海の日でもあり、二十四節季の大暑でもあり。
ちまたでは4連休の初日でもある、7月の22日。
また中国地方では、コロナウイルスの流行となる「第5波」の入口では?
とも言われ、何かと外出、行動に制限を掛けられる昨今ですが。
若年層を媒介し、徐々に広がる変異株の猛威を軽んずべからずで。
皆様におかれましても、熱中症対策を含め、健康第一。
何卒、ご注意、十分なる警戒の上、ご自愛のほどを。
m(_ _)m
一方、私は本日も朝から議会棟で業務にいそしんでおりますが。
暑さ厳しき折、重ねて連休中につき、こんな日は…
せめて“一服の清涼剤”にでもなればと、四方山話を一つ。
まずは、コチラの写真をご覧下さいまし。
まるで人懐っこい、サマーカットのトイプードルの様な表情を見せる…
坊主頭の高校球児。
そう。この時期(7月)、丁度「31年前の私」です。
夏の甲子園、広島県大会の予選開幕を前に…
誠に僭越ながら「強豪校の主将」として取材を受けまして。
ハイ。彼(私)はまだ、開会式直後の一回戦で。
あの「江夏の21球」でもお馴染み、広島旧市民球場にて。
前年の春の甲子園出場校と対戦し、9回ウラ2アウトまでリードしながら。
“そこから”レフトスタンドへホームランを叩き込まれ…
サヨナラ負けする事を知りません。
そして、彼はまだ。
その敗戦でポッカリ空いた“心の穴”が何カ月間も埋められず。
それ故、同学年550人中、唯一「彼だけ」が進学も就職も決めきれず。
「取り敢えず、見聞を広めよう」と、無計画に上京する事を知らなければ。
知人も無く、コネも夢も貯金も無く。
ひもじく、東京での「孤独な一人暮らし」生活がスタートする事を知りません。
その後に。
当時、国内で最も大きな芸能事務所に所属する事も。
そのまた後に、更なる夢を追い、これまた無計画に単身、渡米する事も。
そこで、言葉や文化の壁にブチ当たり。
顧みれば「上京した当時」よりも孤独な生活が“再スタート”する事も。
北米でラジオ番組のDJを務める事も。
あの無垢な坊主頭の青年。彼は当時、知りません。
ここまで来れば。言わずもがな、彼は。
帰国しては東京へ戻った後。
様々な海外とのギャップに心底、苦悩し。
縁あって、故郷(広島)で喋りはじめ。
Jリーグやサッカー日本代表の試合で喋ったり。
相縁にて、結婚に出産。
行く行くは、選挙にまで立候補しては、31年後の“夏の日”に。
議会棟で黙々と仕事をしている事を。
今一度、知り得るはずもございません。彼は。
『人間万事塞翁が馬』。(にんげんばんじさいおうがうま)
中国地方ならぬ、その昔、本場の「中国」にて。
北部の国境に住む老人(塞翁:さいおう)は、よく「占い」をしていました。
ある日、彼の大事に飼っていた馬が、いつの間にか逃げて居なくなる。
周囲の皆が慰めたが、それを塞翁は「幸運」の前兆と予言。
その後、逃げた馬は、立派な他の馬を連れて帰って来ました。
周囲の皆が祝福すると、今度は塞翁が、これは「不運」の兆しと予言する。
その後、塞翁の息子が連れて来た立派な馬から落ちて、足を骨折してしまう。
周囲の皆が残念に見舞うと、塞翁は「幸運」の印だと、また占う。
そして、息子はケガを負った事により、後に戦争に行かずに済んだ、お話。
つまりは。
人々が遭遇する一見、幸福と感じられる事が、不幸に繋がったり。
逆に不幸であった事が、結果的に幸福へと繋がったりと。
良いも悪いも、人生の変転は極まりなく。
どこか、人生の一部分だけをトリミング。
一時的に切り取っては「全て運命(さだめ)と背負わないで」。
「未来までも諦めないで欲しい」と。切に。
昨日、我が母校が県大会で敗れ。
後輩が(のみならず、世のコロナ禍で煽りを受けている若人も)さぞ。
迷い、気を落としているのではなかろうかと思い。
私も、私で、あの夏から。
紆余曲折の連続となる、ノンフィクションの物語は続いておりまして。
人間万事塞翁が馬。
兎にも角にも、本格的な夏の到来ですね。
とどのつまり、何卒。
Have a great life! 素晴らしき人生を!
Boys&Girls! 世の若人達よ!
投稿日 : 2021年7月22日
『〜栄冠は君に輝く〜』
私なんぞ、この期に及んで…
ロマンティストを気取るわけではございませんけども。
梅雨が明け、大好きな青空を目にしますと?
頭の中で「美しく青きドナウ」がプレイされ。
気持ちが昂(たかぶ)り、どこか心はワルツを踊り。
滔々(とうとう)と流れる一級の河川と、込み込みで。
つい。(そんな日は昔から)写真を撮ってしまいます。
嗚呼、今日も何と美しきかな、この広島市。
(↑本日12時に撮影)
こうした文章を率直に綴りながら、そんな私は。
このコロナ禍にあって、決して緊張感を欠いているのではなく。
生真面目に四角四面の文章ばかりが続きますと。
“閲覧して下さる側”まで汲々(きゅうきゅう)としてしまう故に。
冒頭より、生活のアクセントに閑話を一つ挿入したまで。
そこで。
本日13時から開会されたるは、6月の人事(移動)の後に。
初会合となりました、常任委員会。
私の所属は、事前からの希望が叶い、この度も「建設」委員会へ。
(総務、消防上下、文教、経済観光環境、厚生、建設と6種の委員会あり)
顧みれば、初当選より今日までに「11回」ほど…
「どこの委員会に籍を置きたいのか?」問われ都度、希望を出し。
(常任委員会の任期は1年)
叶う時もあれば、1つの委員会に希望者が殺到して、叶わぬ時も。
(各委員会メンバー9人×6委員会=広島市議会議員54人)
しかし、記憶に間違いが無ければ、おそらく11回の中…
8回は建設委員会に所属しているのではないかと。
ちなみに、私が一期の頃。先輩議員より…
「常任委員会の任期は1年で、議員の任期は一期4年」
「つまりは議員の任期中、最大で4種の委員会に所属が可能となるので」
「毎年、所属を変更しては様々な委員会を経験すべき」。
こうしたアドバイスを頂戴したモノです。
しかし、私は。
あらゆる分野に広く浅く精通した、万能なる「ジェネラリスト」よりも。
一つのジャンルを深く極める「スペシャリスト」を目指したかったので。
兎にも角にも“建設”委員会に希望を出しては所属、活動して参りました。
当然、過去の本会議や各所での発言・提言にもあります通り、私は?
コレまで建設関連の案件「のみ」取り組んでいる、にあらず。
教育や環境、経済に子育て財政、etc。
多様なる分野をまたぎ、様々な案件に取り組んで来たのは、言うまでも無く。
しかし、繰り返しとなれ、所属は建設。
引き続き、建設。
1回1回、目の前の機会を大事に。
真摯に、ひたむきに。
今後も委員会へ臨んで参る所存です。
投稿日 : 2021年7月19日
『一本気』
本日、午前中。
スタジアム建設に伴い、現在「埋蔵文化財発掘調査」が行われている…
“中央公園広場”を視察して参りました。
ちなみに、年間を通じて「ほぼ毎日」自宅と議会棟を往復する私は?
必ずや往路に復路“ここ”を通過するので、日常の延長ではありますけども。
この度は、担当職員さんや専門家からの説明を伺うべく、改めて同公園へ。
つきましては、折角の機会でもありますので。
今一度、ここに同エリアの歴史を簡単に振り返ってみたらば。
栄えた城下町から明治時代以降は、県庁の前身となる官公街をはじめ。
城郭部の殆が多様なる機能を擁した軍用地に変わるなど。
“軍都”として発展して来たのは、多くの人々がご承知のところ。
(大本営や臨時帝国議会も立地されるなど非常に稀有なる場所)
ゆえに、近代史に於いてもサッカースタジアム建設予定地は?
最近、高頻度に報じられている通り、旧陸軍の輸送部隊となる…
「輜重(しちょう)兵補充隊」の兵舎や厩舎が存在した場所でした。
そして、戦後は復興計画として「公園緑地拡大整備」が謳われ。
基町地区の大半を「中央公園」化すべく、都市計画を決定。
しかし、終戦直後の「応急的な措置」として、次々に住宅を建設して…
行ったのですが、応急の状態が長年にわたり継続されましたので。
中央公園の一部を「団地」(住宅施設)として集約、認める事に。
コレが、現在の基町住宅ですね。つまりは。
『城下町→軍用地→被爆で焼野原と化した後→住宅地→公園広場』。
“スタジアム建設予定地”は、こうした歴史を辿って来た背景があると。
話は現代に戻り、2020年7月1日から2022年の3月まで(予定)の間。
「埋蔵文化財発掘調査」が行われており、現在は、その最中に。
重ねて、スタジアムの「ピッチ(フィールド)部分」は、駆体(建物)として…
地盤へ多大なる重量負荷が掛かりませんので。
相応の重量を支えようと杭の打たれる「観客席」(予定)の下部を。
「貴重な埋蔵物が存在しては、破壊してはならぬ」と、上記の通り。
調査が実施されている次第です。
なにも、昨日、今日にあらず。
私もサッカースタジアムの建設が前述の場所に決定後。
(決定前も長きにわたりて、勿論ながら)
改めて、様々な文献等を読み返しては、歴史を再勉強した次第ですが。
古(いにしえ)より連綿と受け繋がれる人々の営みに…
本日も深い感慨を覚え。
市長も口にされておりましたけども。
何らかの形で後世に残し、伝えて行けますよう。
今後とも取り組んで参る所存です。
※写真の中、多く見られる「石畳」は、厩舎(きゅうしゃ:馬小屋)に隣接した、軍馬の「水飲み場」跡。
投稿日 : 2021年7月16日
『悠久の時の狭間に』