インフォメーション

石橋りゅうじ 議会棟控室

Tel.(082)504-2442

スマホ版サイトは以下のQRコードから。

〜栄冠は君に輝く〜

海の日でもあり、二十四節季の大暑でもあり。

ちまたでは4連休の初日でもある、7月の22日。

また中国地方では、コロナウイルスの流行となる「第5波」の入口では?

とも言われ、何かと外出、行動に制限を掛けられる昨今ですが。

若年層を媒介し、徐々に広がる変異株の猛威を軽んずべからずで。

皆様におかれましても、熱中症対策を含め、健康第一。

何卒、ご注意、十分なる警戒の上、ご自愛のほどを。

m(_ _)m

一方、私は本日も朝から議会棟で業務にいそしんでおりますが。

暑さ厳しき折、重ねて連休中につき、こんな日は…

せめて“一服の清涼剤”にでもなればと、四方山話を一つ。

まずは、コチラの写真をご覧下さいまし。

まるで人懐っこい、サマーカットのトイプードルの様な表情を見せる…

坊主頭の高校球児。

そう。この時期(7月)、丁度「31年前の私」です。

夏の甲子園、広島県大会の予選開幕を前に…

誠に僭越ながら「強豪校の主将」として取材を受けまして。

ハイ。彼(私)はまだ、開会式直後の一回戦で。

あの「江夏の21球」でもお馴染み、広島旧市民球場にて。

前年の春の甲子園出場校と対戦し、9回ウラ2アウトまでリードしながら。

“そこから”レフトスタンドへホームランを叩き込まれ…

サヨナラ負けする事を知りません。

そして、彼はまだ。

その敗戦でポッカリ空いた“心の穴”が何カ月間も埋められず。

それ故、同学年550人中、唯一「彼だけ」が進学も就職も決めきれず。

「取り敢えず、見聞を広めよう」と、無計画に上京する事を知らなければ。

知人も無く、コネも夢も貯金も無く。

ひもじく、東京での「孤独な一人暮らし」生活がスタートする事を知りません。

その後に。

当時、国内で最も大きな芸能事務所に所属する事も。

そのまた後に、更なる夢を追い、これまた無計画に単身、渡米する事も。

そこで、言葉や文化の壁にブチ当たり。

顧みれば「上京した当時」よりも孤独な生活が“再スタート”する事も。

北米でラジオ番組のDJを務める事も。

あの無垢な坊主頭の青年。彼は当時、知りません。

ここまで来れば。言わずもがな、彼は。

帰国しては東京へ戻った後。

様々な海外とのギャップに心底、苦悩し。

縁あって、故郷(広島)で喋りはじめ。

Jリーグやサッカー日本代表の試合で喋ったり。

相縁にて、結婚に出産。

行く行くは、選挙にまで立候補しては、31年後の“夏の日”に。

議会棟で黙々と仕事をしている事を。

今一度、知り得るはずもございません。彼は。


『人間万事塞翁が馬』。(にんげんばんじさいおうがうま)

中国地方ならぬ、その昔、本場の「中国」にて。

北部の国境に住む老人(塞翁:さいおう)は、よく「占い」をしていました。

ある日、彼の大事に飼っていた馬が、いつの間にか逃げて居なくなる。

周囲の皆が慰めたが、それを塞翁は「幸運」の前兆と予言。

その後、逃げた馬は、立派な他の馬を連れて帰って来ました。

周囲の皆が祝福すると、今度は塞翁が、これは「不運」の兆しと予言する。

その後、塞翁の息子が連れて来た立派な馬から落ちて、足を骨折してしまう。

周囲の皆が残念に見舞うと、塞翁は「幸運」の印だと、また占う。

そして、息子はケガを負った事により、後に戦争に行かずに済んだ、お話。

つまりは。

人々が遭遇する一見、幸福と感じられる事が、不幸に繋がったり。

逆に不幸であった事が、結果的に幸福へと繋がったりと。

良いも悪いも、人生の変転は極まりなく。

どこか、人生の一部分だけをトリミング。

一時的に切り取っては「全て運命(さだめ)と背負わないで」。

「未来までも諦めないで欲しい」と。切に。

昨日、我が母校が県大会で敗れ。

後輩が(のみならず、世のコロナ禍で煽りを受けている若人も)さぞ。

迷い、気を落としているのではなかろうかと思い。

私も、私で、あの夏から。

紆余曲折の連続となる、ノンフィクションの物語は続いておりまして。

人間万事塞翁が馬。

兎にも角にも、本格的な夏の到来ですね。

とどのつまり、何卒。

Have a great life! 素晴らしき人生を!

Boys&Girls! 世の若人達よ!

投稿日 : 2021年7月22日
〜栄冠は君に輝く〜

一本気

私なんぞ、この期に及んで…

ロマンティストを気取るわけではございませんけども。

梅雨が明け、大好きな青空を目にしますと?

頭の中で「美しく青きドナウ」がプレイされ。

気持ちが昂(たかぶ)り、どこか心はワルツを踊り。

滔々(とうとう)と流れる一級の河川と、込み込みで。

つい。(そんな日は昔から)写真を撮ってしまいます。

嗚呼、今日も何と美しきかな、この広島市。

(↑本日12時に撮影)

こうした文章を率直に綴りながら、そんな私は。

このコロナ禍にあって、決して緊張感を欠いているのではなく。

生真面目に四角四面の文章ばかりが続きますと。

“閲覧して下さる側”まで汲々(きゅうきゅう)としてしまう故に。

冒頭より、生活のアクセントに閑話を一つ挿入したまで。

そこで。

本日13時から開会されたるは、6月の人事(移動)の後に。

初会合となりました、常任委員会。

私の所属は、事前からの希望が叶い、この度も「建設」委員会へ。

(総務、消防上下、文教、経済観光環境、厚生、建設と6種の委員会あり)

顧みれば、初当選より今日までに「11回」ほど…

「どこの委員会に籍を置きたいのか?」問われ都度、希望を出し。

(常任委員会の任期は1年)

叶う時もあれば、1つの委員会に希望者が殺到して、叶わぬ時も。

(各委員会メンバー9人×6委員会=広島市議会議員54人)

しかし、記憶に間違いが無ければ、おそらく11回の中…

8回は建設委員会に所属しているのではないかと。

ちなみに、私が一期の頃。先輩議員より…

「常任委員会の任期は1年で、議員の任期は一期4年」

「つまりは議員の任期中、最大で4種の委員会に所属が可能となるので」

「毎年、所属を変更しては様々な委員会を経験すべき」。

こうしたアドバイスを頂戴したモノです。

しかし、私は。

あらゆる分野に広く浅く精通した、万能なる「ジェネラリスト」よりも。

一つのジャンルを深く極める「スペシャリスト」を目指したかったので。

兎にも角にも“建設”委員会に希望を出しては所属、活動して参りました。

当然、過去の本会議や各所での発言・提言にもあります通り、私は?

コレまで建設関連の案件「のみ」取り組んでいる、にあらず。

教育や環境、経済に子育て財政、etc。

多様なる分野をまたぎ、様々な案件に取り組んで来たのは、言うまでも無く。

しかし、繰り返しとなれ、所属は建設。

引き続き、建設。

1回1回、目の前の機会を大事に。

真摯に、ひたむきに。

今後も委員会へ臨んで参る所存です。

投稿日 : 2021年7月19日
一本気

悠久の時の狭間に

本日、午前中。

スタジアム建設に伴い、現在「埋蔵文化財発掘調査」が行われている…

“中央公園広場”を視察して参りました。

ちなみに、年間を通じて「ほぼ毎日」自宅と議会棟を往復する私は?

必ずや往路に復路“ここ”を通過するので、日常の延長ではありますけども。

この度は、担当職員さんや専門家からの説明を伺うべく、改めて同公園へ。

つきましては、折角の機会でもありますので。

今一度、ここに同エリアの歴史を簡単に振り返ってみたらば。

栄えた城下町から明治時代以降は、県庁の前身となる官公街をはじめ。

城郭部の殆が多様なる機能を擁した軍用地に変わるなど。

“軍都”として発展して来たのは、多くの人々がご承知のところ。

(大本営や臨時帝国議会も立地されるなど非常に稀有なる場所)

ゆえに、近代史に於いてもサッカースタジアム建設予定地は?

最近、高頻度に報じられている通り、旧陸軍の輸送部隊となる…

「輜重(しちょう)兵補充隊」の兵舎や厩舎が存在した場所でした。

そして、戦後は復興計画として「公園緑地拡大整備」が謳われ。

基町地区の大半を「中央公園」化すべく、都市計画を決定。

しかし、終戦直後の「応急的な措置」として、次々に住宅を建設して…

行ったのですが、応急の状態が長年にわたり継続されましたので。

中央公園の一部を「団地」(住宅施設)として集約、認める事に。

コレが、現在の基町住宅ですね。つまりは。

『城下町→軍用地→被爆で焼野原と化した後→住宅地→公園広場』。

“スタジアム建設予定地”は、こうした歴史を辿って来た背景があると。

話は現代に戻り、2020年7月1日から2022年の3月まで(予定)の間。

「埋蔵文化財発掘調査」が行われており、現在は、その最中に。

重ねて、スタジアムの「ピッチ(フィールド)部分」は、駆体(建物)として…

地盤へ多大なる重量負荷が掛かりませんので。

相応の重量を支えようと杭の打たれる「観客席」(予定)の下部を。

「貴重な埋蔵物が存在しては、破壊してはならぬ」と、上記の通り。

調査が実施されている次第です。

なにも、昨日、今日にあらず。

私もサッカースタジアムの建設が前述の場所に決定後。

(決定前も長きにわたりて、勿論ながら)

改めて、様々な文献等を読み返しては、歴史を再勉強した次第ですが。

古(いにしえ)より連綿と受け繋がれる人々の営みに…

本日も深い感慨を覚え。

市長も口にされておりましたけども。

何らかの形で後世に残し、伝えて行けますよう。

今後とも取り組んで参る所存です。

※写真の中、多く見られる「石畳」は、厩舎(きゅうしゃ:馬小屋)に隣接した、軍馬の「水飲み場」跡。

投稿日 : 2021年7月16日
悠久の時の狭間に

最近の記事