自ら反みて縮くんば千万人と雖も吾往かん

本日、第18回のサッカースタジアム検討協議会が開催されました。

そこで、今一度「出発点」に戻れば。

私はかねてから申しておりますが、スタジアム建設は「目的」でなく。

市民生活の「物質的」よりも「精神的」な豊かさに寄与する「より良い広島」。

そこを目指す、大事な「手段」の一つが、至極の空間であり別世界を生み出す…

「スタジアム」と言う名の「夢の器」。

ココを単なる「ハコモノ」と呼ぶ人々もいらっしゃいますが。

「夢の器」と呼ぶも「ハコモノ」と呼ぶも、それぞれの感受性には起因する人生の背景があり。

私は「夢の器」と感じられる道を幸いにも歩み、今日まで参りましたので。

そこへの「仲間を増やしたい」とは常々感じておりますけども。

強制するでなく、「ハコモノ」ピープルを糾弾、否定するでもなし。

人生色々、人それぞれ。

そんな、唯一無二の一人一人には、この世に生を受けた、何かの意味や役割があり。

同様、一つ一つの「都市」にも、何かの役割や使命がある。

ならばと、私が先月の議会にて発言の準備をしていながら。

最終的には、全ての発言項目を「災害関連」に絞り込みましたので。

ここに、私が9月議会にて「発言を予定」していた原稿を。

決して「お蔵入り」にした訳ではなくとも、この機会に「信念」として発信すると致します。

なにぶん「発言原稿」なので長文となりますが、お付き合い下さいまし。

これより、発言通告に従い質疑を行って参りますが、先ずは「旧市民球場跡地の活用方策」について、お伺います。

はじめに、2005年の9月から同跡地の活用策に係わる検討が今日まで重ねられ、現段階では平成24年度末に取りまとめられた「緑地広場」、「文化芸術」、そして「水辺」と、この3つのエリアを設定しては、各エリアに応じた機能を配置する案が基本とされております。

そこへ並行して、「スポーツ複合型機能」を活用策へ「導入対象とするか否か?」の検討が現在も継続して行われておりますが、もしも、この「スポーツ複合型機能」が導入の対象にならなかった場合は、繰り返しとなれ、旧市民球場の跡地は「緑地広場」「文化芸術」「水辺」の3つを基本としたエリアの形成に一歩を踏み出す事となり、いずれにせよ、今現在では何も最終的な確定がなされていない状況です。

しかしながら、この秋には「スポーツ複合機能」の行方も明示されますので、その決定前に、継続して訴えて来た私の想いを述べながら「同跡地の活用方策」に関する質疑をさせて頂きます。

まず、旧市民球場跡地とは国有地であり、また平和記念公園とも隣接している事から、今一度、本市における過去の歴史をヒモ解いて参りますが、この平和記念公園の建設には、ご承知の通り、昭和24年に制定された「平和記念都市建設法」が密接に関わっております。

被爆後、そして戦後における本市の再建にあたっては、財政的にも逼迫した状況が続く折、あらゆる手段を駆使しては復興を遂げなければならない。

そこで、当時の市長、市職員、市議会議員、地元選出の国会議員が一丸となり、国に働き掛け、紆余曲折を経ては衆参両議院を通過させ、憲法第95条に基づき、地方公共団体として、日本初となる「住民投票」まで行っては実現、制定されたのが、この「平和記念都市建設法」でもあります。

こうした一連の背景には、「この地上から戦争の恐怖と罪悪を根絶しては真実の平和を確立しよう」。

「永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう」との、広島市民が世界へ発した平和宣言が揺らぎなき信念として、難航を極めた法制定への道程を「後押し」した事は、ここに強調するまでもありません。

ゆえに、「平和記念都市建設法」は、枝葉を省き、本市が世界へ向けて取り組む指針、その根幹を明確に示すべく「わずか七条」から形成されており、第一条には「恒久平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設する事を目的とする」とあります。

重ねて、法制定の実現へ向け、誰もが一丸となって邁進すると、時を同じくして、世界各国からも「広島の再建」へ多大な関心が寄せられ、何百にも上る要望が本市へ届けられました。

当時、アメリカでは、政治家や文化人により「広島ピース・センター建設委員会」が組織され、同委員会では、記念塔、平和記念館、図書館、科学研究所、音楽堂、劇場、児童文化会館、体育場、ホテル、その他の、各種、模範となる社会事業施設を「できるならば広島市の爆心地付近に設置して頂きたい」との構想を打ち出され。

また、他方の都市計画に関する専門家からは、「広島は全世界の注目を引いた事実を認識すべきで、すなわち広島は建設的にせよ、破壊的にせよ、新たな時代の到来を最初に世界へ告げた土地として、今後、永久に訪問者の興味をひくであろう」と、広島が課せられた「世界平和へ向けた都市の復興」を、世界的にも「絶好の機会である」と口にされております。

その他にも、外国の新聞や雑誌からは、「各種の平和運動会議は是非とも広島で開催すべきである」との幾多に上る要望など、平和を希求する世界の人々から「広島の戦災に対する恐怖や同情を越えて、広島を世界平和の発祥の地として、また聖地として、それに相応しい都市を建設し、もって広島を永遠に記念しなければならない」との声が高まり、ウネリとなっていた事は、疑いなき事実です。

こうした世界規模に及ぶ「人類が熱望する」声に触れ、「平和記念都市建設法案」が上程された国会では、広島選出の山本猛夫衆議院議員が、提出者の趣旨説明として次の様に述べられています。

「世界の世論に応える事は、いち広島市民のみならず、戦争を放棄した、我々日本国民全体の義務であり、また同時に世界人類に対する最大の貢献でもあります」と。

また、昭和24年5月10日に衆議院を、翌11日に参議院を、誰一人が意義を唱える事も無く通過した後、最終的には法の施行までに広島市での住民投票が行われるのですが、その投票日を前に、当時の浜井市長は口にされます。

「焼野原の上に、新たな平和都市を建設する事は、より一層の意義があるばかりでなく、そうする事により我々は初めて、戦争犠牲者の犠牲を、意義、あらしめる事が出来ると考える」。

「この法律が示す様に、平和記念都市としての広島市の建設が成功した暁には、市民諸君の幸福は勿論、政治的にも経済的にも、国家、並びに、世界人類に絶大な貢献をする事が出来る事を、信じて疑いません」と。

また、当時、多大な尽力をされた広島市議会の任都栗司議長は、「恒久の平和を願ってやまない日本国民の理想の象徴として恥ずかしくない文化都市を、国民の総意と総力によって築き上げると言う理念が核心であり、その為に選ばれたのが広島である」

「この法案では、世界平和を象徴する都市に相応しい、あらゆる文化施設を整える事になっており、その構想、計画は、法律成立の暁に、あらゆる方面の人々の知識を集めて練られる事になるが、その究極のする所は、人類発達の段階に於いて、考え得るべき最高度の施設が、あらゆる面にわたって整えられ、広島市に、ひとたび足を踏み入れれば、その一つ一つの草木にも恒久の平和を象徴するモノが感じられ、そこに住む人、又、そこを訪れる人に豊かな香り高い平和な幸福感を与えると言うが如き、都市を造る事が、法律の狙いであります」と。

この現代に、その発せられた先人のメッセージを読み返してみても、今なお、色あせる事のない熱き確固たる信念と、壮大なるビジョンが、色彩ゆたかに我々の胸へと伝わって参ります。

そこで、話を現在へと戻しますが、現政権下での「旧市民球場跡地の活用方策を策定する」にあたり、その根幹を成す目的は、先の委員会資料でも次の様に明記されております。

「旧広島市民球場跡地を含む紙屋町・八丁堀地区は、広島駅周辺地区と共に、本市の活性化を図る上で重要な地区であり、より一層の魅力を高めて行く必要があります」と。

私は、ココに先人達が戦後の荒廃した時代に、世界の将来と本市を結んでは、壮大なるビジョンを描き、取り組まれた背景と今現在の薄紗の如き方向性をイタズラに同じ机上で比較するつもりはありませんが、戦争による犠牲者へ対する意義に、世界へ手本を示す、恒久平和を訴える都市づくりにまで「理念」を置いた過去と、確かに同跡地の利用法が策定されるまでの時限措置とは言え、定期的に、同跡地の半分、もしくは「4分の1」ほどのスペースを利用して繰り返される一過性のイベント、また「同様の跡地利用が繰り返される可能性のある今後」を、誰よりも憂う一人でもあります。

先に「広島は全世界の注目を引いた事実を認識すべき」との、この広島へ対して、世界の期待と希望を寄せる「外国人・有識者のコメント」を紹介させて頂きましたが、今一度、現世に生きる皆様へ問うとして、広島が担う重責と、世界へ訴え続けなければならない、そのメッセージにおける「普遍性」とは、一体、何なのでしょうか?

昨今のニュースでも報じられている通り、現在、世界ではテロや地域紛争など、未だ各地で戦争が行われ、今、この瞬間も、罪なき人々の尊い命が次々と失われております。

また、外国人観光客が、前年度より増えた、減ったと一喜一憂する機運が本市でも散見されますが、歴史的な背景と関わりを持つ「アジアからの来広者」が、他都市と比較しても「少ない」のが本市の現状であり、言及するまでもなく、広島が果たすべき役割は、まだまだ「道半ば」です。

こうした背景を鑑み、市民・県民の皆様の「日々の暮らし」へ寄与しながら、本市へ足を踏み入れれば、豊かな香り高い平和の幸福感が味わえる街を目指して、正に「爆心地に位置する」とも言える旧市民球場跡地が、世界へ、そして後の世代へ果たすべき役割を、時代の潮目を迎えた今こそ、我々は再認識すべきではないでしょうか。

平和への第一歩は、人種、宗教、思想、美意識、価値観、その人々が併せ持つ多様性を、先ずは認め、尊重し合う事から始まり、後の世代が、この平和記念公園一帯を訪れた際、広島市からのメッセージを如何に受け止め、また未来永劫、如何に継承して頂けるのか。

訪れただけで、人々が過去の歴史と現在、未来を結び、祈りを捧げては、今を躍動する命に感謝する、こうした「人々の心を育む場所であって欲しい」。

そう切に願うからこそ、私は当初から「世界の広島で暮らす一人」として、我々が、その経験や見識に、おごる事なく、緑地にイベント広場とスポーツ複合機能の「いずれ、どちらかを選ばなくてはならない」との二元論に囚われるのではなく、出来ない理由を羅列するのでもなく、あらゆる英知を結集させては「究極の国際平和文化都市」を、皆さんで一緒に築いて参りましょう!」と、一貫して訴えている次第です。

そこで伺いますが、この旧市民球場跡地の活用法、その策定について、現時点で、如何なるビジョンを描き、何を用いて、広島の新たな都心部を通じ、「世界へ何を発信して行こう」とお考えなのか?

重ねて、恒久平和への取り組みは、流行り廃りなど、一過性に終わるモノではありません。

被爆後、世界から寄せられては、今なお求められる「人類からの要望」へ対し、本市として、平和記念公園と隣接する旧市民球場跡地を通じて「如何に応えて行こう」とお考えなのか?

ここに、お聞かせ下さい。

投稿日 : 2014年10月29日

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