“男伊達”

本日の9月議会、一般質問のトップバッターに。

当会派の同僚、山路議員が登場。

冒頭より…

「東京オリンピック開催の好機を逃す事なく」

「地元スポーツの発展や地域の活性化に繋げて頂きたい」

並びに。

「サッカースタジアムの建設に伴い」

「広域公園などにNTC(ナショナル・トレーニング・センター)を誘致すべきと思われる」

と、行政側へ向け、発言をされました。

(数ヶ月前、一緒にNTCへ視察へ行っては文科省にも要望へ)

ここへ関して、詳細を書き綴れば莫大な文字数になるので省略させて頂くとしても。

時に。

「相変わらず石橋達は勢いで荒唐無稽なる夢を語りよる(失笑)」

と、受け取られる方々も、ある程度はいらっしゃるかと思われ。

それは、旧市民球場跡地の「複合スタジアム構想」も然り。

そこで、これだけはハッキリ申しておきますけども。

以前から、当ブログにおいて幾度か触れて参りましたが。

私には「チーム」が存在します。

現役議員、議員OB、会社経営者、医者、弁護士。

メディア関係者、その道のプロ、情熱を持った若人、etc。

この広島だけに限らず、東京に存在する各方面の逸材とも連携を取りながら…

現在も、このチームは熱く熱く、活動している。

無論、「広島市の明るい未来を創出する」為に。

そして、あくまで「一例」として、分かり易い表現を用いてみれば。

もしも、私のチーム・メンバーに。

「苦しい財政下にありながら夢の様なプロジェクトを実現した首長」が入っていたら?

「それは無理だろう!と言われる事業の“あらゆる解決策”を知る現役官僚」が入っていたらば?

そうした面々が、リアリティを伴った幾つものアイディアを持ち寄り、その結果。

「広島市で充分に実現は可能である!」「アレにコレも出来ますよ!」

と、明確なる結論を出していたとしましょう。

まあ実際に結論づけているのですが。

こうした裏づけがあり、はじめて市民の皆様へ対して、私が…

「広島市でもアレやコレだって可能です!」と発信させて頂いているわけで。

闇雲に。

「止まない雨などないじゃない!」

「ケセラセラで成るように成るって!」ヘラヘラ〜♪

と、口走っているのではありません。

確かに「街づくり」などで申せば、数学の如く、何かの公式に当てはめて。

「たった1つの正解しかない」ではない。

しかし、ある人が言っていたっけな。

「成功する手法が明らかに分かっていながら」

「それが実行、実現されないのは時の政治家の責任である」と。

ごもっとも。

色んな政策が本当に実現可能なんですよ。ウソも偽りもなく。

後は「やる」か「やらない」かです。

もしも「やらない」となったって?

諦める様な面々の集いではありませんので♪

単に「自我を完遂させたい」のではなく。

しかも、向こう数年で活動結果に対する良し悪しの判断が下されずとも。

おこがましい物言いながら。

10年、30年、50年後の世代から「感謝される」確固たる自信はあります。

当然、あらゆる責任を負う覚悟も。

受け売りで恐縮ながら、「政治家」とは?

元々は「井戸掘り」との言葉で表現されていたモノで、意味は…

「私財を投げ打ってでも、人々の為に働き」

「最終的に自分へは、井戸と塀(へい)しか残らない」と。

妻子には誠に申し訳ないながら、当初から、そのつもりで取り組んでいる。

尽くしますよ。

喋り手の時代から、私を救い、確立して下さった「広島」へ対して。

何があるって?

恩義がある。

投稿日 : 2013年9月19日
 “男伊達”

 yell!

世間で言われる3連休明け。

先の週末も。

がんと向き合う24時間チャリティーイベント「リレーフォーライフ」へ出向き。

各方面との打ち合わせに、敬老会、懇親会への出席と。

瞬く間に日は昇り、また沈んで行きましたけども。

心底、有り難きかな…

「頑張ってる?」「調子はどう?」「応援してるよ!」と。

見ず知らずの方々からも、沢山のお声を掛けて頂きました。

また、多少はスケジュールに余裕があったので。

連日にわたり、現場の合間や終了後にジョギングへ出かければ。

街を行く車からも「石橋さぁん!頑張ってよ〜♪」との声援を頂戴。

さすれば?!

ジョギング中に「暑ちぃ…」「しんどぉ…」と感じていながら。

即座にリフレッシュされては、足取りが軽くなるから不思議です♪

本当に不思議♪

「メンタル」な部分が、こうも肉体を凌駕してエネルギーに転換されるとは。

数々のエールを確かに受け取り。

改めて感謝、お礼を申し上げます。


また、ちまたではカープが連勝を重ね。

街中も、どことなく“明るく”感じられたりもして。

「景気」って、経済に留まらず。

本来は、様子であり、有り様であり、気配ですが。

個々が従事される現場での奮闘、その行方が昇華され。

総合的な景気の回復へ繋がれば、それは個々への冥利にも繋がり。

良き事かな♪

この1カ月も、沢山の方々と対話させて頂きましたけども。

至る所に…

「私は広島市を、こうしたいのです!」

「私達は地域で、団体で、こんな活動をしています!」

って方々は沢山いらっしゃり。

そうした実際の活動やエネルギー、情熱を。

同じ方向へ、上手くオーガナイズすれば?

1+1が、3にも5にもなるんだろうけど、なかなか…

編制はおろか、集約すらされなかったりで。

しかし、嘆いていても始まりません。

東京五輪で申せば、決定しながら、未だ賛否の声も聞かれますが。

何が良いって?

「7年後」との短期(中期)タームの話であれ。

人々が、当面に迎える「その将来を見据える」事が、「描く」事が出来る。

この「イメージの共有」であったり「目標の設定」って?!

日々の生活の中でも、人々の「糧」となり「支え」となりて。

本当に重要なエネルギー源となります。

さあ!

やるべ!

私も。

握れる種の旗は、大きく振って参る所存です!

投稿日 : 2013年9月17日
 yell!

広島 連続現実物語 「甘ちゃん」

日曜日の朝となれば?

「おっと!?今日は放送がないんだっけ…」

と、落胆される方々も一定数いらっしゃるのでは?

ならばと、9月28日の最終回を迎える前に、目を向けてみるとします。

社会現象まで巻き起こしている、大人気NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」♪

はてさて、構成やキャスティングに至るまで、放映(上演)の基本となるのが「脚本」であり。

ハリウッドでは、脚本が書き上げられた段階で。

“その出来”如何によっては、制作前から有名役者が飛びついたり、脚本に高値がついたりも。

そして今回、朝ドラの脚本を手掛けたのが、名前を聴かない日はない程の…

クドカンこと、「宮藤官九郎」さん。

言わずもがな、同氏は、脚本家であり…

作詞や作曲を手掛ければ自らのバンドを持つミュージシャンであり、俳優でもある。

のですが、周知の通り、ドラマ「木更津キャッツアイ」など数々のヒット作品を世に放ちながら。

生い立ちを振り返っても、そのバックグラウンドは?

常に商業ベースに乗ったメインストリームを歩み続けて来たわけではなく。

サブカルチャーやアングラ(アンダーグラウンド)臭を漂わしながら、独自のユーモアを持ち合わせ。

また、その風貌や言動、交友網からも、どこかシュールな存在。

その昔、TBSの情熱大陸で同氏を追っかけた放送では?

まるで高校生の様なラフな服装でファミレスに入っては…

そこでパソコンを叩きながら長々と脚本を書いていたりと♪

それは、同氏を如実に表す一コマでもありましたが、しかしながら。

同氏は、時にシリアスな脚本を書き上げては、この方面でも賞を受賞するなど。

フォーマルからインフォーマルまでをこなす両刀使いでいらっしゃる。

そうした人物(脚本家)が、朝のNHK連続ドラマへ投入されたらば?

その“規制の枠内”に歩み寄りながらも、敢えて、はみ出しながら。

「1970年」に生まれ。

社会とリンクする上では、脂が乗りに乗っている霜降り状態の宮藤氏が。

幅広い年齢層(視聴者)へ向け。

見事なまでの「クドカン・ワールド」を展開されています♪

で、ココまでを振り返り、何が言いたいかって?

政治や行政の世界でも、街を運営(経営までの観点も含め)するにあたり。

いわゆる市民の皆様と共に、生活を「上演」するとなれば。

その世界に身を置き、ドップリと身を浸からせて来た者は、それ相応の強みがあれど…

どこか融通か利かなかったり“広い様で狭い視野”に捉われていたりと。

知らぬ間に、自らの思想や行動にリミッターをかけた「呪縛」(既成概念)を拭えない部分が…。

1971年に生まれた私などからすれば。

一朝一夕には培う事の出来ない、目上世代の経験や見識、スキルは当然ながら重んじている。

いるのですが、想定外まで想定内となる今後の「時代の潮流(急流)」を前に。

そこだけでは、既に「対応が難しい時代」にある事も確か。

ゆえ、目標を共有しては、世代間を超えた「融合」が求められながら!?

この広島では、まだまだ「オジサマ世代」が跋扈(ばっこ)しているのが実状。

※跋扈:のさばり、ふるまうこと

広島「県」単位で申せば、もう顕在化している。

我々世代は、手前味噌で恐縮ながら、柔軟性とバランス感覚を持ち合わせ。

また、「年配の方々の意見は聴かない」「排除せよ」などの感情は微塵もなく。

繰り返しとなりますが、あらゆる障壁が立ち塞がる今後へ向け。

求められるは、世代間を超えての「融合」と困難への「共闘」かと。

色んな不協和音が顔を覗かす世の中で。

もう足を引っ張り合って自己顕示に走っている場合でも、時代でもない。

「他者の幸せを自らの幸せ」と感じられるべく、システムを変換しては。

皆で一緒に奏でて参りましょう。

素敵な、瀬戸内のメモリーを♪

投稿日 : 2013年9月15日
広島 連続現実物語 「甘ちゃん」

 節操なし 『後編』

※前号からの続きとなります

これまでの流れを踏まえながら。

唐突に、ある人物のコメントを取り上げてみるとします。

登場するは、押しも押されもせぬサッカー日本代表の中心選手となった「本田圭祐」(26才)。

彼は、かねてから公言します。

「W杯優勝は、地球上で完結できる !」と。

サッカーW杯と言えば“テレビ中継の視聴者数”1つをとってみても、オリンピックの数倍を誇る世界最大の祭典。

当然ながら、世界ランクで常に30位から40位を行き来する日本が簡単に頂点に立てるモノではありません。

未だ、世界トップクラスとの「力の差」は拭えぬ事実であり。

ただ、一昔前までは、このW杯に「まずは出場する事」が目標であった日本、その代表選手の一員が…

「優勝を目指す」と口にする時代が到来している。

ロシアで獅子奮迅の活躍を見せ、最高峰のチャンピオンズリーグを経験し、世界を知る男は続けます。

「世の中には俺なんかより凄い事を考えている人がいて、実現した人がいる」。

「ロシアには、結構前になるけど宇宙に行ったガガーリンがいて、宇宙って言うのは凄い」。

「1人ではなく、周りの力もあったにせよ、あの時代(1961年)に地球から宇宙に行ったんやから」。

「それ(人類初の有人宇宙飛行)に比べたら、W杯優勝は、地球にいて地球上で叶える事の出来る話」。

「出来ないはずがない!」と。

まさに「本田らしい」っちゃあ本田らしい世界観ですけども♪

そこで。

話は「旧市民球場跡地」に戻って参りますが、現在、広島市は?

「世界に誇れる街」との目標を掲げており、繰り返しになりますが「世界」を視野に入れている。

「街づくり」たるや、スポーツの様に、明確なる勝ち負けや順位がつけられるモノではなくとも。

「本気」で取り組むならば、徹底して突き詰めなければならない。

また、目標を、志を高い所へ設定しなければ?

実現なんて、夢のまた夢。

この度、旧市民球場跡地で開催されているイベント(オクトーバーフェスト)にしても。

活用策が「最終決定」するまでの休眠地である場所を有効活用されておりまして。

私も実際に足を運びましたが、そこには人々の笑顔が溢れ“和気あいあい”なる雰囲気に包まれ♪

※旧市民球場跡地を神聖化しては、自らの意を汲んだ活用策でなければ兎にも角にも「異を唱える」方々もいらっしゃいますが

※この度のビールイベントなど、平和公園の直ぐ隣りで、20歳以下の人々はターゲットとならず、週末など午前中からアルコールが振る舞われている

(それをイケナイと言っているのではなく「突っ込まれどころではある」との意)

※しかし、ここへのクレームは不思議と耳にした事がなく、何故かって?

※ここが、旧市民球場の活用方策が来秋に「最終決定」されるにあたり、重要な鍵となって参ります

先の「菓子博」然り、今では菓子博の「か」の字も表面化しなくなりましたが。

都市は経験値を積むなど、両イベントは確かなる足跡を残している。

しかし、思うのです。

単に「人々が集まれば」(主に近郊から)それでヨシとするのか?

人々に集って頂く先に、何があるのか?何を目指すのか?何と結ぶのか?

根本的に、都市が示す「明確なる方向性(目標)」その実現、達成への過程に…

「跡地の活用策」があるわけで。

菓子博やビール・イベントを決して揶揄(やゆ)するモノでなくとも。

生きている間、もう2度と本市へ訪れぬかもしれぬ催しを刹那的に打っては場を繋ぎ。

それでヨシとするならばヨシであれ、ここで再確認。

「世界へ誇るのですよね?」「この広島市を?」

しかも、理想だけを語り、画餅(がべい)に終わるのではなく。

真剣に捉え、目指しているのですよね?世界を?!

正直に申し上げて、世界はそんなに甘くない。

「世界へ誇る」との目標は大いに結構!

やるからには、突き抜けるべきで、皆様で目指そうではありませんか。

世界を舞台に躍進する広島を!

“千里の道も一歩から”

同エリアでの菓子博に消防大会、ビール・イベントも、その貴重なる一歩ですが。

その先です。

冒頭の本田選手の話にあったガガーリンは、50年前に言いました。

「地球は青かった」と。

な、なんとスケールが大きいのでしょう♪

本田選手は「夢は人を大きくする」「夢は人を強くする」の理念の下。

小学生世代の育成にも力を入れ、スクールなどを全国展開していますが。

大人だって、壮大な夢を抱いては。

夢の実現へ向け、ガムシャラに挑戦したって良いじゃない!

約70億人もの人間が存在する地球上において。

ここらで満足していたらば?

世界はおろか、国内大会でも予選落ちです。

現在、広島市は?

歴史が、先人が、後生が、そして何より、現世で「今」を行き抜く人々が注目する中で。

その「本気度」が問われています。

投稿日 : 2013年9月12日
 節操なし 『後編』

 節操なし 『前編』

今週金曜日の9月議会“開会”を前に。

各方面より様々なご意見が私宛に寄せられて参りますので、触れるとします。

旧広島市民球場跡地。

そこで、まずは私見を横に置いては、現在、広島市が掲げている指針から。

本市は「世界に誇れる街」を目指しながら、同跡地に関しては?

根幹となるコンセプトとして「若者を中心とした賑わいの為の場」と設定。

ここへ、将来的に跡地が魅力ある空間として評価して貰えるよう「長期的な視点」。

跡地を含む都心核、都市全体のバランスを考慮、活力を持たせるべく「街づくりの視点」。

この2つの大きな視点から「跡地の活用策を検討する」と。

もう1つ、前提となる「テーマ」が掲げられておりまして、そのテーマとは?

「広島市の個性を生かし、魅力を高める未来志向の場として活用する」であります。

この「個性」とは、いわゆる広島市(跡地)の持つ、特性、特徴。

同跡地は、「戦後復興」に至るまで、本市の歴史を象徴して来た場所であり。

世界文化遺産の「原爆ドーム」に近接しては。

国内外の多くの方々へアピールが出来る、広島市を代表する場所でもある。

また、都心核に位置し、公共交通機関の結節点や平和公園、環境護岸とも近接。

広く人々に利用されている、憩いや交流の場であると。

上記に列挙した点などが「場所の個性」とされ。

「跡地の行方」には、こうした個性を考慮、加味、踏まえなければならない。

ゆえ、この辺りが分類化された項目を大まかに並べるとして。

1.広島市の都市像「国際平和文化都市」の実現に寄与すること

2.広島市の歴史、特性との関連を持たせること

3.広島市の魅力を高める都市機能であること

4.周辺も含めて経済の活性化に寄与すること

5.将来の社会環境の変化に対応するものであること

さて。

ここまでは自らの主観を“一切”介在させる事なく展開して参りましたが。

次に、非常に分かり易いので「レーダーチャート」を用いるとします。

単純に「チャートで出来上がった五角形が大きく…」

「しかもトータルバランスが取れたモノが最優秀!」にあらず。

でも、振り返ってみるとして。

「平和」「被爆地」ばかりを全面に押し出すわけでなくとも。

広島は長崎と並び、世界でも唯一無二の場所であり歴史を背負っている事は確か。

この「必ずや今後へ語り継がねばならぬ歴史」が内在する都市にあり。

歴史に然り、伝統に然り。

長きにわたり、後世まで継承する事は、簡単なる道程ではありません。

そこで。

昔から、それは昔から、当ブログでも議会でも私は発信して参りましたが。

原爆が投下され、沢山の、それは沢山の尊い命が一瞬に奪われ。

誰もが深い悲しみに包まれては。

荒廃した「この先、数十年間は草木も生えぬ」と言われた地において。

将来など見通せず、「今」を必死に行き抜くべく。

広島市は、広島市民は、まさにゼロからのリスタートを強いられる事となります。

その数年後に…

紆余曲折はありながら、市民、財界、行政が一丸となり。

闇夜に天まで真っ直ぐ伸びるカクテル光線で、街に、人々の心に明かりを灯しては。

カープを通じ、歓喜を、感動を、生き甲斐までも市民へ届け続けた。

そう。

ほぼグランドゼロの場所へ、「市民の球場」を生み出したなんて。

何の贔屓目(ひいきめ)もなく、冷静に考えてみたらば?

「奇跡」ですよ。何ら誇張するでなく、間違いなく奇跡です。

世界的にも、凄くないですか?広島の先人って。

世界的にも、誇らしくないですか?広島の先人の取り組みって。

先ほどのレーダーチャートなんかで申せば、全ての項目に関して。

時が刻まれれば、刻まれる程に、その歴史は語り継がれ、希少価値を増して行く。

目盛りなど突き抜けた、世界中で2つと無い五角形が出来上がる事でしょう。

それを…。

阪神の甲子園球場は、旧市民球場よりも30年以上も先輩ながら、現存している。

仙台のKスタは、条例を変えてまで、同じ場所に古い球場を改修しながら新球場を生み出した。

それをさ…。

「受け継がれて来た」に留まらず、長い年月を掛けて市民の無数の手で「育まれて来た」。

世界的で1つの貴重なる歴史と伝統を持つ、誇らしい財産、復興のシンボルを。

深い思慮も、考察も、そして過去への畏敬の念も感謝も忘れ。

「解体」したのです。

「懐古趣味に囚われて、まだ言うか…」

云々のレベルの話ではありません。

先人へ、後生へ、世界へ向けて。

こんな「愚行」って、ちょっとないでしょう。

いくらでも、いくらでも、他に方法はあったのに。

つづく。

投稿日 : 2013年9月11日
 節操なし 『前編』

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