利己から利他へ

過去4年間に於いて、常任委員会や特別委員会にて。

「旧市民球場跡地」関連では、頻繁に発言させて頂いて参りました。

そして本日、任期中では最後となる特別委員会が開催され。

言わずもがな、発言させて頂いた次第で。

つくづく、感じる事は?

以前、当ブログでも書かせて頂きましたが、本市が被爆後に「復興」へ向けて。

街が、市民が、一致団結しては、上を向いて力強く歩みはじめた頃。

時を同じくして、世界の「恒久平和」求める人々からも…

“広島の復興”へ多大な関心が寄せられ、本市へ何百もの「声」が届けられる。

「広島は全世界の注目を引いた事実を認識すべきで」

「戦争被害に対する恐怖や同情を越えて」

「広島を世界平和の発祥の地として、また聖地として」

「それに相応しい都市を建設し」

「もって広島を永遠に記念しなければならない」と。

重ねて。

「平和の模範となる施設などを」

「出来れば爆心地付近に誕生させて欲しい」とも。

並びに。

「平和記念都市建設法」の法案が上程された国会では?

広島選出の山本衆議院議員が、提出者の趣旨説明にて。

「世界の世論に応える事は、いち広島市民のみならず」

「戦争を放棄した、我々、日本国民全体の義務であり」

「また同時に、世界人類に対する最大の貢献でもあります」と。

また、衆参両院を通過した後。

最終砦の“住民投票”を前に、当時の浜井市長も述べられる。

「焼野原の上に、新たな平和都市を建設する事は」

「より一層の意義があるばかりでなく」

「そうする事により、我々は初めて、戦争犠牲者の犠牲を」

「意義、あらしめる事が出来ると考える」。

そして、当時の任都栗市議会議長も訴える。

「恒久の平和を願ってやまない日本国民の理想の象徴として」

「恥ずかしくない都市を」

「国民の総意と総力によって築き上げると言う理念が」

「核心であり、その為に選ばれたのが広島である」と。

繰り返しとなれ、今なお、色あせる事のない先達の。

壮大なるビジョン、熱き情熱、確固たる信念を、現代に読み返してみたらば?

色彩豊かに、その色温度がヒシヒシと我々の胸へ伝わって参ります。

ならばと、この度、委員会にて提出された「空間づくりのイメージ」(案)ですが。

(2005年の検討から、はや10年が経過しており、その集大成)

コンセプトは、下記の通り。

「紙屋町・八丁堀地区は本市の活性化を図る上で重要な地区であり」

「より一層の魅力を高めて行く必要があります」。

うむ。

結局、極々一部の方々だけが「大願成就」で喜び。

なんで大多数の人々が、「肯定も否定」も抜きにして…

「ワクワクしないか?」って、理由は簡単で。

「大きな夢(目標・ビジョン)を掲げ、追求しないから」に尽きます。

前述の「先達の言霊」の通り、仮に今現在に於いて。

「旧市民球場跡地の活用法を策定する」にあたり、そのコンセプトを…

「ココから絶対に世界を恒久平和へ導く!」としたらば?

この度の「空間づくりのイメージ」なんて、「役不足」極まりなく。

しかし、コレが「サッカー複合スタジアム」であっても同様。

だからこそ「二元論でなく、共存共栄で、あらゆる英知を結集させ」

唯一無二、「みんなで究極の都心部を創出しましょう!」と。

私は、かねてから一貫して訴え、取り組んでおり。

「叶わぬ夢を追求するから」こそ、人々は魅せられ、惹かれるわけで。

しかも。

人種に宗教、思想や思考に主義主張、多様で雑多な世の中で。

「相手を理解しよう♪」「多様性を認め合おう♪」

と、自我のコントロールが、平和への第一歩では?

私もコントロールを失い、どこかギスギスしたブログを書いておりますが(笑)

本来ならば、市民総意で「おぉ!」とワクワクする案件なんだけどな。

いやはや。

誇れるとでも? 世界に。

投稿日 : 2015年1月28日

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