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日記|DIARY
2010年12月20日 過ち
重機を使用して、市民球場の解体が本格的に始まりました。
この件に関しては、人により、個々で様々な意見をお持ちだと思われます。
「古いモノが存在する限り、新たな歴史は生まれない」「次のステップへ向けて解体すべき!」
「戦後、広島を支えた復興のシンボルは、後世へ絶対に残し、継承するべき」「何としても保存しよう!」
「そこまで感心がありません」「別に、どちらでも良いのでは?」等々。
私としては、何に固執するでなく、全ての意見に賛同は出来ずとも理解は示せます。
これまでも、本当に多様な感情が飛び交っておりましたので。
ただし。
広島と言う1つの町が、「望んでも2度と得られぬ貴重な財産を失った」のは動かぬ事実です。
世界の潮流を常に追随しないまでも、現代はスクラップ&ビルドの時代ではありません。
先人の残してくれたモノを、如何に後世へと“継承”して行くか。
その中には、当然ながらスクラップしなければならないモノも生じるわけで、何が何でも残せば良いモノでなく。
ただし。ただし。
被爆後、「今後75年は草木も生えない」と言われた場所に、市民の力、協力、熱意で…
そこに”野球場”を生み出しのです。
ただひたすら、祈りを捧げる鎮魂の空間でなく。
何の意味も方向性も持たない無機質な建築物でもなく。
そこへ、多数の死者を出し、憎しみも悲しみを渦を巻いていた荒廃した時代に。
“野球場”を生み出したのです。
この先人の、広島市民の発想、行動力たるや、素晴らしくありませんか?
無骨であれ、どこか温かく人間味の溢れる「功績」。
後世まで、世界に誇れる「生命力の足跡」です。
生きるんですよ。
苦しいからこそ、みんなが一丸となって前向きに生きたのです。
あの悲劇から、惨禍から何十年もの間、みんなで守り、紡いで来た。
沢山の感動や悦びを与えるも何も、いつも一緒に共有して来た。
破壊すれば、もう2度、2度と元には戻らぬ「宝物」を。
偶然にも今に生きている我々が、守る事すら放棄して、破壊しているのです。
ありえますか?
私など、今こうしてブログを書きながら、パソコンの前で既に涙目。
本当に悔しい。
これが、30年後、50年後にも継承されていれば。
この広島は、とてつもない評価を得ていた事でしょう。無論、評価の為に残すのではありませんけども。
計り知れない観光施設、平和の発信地になる可能性だって、十二分にあった。
全てオートマティックに「保存すべき」と訴えて来たわけでなく。
特別なんです。特別なんですよ。
世界の長い歴史から鑑みても。
広島市民球場って。
この度、広島は市民球場を失ったのではありません。
多大なる可能性と、平和への“理念”を失ったのです。
かくも愚かなるは人間なり。
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