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日記|DIARY

2010年12月30日  『共に育つ』


本日、17年間にわたり“三矢寮”にて寮長さん、寮母さんを務められた“稲田ご夫妻”を送る会が市内のホテルで催されました。


私は構想段階から携わらせて頂き、本日は司会進行を務めたのですが、何が驚いたって…


サンフレ・ユースOBと関係者の出席率!


そこで、話を展開する前に「ユース」をご存知でない方々へ今一度 “補足”を♪


「ユース」とはトップ(プロ)チームのアカデミー(下部組織)であり、16才から18歳の高校生が所属するサッカークラブ。


サンフレッチェ・ユースは“全寮制”で、みんな一緒に高校の3年間を安芸高田市は吉田町で過ごします。


その寮において、全国から集まるユース生(高校生)の親代わりとなり、正に“寝食を共にする”のが冒頭の寮長さんであり寮母さん。


Jリーグが誕生し、ユースの育成システムが確立され、寮が誕生して今日を迎えるまでの17年間。


“元気の塊”の様なヤンチャ坊主の集団を、厳しくも温かく教育、見守って来られました。


他人様の子供さんを、しかも人生の中で人格の形成がなされる最も大事な時期を「3年間」にもわたって“預かる”のです。


そこに交錯する、見えない苦労、葛藤、そして喜びの数々を、改めて本日の出席者全員で共有したのですが…


陳腐な表現で申し訳ないながら、「感動」の一語。


これまでの17年間で、延べ150人以上のユース卒業生を輩出。


誰一人の例外なく、寮長さんより相当なる厳しい生活指導を受けて来た。


でも、そんな3年間を経て“巣立って行った子供達”が、数年、十数年が経過した“今”でも。


「寮長・寮母さんへ感謝の気持ちを伝えるぞ!」となれば。


日本代表合宿へ参加中の森脇、槙野、陽介君や天皇杯で勝ち残っている佐藤のアキ君などの欠席組を除き。(でも彼らからビデオ・レターや花束が届きました)


「8割、9割にも上らん」と言う程、ほとんどの卒業生が“全国から集う”のです!


これは寮長さん寮母さんの“人徳”以外、何モノでもありません。


上記を鑑みても、兎角、「日本サッカー最高峰」の場所へ、高確率で選手を送り込んでいる事にスポットが当たりがちですが。


サッカーの枠を超え、「お世話になった恩人をねぎらい礼を述べる」となった際、何をおいても駆けつける人々。


また、そんな人材を育て上げられた寮長さんや寮母さん、森山監督などの関係者を含めた、これまた人材に。


全てを醸成する「日本一の地域」が素晴らしい!


しかも、こう言った素敵な面々が集う「送る会」ですから、単に“感動”へ帰結するでなく。


笑いあり涙ありの「ザッツ!体育会系!」で、健康的な会合となりました♪


この度、槙野君がドイツへ渡る事となりましたが、それは本人の絶えまぬ努力と。


多感な子供達がドロップ・アウトしないよう、環境整備をしては支えて来た人々、地域の歴史があったからこそ。


サンフレッチェ広島と言うトップ・チームを強化するべく、全国に先駆けて「ユースをつくるぞ!」「その為には寮をつくるぞ!」と尽力された…


「ザ・レジェンド」とも呼べる今西和男さんも会合へ出席されてはスピーチされましたが、当初からの“活動スタンス”に微塵のブレもありません。


我々は、「サッカーを通じて、人づくりをするんだ」と。


さてと。


気づけば既に日付は替わり、いつの間にか大晦日に突入!


しかも、時刻は朝の5時56分。


本日は瑞穂ハイランドでのカウントダウン・イベントが控えております!


「ガンガンに場を盛り上げるぜ!」


の前に。


先ずは寝るぜ!


どさくさに紛れて、良いお年を!

2010年12月29日  カウント・ダウン


さすが師走!


走る走るで、連日、走り回っております!


本年も沢山方々にお世話になりましたが、そんな皆様へ対して、何よりの恩返しは…


私が日々を充実させては、己の持つ“わずか”ばかりのスキルを社会へ還元する事であり。


明日も、そして明後日の大晦日も各方面で喋って参ります!


みんなで荒れる天候の中、一緒に年越すべ!(笑)


さあて、取り組まなければならない事は山積しており。


まだまだ突っ走って参ります!


ここまでテンポ良く文面を書き綴りながら…


最後に一太刀を浴びせるには気が引けますけども。


頑張っているゲレンデは例外としても。


この広島って、大晦日も、本当に何も無い(笑)


各都市では、それは色んな事をやってます。


二十四節気を堪能してる♪


いい加減、変えましょう!


Our home town Hiroshima!

2010年12月28日  絶対に改革が必要な街! 後編


「後編」から目を通されている方は、まず「前編」からご覧下さい。


さてさて。


「いつも通りの市政」を前に、つい怒りを露(あらわ)にしてしまいましたが(笑)


この怒りには“引き金となるサイド・ストーリー”がありまして…


しかも、根本部分で怒りの矛先は「市政」ではありません。


「一部の市民」です。


つい最近の話ですが、来春には統一選挙が控えておりまして…


数々の政策を掲げる候補者がいらっしゃる中、一例を挙げれば「スポーツ環境の改善」を訴えて下さっている候補者も存在する。


そこで、「こう言った候補者がいらっしゃり、この様な政策を掲げてらっしゃるのです♪」と話をしようとすれば、その頭から。


「私は別の候補者に決めてるので結構です!」との態度を示す人物がいらっしゃる。


えぇーーーーーーっ?!


長い長い政治の歴史を振り返れば。


広島と言わず、日本と言わず、世界を見回しても、色んな政党があれば「組織票」だって存在する。


そこには利害関係もあるでしょう。


でもさ。


新たなる「世直し人」の政策にすら耳を傾けず、付和雷同にステレオタイプな投票行動を繰り返して来た結果が。


今の混迷を極める“政治界”であったり閉塞感の漂う“現状”を生み出してるわけで。


とどのつまり、「話すら聞かない人」など、自らで自らのチャンスを奪い、自らで自らの首を絞めている。


そろそろ気づいて頂ければ幸いです。


当ブログ、「前編」の冒頭記事、最終部分に…(ややこしいでしょ♪笑)


「広島西飛行場については、広島市議会でも賛否が分かれ、年明けの議会では激しい論戦が展開される見通し」


とありますが、いつもエキジビションの“論戦風”な事が行なわれては、結局、市長派の会派は如何なる場合も市長に付くのです。


「市民の生活が第一」の公僕に就く人が“絶対に”おかしな話なのですが、何度も申す通り。


そんな輩を、耳も貸さない人々が組織立っては何期にもわたって当選させているのすから。


変わるモノも変わりません!


税金が高い!住民サービスが悪い!環境が!生活が!etc!


激しく揺れ動く感情の震源地を辿れば、自分が蒔いた粗悪なタネが原因なんだって。


朝早くから、夜遅くまで。


病める時も、健やかなる時も、眠い時も、疲労が抜けない時も。


時にストレスを抱え、時に謝罪もし、時に理不尽な叱責にあいながら。


頑張って、頑張って働いて。


その対価として得たお給料から、貴方は年間でいくらの税金を納めていますか?


総収入からの割合で言えば、そこそこ納めているモノです。


そんな大事な「お金」も、世の為、人の為、自らの為に有効活用されるからこそ。


私共は税金を納めている。


が、しかし!


今一度、「前編」の報道記事をご覧下さい。


これは氷山の一角であれ、納めた札束は業火の中に、ただくべられては無駄に灰と化して行くだけ。


それも良いでしょう。


全ては己が蒔いたタネであり、全ては己が未熟だっただけ。


最後に、写真は新宿副都心。


凝り固まった連中の少ない。


大都会です。

2010年12月27日  絶対に改革が必要な街! 前編


相変わらずの、次のニュース。


『西飛行場存続方針正式表明・東京便復活の道探る』


「広島市の秋葉市長は今日、湯崎知事に市が単独で飛行場を運営していくとの方針を正式に伝えた」


「秋葉市長は、市にとって広島西飛行場の存在は利便性はもとより経済の活性化や安心安全にとって重要」


「市営化するということで努力したらどうかと、いう結論になったと述べ、広島西飛行場を市営化する方針と、それに対する県の協力を正式に要請」


「県と市は、これまで年間で約5億円の赤字を折半、共同で飛行場を運営していたが、今後、市は単独で、東京便の復活の道を探ることになる」


「秋葉市長が市営化を方針決定した広島西飛行場は、課題が山積」


「黒字化の前提とされる羽田便は1日3便から4便の発着枠を航空会社と連携して確保できるかどうか?」


「年間およそ3億円の管理運営費に加え、高速道路建設にともなう滑走路の再整備に40億円」


「ターミナルの改修に50億円と、環境整備に少なくともおよそ90億円を投じる必要がある」


「広島西飛行場の存続・市営化については、広島市議会でも賛否が分かれていて、年明けの議会では激しい論戦が展開される見通し」


さて。


今年の年頭に県と市のトップ会談が行なわれた際、市長が「結論を年末までに出したい」との姿勢を示し閉会。


そして、この度「市が単独で飛行場の運営」との結論を導き出すまでも、負債は膨らみ続けていた訳です。


過去何年間にもわたり、明確な打開策すら講じる事なく「莫大なる負債」を生み出しては血税で埋め合わせて来たにもかかわらず。


確かに、ビジネス、観光、災害等々の複数要素を加味しても、また効率の良いコンパクト・シティを目指す上でも街中の空港は貴重。


“市長が”と言うよりも“経済界の一部”が「西飛行場の存続を望んでいる」との方向性も理解できます。


しかし、この時代背景にあり、潤沢な資金がある都市でなく、限られた財布で“やりくり”して行かなければならない中で。


結局は、全てを先延ばしにしているだけで、何の解決や糸口すら見い出せてないのです!


ハッキリ言えば、出来もしない五輪などを謳っては、職員(人材)の貴重なる時間と、そこへ2億円弱の税金を既に注ぎ込んでいるならば。


数年も前から、中長期ビジョンに基づいて「西飛行場の活用法」を徹底的に模索するなり、足繁く東京へ通っては「広島」を営業。


広島−羽田間・定期便の道筋を多少なりとも実現性の高いモノにするなど、「やる気」があれば、今日までに出来る事は無数にあったはず。


今の市政など、熱量が向かない案件には本当に手を付けませんから。


「西飛行場に関しても、これまで検討して来た!」との反論もあるのでしょうが、これだけ無駄に時間が流れ、ならば何が変わった?


これまで、借金を県と市で“割り勘”していたモノが、市のオゴリになっただけ。


結果が出ていないのですから、「下手の考え休むに似たり」で無意味でしょう。


行く行くは、滑走路の北側に道路がクロスして走るので、滑走路の距離(長さ)が足らなくなる。


「ならば、滑走路を盛り上げて、いわゆる、緩やかな“ジャンプ台”の様にして距離を稼ぐ工事をするとか?」等と口にしては。


航空評論家から嘲笑されておりました。


ありえますか?(笑)


やべぇ。


プチンっ!とテッペンに来たので、次号に続きます!

2010年12月25日  What time is it? It's party time!


メリークリスマス♪


サンフレ・サポーターが催すクリスマス&忘年会に…


私ごときが恐縮の極みながらも…


サプライズ・ゲストとしてお招き頂き…


かつ、司会を務めて参りました!


それは盛り上がったな(笑)


ウン十人を対象に抽選会が行なわれ、次々とサンフレ関連グッズが手渡され。


全ての抽選が終了した時点で、以前、当ブログでもご紹介した…


サンフレ選手が実際に使用していた日用品を“Xmasプレゼント”として預かっていたので。


そこを目指しての大ジャンケン大会!


火蓋を切るぜ!最初はグー!


当然、過熱しないわけもなく。


会場は終始、熱気に包まれました♪


私は常々、自らを変に卑下するでなく謙遜するでなく。


己を「発展途上の若輩者」と痛切しています。


でも、20年間もマイクを握っているのですから。


「ここまでくらいは俺も出来るぜ!」との過信ではない自負はある。


以前、サッカーの日本代表戦でスタジアムDJを担当した際。


東京の超大手代理店の担当者から。


「ライブでここまで5万人を盛り上げるのが上手な人は、ちょっと居ない」とお褒めの言葉を頂戴した時は。


「自らが学んでは培って来た事が間違えていなかった」と素直に嬉しかったもの♪


聖夜なのでキーボードを叩く指も弾み。


普段では書き込まない、ちょっと「ムズがゆい」ノロケ話をアップして恐縮です(笑)


そんなこんなの私を。


クリスマスに、サプライズ・サンタとして企画してはオファーして下さったサンフレ・サポーターが素晴らしい!


ちょっとした平和賞を贈りたいくらいです♪


さてさて。


暦で言えば、次なるイベント日は「大晦日」。


私は、ある場所で年越しカウント・ダウンのMCを務めるかも?しれません。


そこでは、新年に突入後、豪華賞品の当たる抽選会なども?


流動的なので、決定したらば追ってご案内致します。


みんなで。


騒ぐべ♪

2010年12月24日  聖夜に思ふ


皆様、如何お過ごしでしょうか?


Xmasイヴです♪


人々の需要はなくとも、供給はして行く所存であり、私のイヴはと申せば…


現場へ行って、ナレーションを読んで、各方面へ回り、帰宅後に小雪のチラつく夕闇の中でジョギングして。


かと言い、外より家の方が業務は山積しており。


娘の部屋に輝くツリーを横目に、パソコンの前に座って、はや数時間。


ちとブレイク・タイムです。


今年も残すところ“あと1週間”となりましたが、この師走も本当に沢山の方々とお会いしました。


何十、何百どころではありません。


そして、色んな方々がいらしゃいます。


素敵な人、力強い人、愉快な人、落ち着く人、優しい人、聡明な人、変わった人、etc。


そんな中にあり、この年齢にもなると、なかなか怒られたり注意される事はありません。


諭される事も、指導を受ける事も。


生来、「我が道を行く」性格でしたから、例えば高校生時代、野球部に所属した頃でも。


強豪校がゆえ、複数のコーチが来ては、色んなコーチングを私共、球児に対してする訳です。


でも、私は自らが納得しなければ、まず従う事はありませんでした。


また、主将だった事もあり、不明瞭な指導を受ければ、「監督はこう言うが、俺達は自主的にこうするぞ!」と平気で口にしていたっけ。


そこから、同学年の550人中、私1人の進路が定まらず、結局は、わずかな貯金を手に上京する事に。


そんな時も、周囲からは、人生の先輩方からは…


さんざん「無理」だの「無謀」だののアドバイスであったり心配して下さる声に呆れ返る態度を受けたもの。


しかし、私は上京した最初の1ヶ月は「500円」で生活しながら、当時、日本では最も大きな芸能プロダクションに所属して。


それこそ、若くしながらにして、そこそこの給与を得たりもしました。(当時の話ですよ♪笑)


溢れる向上心からなのか、続いて“海外”へ自らのビジョンが移行して、何のコネも保障も語学力も無いのに…


これまた、わずかな貯金を手に“海外での就職”を目指して渡米。


上京する時よりも、数倍の方々より、数十倍もの声を頂戴したものです。


あの高校卒業時と同様に、「無理」&「無謀」だって。


渡米して間もなくは、バナナばかり食べては空腹をしのいでいた時期もあったあった(笑)


しかしながら、結果的には向こうで就職して、これまた貴重なる経験を無数に積み、何よりも沢山の友達を得る事が出来ました。


最初から諦めていては、何も始まりません。


また、周囲から頂く“指南”も、「他人」と表記すれば失礼ながら、結局は各々が各々の道を歩んでは学び、導き出されたもの。


そこを否定しなければ当然ながら尊重も致しますが、私など今日までの人生が「ジャングル・クルーズ」でしたから(笑)


とどのつまり、他人(ひと)は何と言おうとも、己の人生は「前例」や「定石」にも当てはまりません。


何を言わんかと申せば。


この先の人生も、まだまだ「10人に伺えば11人から無理&無謀と言われる」であろう事に率先して挑戦するつもりですけども。


「前例」や「定石」を追随するつもりは毛頭ありません。


無論、私は“頑固”で誰の言葉にも耳を傾けないのか?となれば…


それは全くの逆で、私は己が若輩で不勉強であるゆえに、率先してアンテナを張り巡らしては「アドバイス」を欲する。


ただし、そこからの取捨選択は、自らのバランス感覚や見識、選択眼を信じているので、惑う事はなく。


失敗すれば、己が未熟だっただけで、誰のせいでもありません。


さてと。


「世の人は、我を何とも言はば言え」


「我が為すことは我のみぞ知る」


2011年が楽しみだな♪


It's time to take off!

2010年12月23日  BINGO!


ご近所さんにお誘いを頂き♪


今月より、地域にあるソフト・バレーチームの練習に参加させて頂いております。


仕事のスケジュールもあり、コンスタントに参加できないので申し訳ないながら。


汗をかく事が大好きな私にとって。


また、定期的に参加していたフット・サルチームの解散もあり。


久々の団体競技は…


Very good!


とても楽しい♪


今日は、そのバレーチームの忘年会で、子供達も含め約30名の方々と親交を深めて参りました。


そして、宴もたけなわの中、始まるは…


出席者が、各々で“賞品”を持ち寄っての…


ビンゴ・ゲーム大会!


司会進行は?


ご指名を頂戴したので務めさせて頂きました(笑)


ビンゴ・ゲームとなれば、司会にせよ参加にせよ。


過去に数億回は経験して参りましたが。


本日、抽選されては登場する数字が…


ことごとく我がカードにヒット!


結果、瞬く間にトリプル・リーチとなり…


会場で1番にBINGO!


私、司会でビンゴ・カードを持っている時は。


通常、リーチだろうがビンゴだろうが。


参加者の方々の賞品を奪ってはいけないので。


決して「ビンゴ!」(上がった)と申し出る事はなく。


本当に些細な気遣いで恐縮ですが(笑)


しかしながら、こんなに高確率で数字が当たるのは初めてならば。


どんな規模のビンゴであれ、1等賞は生まれて「初」。


あまりにも嬉しく、何も考えず条件反射で「ビンゴ!」と叫んでしまいました(笑)


こ、これがビンゴの醍醐味、真髄なのか?!


「だから、どうした?」ってな話であれ。


りゅうじ感激!


I had good time!

2010年12月20日   過ち



重機を使用して、市民球場の解体が本格的に始まりました。


この件に関しては、人により、個々で様々な意見をお持ちだと思われます。


「古いモノが存在する限り、新たな歴史は生まれない」「次のステップへ向けて解体すべき!」


「戦後、広島を支えた復興のシンボルは、後世へ絶対に残し、継承するべき」「何としても保存しよう!」


「そこまで感心がありません」「別に、どちらでも良いのでは?」等々。


私としては、何に固執するでなく、全ての意見に賛同は出来ずとも理解は示せます。


これまでも、本当に多様な感情が飛び交っておりましたので。


ただし。


広島と言う1つの町が、「望んでも2度と得られぬ貴重な財産を失った」のは動かぬ事実です。


世界の潮流を常に追随しないまでも、現代はスクラップ&ビルドの時代ではありません。


先人の残してくれたモノを、如何に後世へと“継承”して行くか。


その中には、当然ながらスクラップしなければならないモノも生じるわけで、何が何でも残せば良いモノでなく。


ただし。ただし。


被爆後、「今後75年は草木も生えない」と言われた場所に、市民の力、協力、熱意で…


そこに”野球場”を生み出しのです。


ただひたすら、祈りを捧げる鎮魂の空間でなく。


何の意味も方向性も持たない無機質な建築物でもなく。


そこへ、多数の死者を出し、憎しみも悲しみを渦を巻いていた荒廃した時代に。


“野球場”を生み出したのです。


この先人の、広島市民の発想、行動力たるや、素晴らしくありませんか?


無骨であれ、どこか温かく人間味の溢れる「功績」。


後世まで、世界に誇れる「生命力の足跡」です。


生きるんですよ。


苦しいからこそ、みんなが一丸となって前向きに生きたのです。


あの悲劇から、惨禍から何十年もの間、みんなで守り、紡いで来た。


沢山の感動や悦びを与えるも何も、いつも一緒に共有して来た。


破壊すれば、もう2度、2度と元には戻らぬ「宝物」を。


偶然にも今に生きている我々が、守る事すら放棄して、破壊しているのです。


ありえますか?


私など、今こうしてブログを書きながら、パソコンの前で既に涙目。


本当に悔しい。


これが、30年後、50年後にも継承されていれば。


この広島は、とてつもない評価を得ていた事でしょう。無論、評価の為に残すのではありませんけども。


計り知れない観光施設、平和の発信地になる可能性だって、十二分にあった。


全てオートマティックに「保存すべき」と訴えて来たわけでなく。


特別なんです。特別なんですよ。


世界の長い歴史から鑑みても。


広島市民球場って。


この度、広島は市民球場を失ったのではありません。


多大なる可能性と、平和への“理念”を失ったのです。


かくも愚かなるは人間なり。

2010年12月18日  曖昧なる数字と確かなる数字


先日、こんな記事が。


『五輪招致できたら…経済効果6931億円 広島市が試算』


「広島市は16日の市議会総務委員会で、2020年夏季五輪招致が実現した場合」


「市内での経済波及効果は6931億円との独自試算を発表した」


「市内の施設整備費、観光客らの宿泊代や交通費などを合わせた直接効果額が4365億円」


「そこから企業が新たに発注することなどで別の利益が生じ」


「増えた給料で従業員らが物を買うなど新たな需要を生むまでの額を2566億円と算出した」


さてと。


どんな案件に関しても、時に「経済効果○○円」などと謳われますが、この経済効果ほど“曖昧”な数字はありません。


あくまで、複数要素を半ば強引に数値化しての「試算」ですから。


私も以前、東京の有名大学教授と「スポーツが生み出す経済効果」について熱い議論を交わしましたが…


誰も「経済効果」の数値を信じては、そこに頼っている方など皆無。


無論、繰り返しとなれ経済効果は試算であり「目安」。


そこに徹底した正確性は求められなければ、否定するモノでない事も確かです♪


ちなみに、広島五輪の話となれば、時に比較対照として持ち出される「広島アジア大会」。


この時の、当初、経済波及効果は「821億円」でした。(この「821億円」の算出自体に信憑性を求めていない話を前提に)


そして大会後、新聞記事には、こうあります。


「観客数伸びず、予想を200億円下回る」と。


補足までに、幾つかの「アジア大会前・予想数値」と「大会後の結果」を並べれば…


広島に派生するだろうと予想していた「宿泊費・見込み」は、結果「3分の1」へ減少。


「観光客数」も、当初見込みに比べ、「5分の1」にとどまりました。


乱暴に「ホレ見たことか!」と言うつもりもなく、予想段階では誰もが希望的な観測も含めて大らかにソロバンを弾くもの。


紙面に並ぶ「数字」に踊らされてはなりません。


しかしながら、予想でなく現実を表す「確固たる数字」も存在する。


以前から唱えておりますが、求められるはメディア・リテラシー。


僭越ながら申せば、受け取る側が成熟しなければなりません。

2010年12月17日  ダメ!責任転嫁!



時刻は午前3時22分を回りました。


連日、夜遅くまで出ずっぱりで、1日の内、夜が長い(笑)


そんな折、市民球場の近くで現場があったので、同球場を久々に写真に収めてみましたが…


「解体」(破壊)の準備は着々と進み、徐々に高く無機質な白い壁で覆われ始めています。


何て愚かな行為をしているのでしょう。


あの原爆ドームですら、市議会で「永久保存が決定」した1966年の7月まで、被爆後、20年間も議論が続きました。


「危険建築物であり、原爆の惨禍を思い出させるので早急に取り壊そう」。


「いや、この悲劇を後世に語り継いで行く為にも絶対に保存するべきである」と。


そんな最中、「人類の負の遺産」に対峙して、「人間の生命力」とも言える“市民の力”で誕生した市民球場。


あの球場のフロント・マスクにしても、数十年後には、間違いなく貴重な「歴史遺産」(建造物)と成り得るモノです。


遺産も何も、まだまだ球場は充分に呼吸をしていた。


また同場所の“行く末”も不透明な中にあり、無情にも「解体」へ急ぐ。


昔から何度も申す通り、単に懐古趣味に囚われては「何が何でも残すべき!」と唱えているのではありません。


無論、私は「残すべき」と言う意見に変わりはありませんが、一等地の活用法を「20年間も議論しろ」とまで言わず。


ここまで公平・公正に民意を欠き、独裁的に導き出された“結論”に激しい怒りと憤りを感じている。


最初から「解体」ありきで、市政からすれば初志貫徹。


そこは、予定通り“広場・公園化”され、後だしジャンケンで商工会議所ビルが街のド真ん中からド真ん中へ移転する。


地域の活性化を担う人々が、究極の我田引水です。


街の一等地が広場へと変化を遂げ、目の前のホテルに宿泊客の1人でも生まれるのか?


「新しい商工会議所ビルを見学だ!」と観光客など訪れる訳もありません。


「私達に従いなさい!」「将来的には必ず成功するから!」とでも?


同場所に隣接したシャレオなど、運営に失敗しては200億弱の負債が生じ、そこを市が保障しては借金をして… (厳密に明記すれば民間からの借り入れを含め細分化されます)


支払など、「平成70年度から」と言った具合“50年後”です。


しかも、経営体制に抜本的なメスを入れるでなく、トップは職員の天下り人事。


これまた街の中心部にある広大跡地の問題すら未だ抱えながら、西飛行場問題も長期化の未解決。


これだけの魅力とポテンシャル(潜在能力)を併せ持った地域を…


見事なまで運営できていない。


例えば「都道府県対抗!魅力ある地域を創出しては居住者や観光客を増やそう大会!」が行なわれ。


「では広島代表チームのメンバーを選挙で選びましょう」となり。


選出されたメンバーが残した結果が“上記の成績”となっているのですから、結局は…


「地域民が生み出した地域」なのです。


誰のせいでもありゃしない。


さあ!明るく前向きな議論をして行こう!


みんなで♪


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