり。

時に、色んな政党を渡り歩く議員もいれば。

時に、あちらの会派にこちらの会派と…

行ったり来たりする議員も少なくはなく。

私にせよ、今日に至るまで。

複数の会派から「ウチへ来いよ」と幾度ものお誘いを受けたもの。

しかし、私が一貫して会派を「動かなかった」のは。

右も左も分からない1年生の私へ、当時から。

政治を、議員活動を、自らの経験を、教え続けてくださった…

木島先生のような人物が会派内にいらっしゃったからこそ。

「受けたご恩を裏切っては、他所へ移籍などできない」と。

都度、踏みとどまっていた背景、事実がありました。

重ねて、この世代の議員さんは「後世を育てる」にあたっても…

非常に熱心で注力される方々が多いのも特徴で。

個々人(各議員)が培われた知見の「継続性」が保たれ。

言い換えれば、議員が代替わりしたからといって…

極端に議会全体の機能が低下、劣化するなんてことはなく。

うん。

偉大であり、議長まで務められては。

市政発展に際しての多大なる功労者。

あの温かい眼差し。

柔らかい笑い声。

迎合しない、その矜持。

正義を貫かれる真っ直ぐな姿勢、どなたからも愛されたお人柄。

会派の控室で、机を挟んでは一対一で1時間以上も語り合ったり…

なんて機会、思い出は数え切れません。

かくも懐かしいな。

まるで昨日のことのようです。

私も、自らが号泣するのが分かっていたので。

出席した夕刻時の通夜でも、なかなか故人に近づけませんでした。

その昔、安佐町の町議会議員を含めれば、ご勇退まで。

11期ほど務められたのかな?

勿論。

私の胸に深く刻まれたご恩は一生、忘れません。

どうか。

どうか、ゆっくりと休まれてくださいね。

衷心より木島先生のご冥福をお祈り申し上げ。

合掌

投稿日 : 2024年3月18日
訃報

be同志

15日の金曜日は?

予算特別委員会の日程でいうところの「総括質疑」を迎え。

午前10時に開会した後、各会派から述べ15人の委員(議員)が…

入れ替わり立ち替わり、ギッシリ&ミッチリと質疑を行われまして。

気が付けば、閉会時。
 
時計の針は「20時」を指していました。

その時間まで繰り広げられた各委員の質疑を顧みれば?

正直「総括に及ぶ質疑」との括り(くくり)には確実に該当しないであろう…

「局所限定の質疑」が少なくはなく?

我が!我が!の『我欲』をコントロールできない面々に憤っては。

色んな意味で心身ともにヘトヘト。
 
そこで、唐突に…

「ワーク・ライフ・バランス」を持ち出すつもりはないのすが。
 
やはり。

緊張があれば、緩和があり。

オフがあるからこそ、オンがある。
 
委員会終了後は?

最短距離で帰宅しては“泥のように眠ってしまいたかった”ところなれ。
 
大事な約束、会合が控えておりましたので、一路。
 
地元出身で、サポーターからも愛され続けていたサンフレ選手が…
 
この度、引退される運びとなりまして…
 
そこで、気心の知れた仲間で集う…

「多くの感動を有り難う&誠にお疲れ様でした会」へ向かいました。

ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
 
あのアウェイでの大宮戦。
 
GKの彼は、相手選手と激しく衝突し。
 
脳震盪を起こしては、そのままピッチに倒れ込んでしまう。

ピクリとも動かない。
 
試合が中断しては、静寂に包まれるスタジアム。
 
しばし時が経過した後、ピッチ上には救急車が駆けつけ、搬送へ。
 
そこで、大宮サポーターから送られる、大合唱の「増田」コール。

否。エール(励ます大声)。
 
あの感動、心温まるシーンは今なお。
 
「サポーターの間で語り継がれている」ところですが。
 
同選手は、その後もプレイ中に再度の激突を経験したり。

また、他クラブへ完全移籍したりの…

苦労人だけあって。
 
有り体の表現となり恐縮ですけども。
 
常に謙虚で柔和な、素晴らしい人格者。

この度の現役引退に際しましては。

多くの感動を誠に、誠に有り難うございました。
 
そして、何よりもお疲れ様でした。

ついては、私どもの会合の場へ…

偶然にも居合わせた外国人観光客までジョイン(参加)しては。
 
お蔭様をもって、最高の時間、空間を皆で共有、満喫した次第です。

加えて。

増田(元)選手のコレからの「セカンド・ライフ」なんて申しません。

現役中も引退後も、増田卓也の一つの地続きなる人生。

更なる飛躍、ご活躍を何卒♪

瞬く間に夜は更けていき、明けては訪れたる翌、16日の土曜日。

朝から議会棟へ向かうと?

そこには複数人の…

ベテラン議員の姿がありました。

私は相変わらずのノンストップなれ。

それは無論、私だけにあらず。

引き続き、共に。

より良き社会の創出、形成へ。

\(=´∀`)人(´∀`=)/

投稿日 : 2024年3月16日
be同志

追記

はじめに。

東日本大震災から13年の一昨日、3月11日の当ブログにて。

本来であれば「もう少し」ボリュームある内容を書き綴りたかったのですが。

いかんせん、時間に追われた“朝の更新”でドタバタしていたもので。

“発したい”その全てを文面に盛り込むことが叶いませんでした。

ゆえ。

今回のブログは、一昨日の「追記」となります。

何卒、ご了承くださいまし。

では。

3年前の3月11日、読売新聞一面のコラム「編集手帳」より。


おとといの夕食は?と聞かれ、即答できる人はそうはいまい。

人間は出来事の大半を1日のうちに忘れてしまうという。

平穏な日々の何げないことほど、きれいに忘れるものだろう◇

宮城県亘理町の高橋ひろみさん(56)は携帯電話を長女のひな乃ちゃんに渡し、遊ばせていたことを長く忘れていた。

約10年を経て思いだし探して見つけだすと、5歳の娘が打ったたどたどしいメッセージがメール画面にいくつも残っていた◇

「ままだいすき」に始まり、「おはなばたけであそぼうね」といったお誘い。

「あさごはんわめだまやきでおねがいします」というお願いもあった◇

ひな乃ちゃんは幼稚園の送迎バスが津波にのまれ園児7人とともに亡くなった。

<口を出てまだあたたかきことばかな>(山口優夢)。

どれほど遠く離れた場所にいようと、電源が入っていようとなかろうと、母と娘を温かくつなぐ携帯電話が忘却のなかに埋まっていた◇

「天国で会ったときに『楽しかったよ』と言えるよう精いっぱい生きていく」とひろみさんは話す。

そのことばは返信ボタンを押さずとも、ひな乃ちゃんに届いているだろう。

2021. 3.11


私もこちらのコラムをご紹介するのは…

実をいうと、2回目になります。

なぜ?

そこを細かく説明する、なんて無粋な真似はいたしません。

受け取り方は、人それぞれ。

いずれにせよ。

大事に。

大切にしたいかな。

その時々と。

時々の人々。

(写真は「熟睡する我が家の愛犬」で本文とは関係ありません)

投稿日 : 2024年3月13日
追記

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