「民意の反映されぬ、このままの広島市ではいけない!」
「全ての退路を断って、立ち上がろう!」
これが、選挙に初挑戦した時の決意であり覚悟でした。
友人のみで結成された素人集団とわずかな資金で選挙戦に挑み。
そこへ、多くの方々が清き一票を私へ投じてくださり。
結果、「石橋さんが立候補して安佐南区の投票率が上がった」と。
役所の担当者から選挙の分析結果を告げていただけるほどに。
皆さまのお陰をもって、私は当選を果たすことができました。
また、議会では、良きを通すにも、悪きを止めるにも「数」。
私は、如何なる時も「過半数」を抑えられるよう、意図的に。
当時の最大会派(自民党・保守クラブ)に藉を置いたのですが。
国会と違い、地方議会の会派とは、いわゆる「政策集団」であり。
必ずしや「政党」の枠に縛られるものではございません。
ゆえに私は、常にしがらみの無き活動ができるよう。
当時から今日までも、政党には属さない無所属を貫いています。
加えて、特定の業界、団体、地域からの支援や推薦も無ければ。
自らの後援会(会員)も存在いたしません。
こうした異例づくめとなります「独自」の活動スタイルを許され。
不肖、私も過去12年間の議員生活を通じ。
幾多の行政課題を解決しては、数多の政策を実現してきましたが。
それは、私を信じ、私を議会へと「送り届けて」くださった。
お一人おひとり皆さまの確かな「お力添えがあった」に他ならず。
おこがましくも「事実」を一つ、申し加えるのであれば。
それは、私の活動を通じて「皆さまが成し遂げられた」実績です。
しかし。
現在の広島市と日本国の行く手には。
大きく険しい問題が山積しています。
必ずや、より良い現世と未来を子どもや孫の世代へ届けるために。
熱く。温かく。
ここまでの12年、ほぼ年中無休で全身全霊を尽くして参りましたが。
この歩み、まだまだ絶対に止められません。
引き続き、皆さまとご一緒に、前へ。
ここに、心からの感謝とともに。