広島市安佐南区から市政を新たに! みんなでいっしょに変えて行きましょう!
石橋竜史(いしばし りゅうじ)の公式Webサイトです。
自宅から。
議会棟へ行き、事務所へ行き、再度、議会棟へ戻り。
議会棟から、区役所へ行き、議会棟へ戻り、再度、事務所へ行く。
事務所から、現場へ出向き、事務所へ戻り、地域へ出向き。
帰宅して、ヨーグルトを食べ、パソコンの前に着席。
ようやく一息♪
1日を、1つの単語で表現するなれば…
「充実」? 「濃縮」? 「生き急ぎ」?
いずれかで間違いないかと(笑)
私ごときが街の為に、地域の未来の為に尽くせるのですから。
考えてみれば、身に余る光栄です。
顧みれば、ここ数週間に大学生や高校生を相手に講演させて頂きました。
そして、有り難きかな、確実に言える学生さん達のリアクションは?
やはり、これだけ多様化しては情報が溢れる時代。
若者は、少々の話では驚きも、それこそ興味も示さない傾向にある。
※勿論、みんながみんなと言わずとも♪
そんな世にあり。
講演で私が喋り始める頃は、学生サイドも「なんだかな…」って感じなのですが。
高校球児の時代、9回裏の2アウトまでリードしながら…
ホームランを打たれてはサヨナラ負けして“最後の夏”が終わった話から始まり。
進学も就職もする事なく。
実際に確認もせずに物件を決め、友人も知人もいない東京へ渡り。
30〜40種のアルバイトの経験しながら…
当時、日本で最大手の芸能プロダクションに所属。
多様なる芸能活動に取り組んでは、向上心を抑え切れずに、観光ビザで渡米。
NYで職探しをしては、結局、最終的にはショービジネスを学んだ後、カナダへ。
ここでは、合法的にラジオのDJとツアーガイドを務め、1年後に帰国。
ここからも、東京や広島で、フリーアナウンサー業に、JリーグのスタジアムDJ業。
1ヶ月を500円で暮らした時期もあれば.
バナナを房(ふさ)で購入して飢えを凌いでいた時代。
妻と結婚した時の月給は6万円でした(笑)
かと思えば。
20代、30代のある時期など、企業の役員ボーナスくらいの月給を稼いでいた、そんな時代も。
そして現在、市議会議員。
こんな波乱万丈なる人生を「珍しい」と表現すれば、明らかに課題評価ですけども。
そこかしこに“存在しない”のは確か…?
否!元WBA世界フライ級の世界チャンピオンにまで上り詰め。
その後、東京都稲城市の市議会議員に当選されては…
現職ながら、現在、専修大学の夜間部に入学され、勉学にまで励まれる32歳。
私と同じ府中町出身の、坂田健史(たけふみ)さんがいらっしゃいました♪
で、話題は戻りますが、ゆえに私の講演が始まり、5分、10分と経過するに連れ。
学生の皆さんが、これは手前味噌で恐縮なれ。
徐々に、話に身を入れて真剣に聴いてくれているのが手に取るように把握できるのです♪
「人生にセオリーなんて無いんだな」って(笑)
と同時に、世界が広い事実。
人間が多大なる可能性を秘めている事実に。
失敗しても“やり直せる”事実。
を、感じ取ってくれていたりもする。
でもでも、石橋竜史の「自伝」で申せば、まだまだ序章から中盤へ。
何も成し遂げていなければ、何も始まってすらいない。
起承転結を築くべく、ここから物語の折り返しを迎え、クライマックスへ向け。
これまた大胆に、色々と挑戦して参る所存です!
投稿日 : 2012年9月25日