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日記|DIARY
2006年10月29日 まとまった
対横浜戦、4年ぶりの勝利!!
ただただ嬉しい限りです!!!
前号の日記にも書いたのですが、タレント揃いの横浜に対し、チームが一つに“まとまり”見事な快勝!!
これでホームゲームは過去5試合を振り返っても「4勝1分け」。広島ビッグアーチが、より「我が家」になって参りました。
試合に目をやりながらも何かと「感動」してしまい、度々目頭が熱くなったりで‥
涙腺の“パッキン”が古くなって来たかな? (笑)
2006年10月27日 まとまる
プロ野球日本シリーズでは日本ハムが44年ぶりの「日本一!」に。プロ野球・不毛の地「北海道」に日本ハムが拠点を移してから3年。そこには、美しい花が咲きました。
しかも、日ハムのホームグランド、札幌ドームにおける日ハム・ファンの応援は素晴らしかったな。
お子様から「えっ!貴方まで飛び跳ねちゃう?」と思われる年配の方々まで老若男女を問わず「内外野のファンが一体となる応援スタイル」で見事なホーム・アドバンテージを生み出していました。
改めて、生身の人間が競うスポーツにおいて、会場(空間)が生み出す「エネルギーや流れ」の重要性を再認識させられた思いです。そりゃ落合監督に川上憲伸でも、どうにもなりません。
また、プロ野球史に残る異端児「新庄剛志」選手を擁していたとは言え、開幕戦の「新庄・バイク・パフォーマンス」から始まり、セ・パ12球団を通じ、球場に足を運んで下さったファンの方々を「1番喜ばそう!」と心掛けていた球団も日ハムだったのでは?
そう!プロ・スポーツにおける、私の個人的には重要なファクター「FUN」(楽します)とは “ちとニュアンスの違う” 「JOY」(喜ばす)であります。
「喜び」を観客へ充分に先行投資し、その観客から「応援」を得て最終的には「結果」がついて来た。下世話な表現にはなりますが、日ハムが取り組んだ事は正に“最良のショー・ビジネス”
さて、話は変わり、我らがサンフレは「今季、最大の観客が集うのではないか?」と言われている横浜戦が、いよいよ明日!
前述の日本シリーズ然り、近年では伝説となっている2003年9月23日、あの新潟戦然り、観客、サポーターの皆様がチームの失点を防ぎ、得点を生み出す。
観るだけでなく、能動的に声援を送る事で、試合の行方すら変えてしまう事が出来るであろう事実は周知のところ。ならば、我々が生み出す「空間の力」で地元勝利を呼び込みましょう!
この度の日ハムにも言える事ですが、かの、中田英寿は世界のサッカー経験から「絶対に勝てる秘訣」を語っておりました。
「チーム内に何十人スタープレーヤーが居てもダメだ。重要なのは、どのチームよりも“まとまる”ことである」と。
2006年10月28日広島ビッグアーチ。選手・サポーター共々、誰よりも何処よりも“まとまり”「結果」を頂戴しましょう!
最高の「1日」を見逃すな!集え!ビッグアーチ!!
2006年10月24日 共存共栄
現在、国内では日本シリーズ、海外ではワールド・シリーズと各野球界の“頂点”を決めようと最終決戦が行われておりますが、そんな中…
写真は、我が家の階段の壁でありまして、私は小学生から大リーグ「セントルイス・カージナルス」の大ファンであり、部屋中、何十年も掛けて収集した同チームグッズで、それは溢れてかえっております。
また、今年は同チームがワールド・シリーズに進出している事もあり野球から目が放せません!さて、その野球。
今シーズン、地元・カープの全試合日程は終了しましたが、このカープ関連で、私は今年、ある試みに挑戦しました。それは「市民球場で1日だけカープの選手紹介を行う」と云うこと‥
私は幼少から野球部にもサッカー部にも所属しており、この両競技に長年携わってもいるからこそ言える事は、根本で野球とサッカーは全くの別物であり、同じ卓上に並べ比較、競争するモノではありません。
そこで!私が思いついたのが「これまで以上にサンフレ・サポは市民球場へ!カープ・ファンはビッグアーチへ行き、双方の聖地で広島の新しい心のチームカラー“赤紫”を作ろうではありませんか!」です。
さすれば、例えば今の時期。野球オフ・シーズンに突入しても、スポーツ観戦に飢えたカープ・ファンの方々が“例年以上”にビッグアーチへ足を運んでくれるのではないかと。
そのキッカケ作りとして、サンフレ・サポーターの方々が紫に身を包み市民球場へ集まって頂き、プレーボール直前に行われる「カープ・シート紹介」(スタメン紹介)をビッグアーチの選手紹介で使用しているBGMを流しながら、僭越ではありますが私がコールさせて頂いたりと数々のコラボ企画を織り交ぜ「赤紫DAY」を開催する‥
そして行く行くは「熊」と「鯉」の関係がより強固なモノとなり、近い将来、Jリーグ・プロ野球共々「広島優勝」ですよ!歓喜の輪やバーゲンセールが広がる広がるの大団円!もう言葉なんて要りません(笑)
そんな「夢」を実現するべく、個人レベルで下準備として各方面に協力を要請して取り組んだのですが、いかんせん時間が無く、「不可能」ではないにしろ、今シーズン、形にはなりませんでした。
でも、小さな種は蒔きましたし、いつの日か‥
2006年10月23日 ☆色んなトンネル☆
セレッソ戦、完敗。なかなか降格圏周辺から抜け出せず…
今日は終日現場だったので、仕事中も喋りながら時計を見ては「14時半、そろそろ試合開始か。リアルタイムで観たい〜」とソワソワ。
「勝負の行方」が試合後に電話やメールで届く可能性もあるので、帰宅後に録画していた試合を観て結果を知るまで「電話には出ないしメールは開かない」と心にも決めておりました。
実際、仕事中、携帯へ「なんぴと」からかメールが届いたのですが、敢えて目を通す事もなく、帰宅後、携帯を妻に渡し「俺の携帯の受信メールを見て!誰で何の用件?もしサンフレ関連なら教えないで!」の行動を取る程の徹底振り!
かくして無事、事前には「勝敗」を知る事なく、遅ればせながら「この時点で結果が出ているんだがなぁ‥」と複雑な思いを抱きながらのTV観戦。
そんな折、試合展開も相まってか「ったく、どこを映してんの!」と試合が進むにつれ“映像のスイッチング”にイラ立ちを覚え‥
話は横道に逸れますが、このTV中継の「スイッチング」。重要です!画像で届ける、画面、場面の切り替えのこと。
「っだよ!選手に寄り過ぎて既にコーナーキック蹴ってんじゃん!」とか「いつまでリプレー流してんだ!次のカウンター始まってるぞ!」等、時に遭遇しませんか?
他にも、例えば実況アナが選手の名前を挙げれば、その選手を必ず映して「試合運びの妙をブツ切りにしてしまう」と言った具合に映像構成が“慣習”に囚われ過ぎるきらいは否めません。
これは「どの局が良い悪い」でなく、Jリーグは各地で行われており、都度、地域のディレクターやスイッチャーが担当する事もあるので「個人レベル」の話です。
ただ、送り手に受け手の感覚もあれば「アチラ立てればコチラが立たぬ」で、勝敗を伝えるスポーツ中継。
勝者、敗者、両サイドの視点も介在するが故、万人が満足するスイッチングなんて永遠に生まれ得ないでしょうし、喋り手でもそうですが、頭では分かっていながらも咄嗟に出来ない事って絶対にある訳で‥
今日、仕事中の私にとり「TV中継」は唯一の希望でありました。現地で観戦できない者、リアルタイムで観戦できない者に、これほど有り難いモノもありません!日頃、お世話にもなっております(笑)
でも、もっと「より良いモノ」になるはずです。
2006年10月22日 テッペンまたぎ
昨日、複数の現場を追え帰宅。しかし、再びの外出が控えていたので、湯冷めしない為にシャワーも浴びず自宅待機。何の待機?「親友の誕生日」に備えての待機‥
その親友は、高校時代の同級生。しかし、クラスは別々で、私はバリバリの野球部であり、彼はズリズリの帰宅部。
私は坊主頭で戒律の厳しい修行僧の様な日々を送り、彼は一部長い前髪を風になびかせ、バンドを組んで好きな音楽を奏でれば次々に移り行く彼女とのデートと、売れっ子ミュージシャンの様な日々を送る。当時の我々は、イソップ童話の「アリとキリギリス」。
しかし、高校生活も最終コーナーを曲がらんとした3年生の初秋。私が野球部を引退してから何故か意気投合。それからは、常に行動を共にする様になった。
登下校も、遊ぶ時も、アルバイトも、好みの音楽も一緒になった。「悪さ」に「ナンパ」も一緒に行った。そして我々は “モテた”(笑)
生来、私はガキ大将で生真面目な少年ではなかったが、「野球」に対してだけは幼少より真摯に取り組んでいたので、小・中・高の学生生活は、常に何かしらの「制約」が付きまとっていた。 が!
彼と知り合い、これまで団体競技で育まれた「和」なり「規律」はいとも簡単に吹き飛ばされ、自由奔放な「彼のフィルター」を通して見る世界はとにかく新鮮であり、かくて私は「覚醒」したのである。
高校卒業後、我々は別々の道を歩み、私は「喋り手」となり、彼は夢であった「バーテンダー」になり、自らのカクテル・バーも構えた。
そのバーで、昨晩、彼のバースデー・サプライズ・パーティーが催されたのである。内容は、私と彼、共通の知人がプランを練った「深夜12時を回り日付が変わった瞬間、ケーキと共に私が内緒で登場する」と云うモノ。
私は午後11時55分にお店の外で待機。業界で言う “てっぺん”午前零時をまたいだ瞬間、ドアを開け、店内に突入!
彼が、「眉毛が、顔の輪郭から飛び出さんほど」驚いてくれた事は言うまでもないが、決して広くはない店内には、彼の人柄が培った結晶「常連さん」が所狭しと30人は集ってくれていた。
みんな笑顔だった。彼の誕生日が、自分の事の様に嬉しかった。そして昨晩、言葉には発したが「伝えきれていない」ので改めて。
親友よ、誕生日おめでとう。
2006年10月16日 !日本一の空間!
「2006年10月15日(日)15:00〜17:00」 同時刻、日本全国では様々な催しがあったと思われますが、もしも、「国内統一規格感動メーター」が存在したならば‥
規模、熱量、内容、笑顔の数、etc、あらゆる事項を加味しても、あの時間、国内では「広島県広島市安佐南区大塚西5−1−1」に位置する「広島ビッグアーチがダントツのナンバー1だった!」と私の独断と偏見に妄想と思い込みでは言い切れます!
試合後、まだ熱気が漂うピッチ上を縦断し、ヒーローインタビューを終えた殊勲のウェズレイ選手がサポーター席に歩み寄り、そこで“勝どき”をあげ、選手とサポーターが一体となって行われた「万歳三唱!」
アナウンス室からその光景を眺めながら、どれだけ万歳の輪に入りたかった事か‥
※昨晩、ここまで日記を書いた所で、徐々に意識が薄れて行き、そのままパソコンの前で爆睡‥ 早朝、寒くて目が覚めました。
そして、今。
正に「Good morning!」。度重なるゴールでノドにも心地良い疲労が残っております(笑)
ホームゲームにおいても、引き分けを挟みながら連勝記録を「3」に伸ばせば、これで降格争いからも一歩抜け出して‥
いや! 「好事魔多し」と申しますし、何が起こるのか分からないのがサッカーであります。丸いボールは気まぐれで、油断すれば、あっちへコロコロこっちへコロコロ。
ここは今一度 “気を引き締め” 一つ目でも上を目指し、邁進して参りましょう!
改めて、Kick off!!
2006年10月14日 Y 字路‥ なの?
連日、快晴が続いております!さて、サンフレのスタジアムDJの様な業務は“Tip of iceberg”私における正に“氷山の一角”の「表立つ」仕事であり、水面下では様々な仕事をしている私。
ナレーション業務であれば、外界が秋晴れであれなかれ、基本的に録音スタジオは完全防音が施され、当然ながら窓も無く、そこで制作された「作品」のみが後に陽射しを浴びる事となります。
また、お陰様でここ数年、県外での様々な仕事も頂いており、その「足跡」は県内で表面化する事はありませんので、時に近しい友人から「竜史、最近、何やってるの?」と言われる始末‥
久々に仕事の話になりますが、相変わらず一生懸命&一所懸命アチラコチラで日々「喋ってる」っつうの(笑)
さて、明日は地元での「FC東京戦」。本日、行われた第27節では我々より下位に位置する京都とC大阪が勝ち点「@」を獲得して「微妙〜」に追い上げて来ております。
明日の一戦で勝利を収め、得失点差はあれど「上」の東京と並び「降格の呪縛」から解き放たれる「一歩」を歩むのか?
それとも、引き分けなり敗れてしまい「下」と混濁となり、スポーツニュース等の「ココが降格ライン」の「赤線」前後に名前を連ねる「一歩」を歩むのか?
勝つ!明日は勝つ!絶対に勝つ!やはり勝つ!きっと勝つ!
2006年10月11日 「見る」と「やる」とでは
今朝、妻と子供を連れ郊外にある運動公園へ遊びに行って来ました。
その公園は、子供心をくすぐる遊具が異様に充実しており、週末は勿論、平日でも大賑わい!今朝も、私達が帰る11時頃には駐車場が満杯「満員御礼」状態!お、恐るべし!
そして帰路の途中、偶然にも私の目に飛び込んで来たのは?!その昔、私がまだ白球を追いかける高校球児だった頃、練習試合で訪れた事のある、町営ながらも立派な「球場」でした!
約16年振りの再会にも拘らず、不思議までに球場は何一つ変わる事なくってなく「あの時のまま」。炎天下に舞い上がる乾いた土の匂いやコンクリートの上を歩くスパイクの音が鮮明に蘇り‥
この球場では練習試合でホームランも打っていたし‥
ここで“野球未経験者”にお知らせです。例えば、今年も甲子園大会は「ハンカチ王子」を始め数々の見所で盛り上がりましたが、各都道府県予選を含め、全国の参加校は約4100校。
中には、部員数が100名以上の高校もあれば9人キッチリの高校もある訳ですが、単純に1校の野球部員数を「20人・平均」としても、約8万2千人の高校球児が「甲子園」を目指した訳です。
その内、朝から晩まで血が滲むほど野球に打ち込んで、「3年間」のクラブ生活の中、試合にバッティング練習も含め「ホームラン」を1本でも打った球児、生徒が何人くらい居ると思われますか?
「高校通算本塁打○○本!」、「出た!九回裏に逆転アーチ!」。高校野球ですら華々しい見出しが紙面を飾りますが、その誰もが簡単に耳にする「ホームラン」と言う現象を、果たして何割くらいの高校球児が体験しているのか?
これは、あくまで私の実体験も含めた推測ではありますが、多分「約3割」ではないでしょうか。たったの3割。ですから、逆に言えば「約7割」の球児は、高校通算「0本」と言う事になります。
別に、プロ野球からスカウトすら来なかった私を「凄いでしょ?」と言ってる訳でもなければ、やはり高校時代は成長過程であり、社会人や大学に進んでから飛躍的にプレーが伸びる選手も沢山いるので、高校時代と言う短期間で「上手い下手」と表現している訳でもありません。
何が言いたかったかと申しますと、甲子園でポンポンと飛び出すホームランも「そう簡単に打てるもんではない」。
ただ、これだけであります‥(笑)
2006年10月06日 「愛着との惜別」 (下)
携帯電話が無い時代の話。鳴らない備え付けの電話を、どれほど携帯したかったか‥
しかし数日後、掛かって来ました依頼の電話!「20代半ばの会社員の役で拘束時間は2時間。衣装はスーツで来て下さい」。
「これはチャンスの神様の前髪をつかまえた!」とばかり、自らのスケジュールの確認もせずに依頼を快諾!しかし電話を切った後、ある問題が… 「スーツが無い」
生来、カジュアルな血筋の私が取り急ぎスーツを用意するにも、「何を幾らで買えばよいのか?」皆目見当も付かず。
そこで、バイト先に隣接していた名も無きショップで店員のお兄さんに「典型的な会社員にお薦めのスーツは?」と質問。その回答に出てきたスーツが、当たり障りの無い「ザッツ通行人」こと、この“黒の三つボタン・スーツ”でした。
店員の回答に合否を下す知識すら無いのですから、当然、即買い。その後、Yシャツやネクタイを如何に調達したかは記憶にないので、大人の階段を上り始めた買い物が相当嬉しかったのかもしれません。
そして、不安と野心を仲良く抱き、エキストラ初現場へ。
都内の一角で、TVで観た事のある女優さんを交え複数のシーンを撮影。時には「通行人 A!」はたまた「喫茶店で休憩する会社員 B!」として、私は真っサラなスーツを着こなし見事なまでに背景に埋没♪初仕事を完遂!
続いて舞い込んで来た仕事は、チョンマゲに着物を羽織り、時代劇中の茶屋で「談笑する町人」であったり、山梨県の山奥で行われた炭鉱爆破シーン、主役・役所広司さん扮する組合長の掛け声に呼応する「作業着の組合員」と言う大役もあったりで(笑)
因みに、ファースト・スーツをエキストラで使用したのは後に1回だけ。新宿のオフィスビルで「課長に書類を届ける平社員 A 」として約6秒の活躍を果たし、衣装としての役割を終えました。
と同時に、私はいつまでも主人公の横で静かにしている輩ではなく、結局は前述の仕事を終えた後、エキストラの仕事を卒業した事は言うまでもありません。
あのファースト・スーツは‥ エキストラを引退後、購入の基本コンセプト「当たり障りの無いタイプ」が効を奏し、私と共に数々の結婚式や幾度かの悲しい席にも足を運び、20代半ばまで一張羅として大活躍してくれましたが、この度の衣替えで収納スペースを後進に譲り、お別れをする事に‥
苦楽を共にした思い出のスーツ。 2006年秋、大往生です。
2006年10月04日 「愛着との惜別」 (上)
衣替えの季節になると、我が家では大きなビニール袋を幾つも満たす量の不要な衣類が発生します。
TVを始め、自らを露出する仕事一切の衣装は自前なので、痛んだり明らかに流行を過ぎたアイテムは数年でお払い箱に。
正に“安物買いの銭失い”ではありますが「生涯、上下デニム!」などと取り分け自分色のファッションを持つわけで無く、この生鮮コーナーの様な「補充」と「破棄」のサイクルはこれからも繰り返されるであろう最中、ふとクローゼットの奥から顔を出した写真の、くたびれた「黒の三つボタン・スーツ」。
これは、私が19歳の頃。当時、暮らしていた東京は渋谷にある小さなショップで、値段は確か2万円前後だったと思いますが、私が生まれて「初めて買ったスーツ」であります。
当時の私と言えば、頭の中は見事なまでの「さら地」であり、将来のビジョンなど微塵も持ち合わせていない、日々、刹那に飲食店でアルバイトに励む青年、否、少年でありました。
そんな或る日、職場の先輩から「不定期だけどTVに出られるバイトがある」と教えて貰いました。 そう!エキストラの仕事です。
「エキストラ」、言わずと知れた、映画やドラマで、主人公を主人公たらしめる、ある種の装置、「群集や通行人」の事でありますが、無知で無垢な少年に「TVに出られる」ほど魅力的なオファーは無いわけで、しかも、「端役から主人公になり得るのでは?」と言う無根拠な期待も同時に沸々と芽生え始め‥
先天性「思い立ったが吉日・症候群」の私。数日後、当然の様にエキストラの仕事を斡旋してくれるプロダクションの面接を受けていました。
降って湧いた「夢の入り口」は、思いのほか簡単で、質疑応答めいたモノも無く、記入用紙に氏名や年齢、連絡先に職業を書き込み登録手続きは完了。後は、私の背格好が「ピッタリの背景」として役立つ時にお声が掛かるのを待つばかりです。
石原裕次郎さんの如く「兄貴が書いた小説が映画化され、偶然、撮影現場に出向いたら、その持っていた容姿とオーラが関係者の目に留まりスカウトされた伝説!」が、一日千秋の思いで仕事の依頼を待つ私の糧であった事は言うまでもありません。
顧みるに、職業欄に書き込む「職業」を探す為に受けた面接で、まず、職業を書かされた物語。スーツとは一体、何の関係が?!
次号へ続く
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