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石橋竜史(いしばし りゅうじ)の公式Webサイトです。
本日、午前中。
スタジアム建設に伴い、現在「埋蔵文化財発掘調査」が行われている…
“中央公園広場”を視察して参りました。
ちなみに、年間を通じて「ほぼ毎日」自宅と議会棟を往復する私は?
必ずや往路に復路“ここ”を通過するので、日常の延長ではありますけども。
この度は、担当職員さんや専門家からの説明を伺うべく、改めて同公園へ。
つきましては、折角の機会でもありますので。
今一度、ここに同エリアの歴史を簡単に振り返ってみたらば。
栄えた城下町から明治時代以降は、県庁の前身となる官公街をはじめ。
城郭部の殆が多様なる機能を擁した軍用地に変わるなど。
“軍都”として発展して来たのは、多くの人々がご承知のところ。
(大本営や臨時帝国議会も立地されるなど非常に稀有なる場所)
ゆえに、近代史に於いてもサッカースタジアム建設予定地は?
最近、高頻度に報じられている通り、旧陸軍の輸送部隊となる…
「輜重(しちょう)兵補充隊」の兵舎や厩舎が存在した場所でした。
そして、戦後は復興計画として「公園緑地拡大整備」が謳われ。
基町地区の大半を「中央公園」化すべく、都市計画を決定。
しかし、終戦直後の「応急的な措置」として、次々に住宅を建設して…
行ったのですが、応急の状態が長年にわたり継続されましたので。
中央公園の一部を「団地」(住宅施設)として集約、認める事に。
コレが、現在の基町住宅ですね。つまりは。
『城下町→軍用地→被爆で焼野原と化した後→住宅地→公園広場』。
“スタジアム建設予定地”は、こうした歴史を辿って来た背景があると。
話は現代に戻り、2020年7月1日から2022年の3月まで(予定)の間。
「埋蔵文化財発掘調査」が行われており、現在は、その最中に。
重ねて、スタジアムの「ピッチ(フィールド)部分」は、駆体(建物)として…
地盤へ多大なる重量負荷が掛かりませんので。
相応の重量を支えようと杭の打たれる「観客席」(予定)の下部を。
「貴重な埋蔵物が存在しては、破壊してはならぬ」と、上記の通り。
調査が実施されている次第です。
なにも、昨日、今日にあらず。
私もサッカースタジアムの建設が前述の場所に決定後。
(決定前も長きにわたりて、勿論ながら)
改めて、様々な文献等を読み返しては、歴史を再勉強した次第ですが。
古(いにしえ)より連綿と受け繋がれる人々の営みに…
本日も深い感慨を覚え。
市長も口にされておりましたけども。
何らかの形で後世に残し、伝えて行けますよう。
今後とも取り組んで参る所存です。
※写真の中、多く見られる「石畳」は、厩舎(きゅうしゃ:馬小屋)に隣接した、軍馬の「水飲み場」跡。
投稿日 : 2021年7月16日
『悠久の時の狭間に』