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石橋りゅうじ 議会棟控室

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根幹

昨日アップする予定のブログが結局、ドタバタして更新できなかったゆえ。

「11月11日」分の内容を本日(12日)遅ればせながらココに。

1の並ぶ今日は“いい日”にかけて「介護の日」に定められていたりします。

そして「介護」分野の話を膨らませてみますと。

現在、4人に1人が65歳以上の日本にあって、到来したるは「超高齢」社会。

65歳以上の高齢者が、全人口の「7%」を超えると「高齢化」社会。

「14%」を超えると「高齢」社会で、21%を超えると先述した「超高齢」の社会。

顧みれば、日本の「高齢化」の兆しが顕著になり始めたのが1970年代ですが。

その「高齢化」から「高齢」社会へ突入するにあたり用いた年月は、およそ24年。

同様にドイツが用いた年月が「42年」でフランスが「114年」ですから。

如何に日本が「高速で高齢」化しているのかが分かり得ます。

ちなみに米国は未だ「高齢化」社会ですが、日本の様に年代別の人口割合が?

見事な「逆三角形」(また今後も、より逆三角形が顕在化する)にあらず…

米国の場合、比較的「ドラム缶」型に近く。

(一昔前のデータとなりますが、あくまで目安となる参考までの図)

しかも前?大統領の政策により「移民」にはかなり制限が掛けられながら。

この度の新大統領により揺り戻しも生じるでしょうから、日本国が抱える様な…

「少人数で多くの高齢者を支えなければ」との構図には、陥り難い一面も。

と、米国の話は別に、例えば「認知症」にしても「要支援・要介護者」にせよ。

65歳から70歳、続いて80歳を迎えるにあたり、つまりは「加齢」にあたり。

“飛躍的”に該当者が急カーブ(右肩上がり)で増加するのは周知の通りで。

現在「人材の奪い合い」となっている介護職員さんなどは?

団塊の世代が後期高齢者となる2025年では、約38万人。

団塊ジュニアの世代が高齢者となる2035年には、約80万人も…

「不足する」と推測されています。

社会に必要不可欠な「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれる職種の方々が。

うぅむ。

高齢者の場合は、一つのケガ(骨折等)を機に、そこが入口となりて。

多様なる支援や介護を受け“始める”ケースも少なくなく。

一般的に、30歳代の筋肉は、60歳代を迎えると「4割も減る」と言われます。

とどのつまり、私も団塊ジュニアの世代を構成する1人であり。

既に体の枝葉にはガタが見られますけども、やはり根と幹の部分が大事ゆえ。

心掛けるは「百の治療よりも一つの予防」。

引き続き“適度”な運動は継続して参る所存です。

投稿日 : 2020年11月12日
根幹

触れないのも不自然なので、ご容赦を

私事で誠に恐縮ですが本日、誕生日を迎えては49歳になりました。

そして改めて「お蔭様」の一語に尽きますけども。

人と人との出会いや繋がりとは、かくも有り難く。

この度も何百通と、多くの人々より祝福のメッセージを頂戴しており。

誠に、誠に有り難うございます!

繰り返しとなれ、日々を精一杯、活動させて頂けるのは「お蔭様」であり。

しかしながら、なにぶんにも「まだまだ未熟」なモノですから。

引き続き、皆様方のご指導、ご鞭撻を賜れれば望外の幸いです。

今後とも稲穂のようにたくましく、また実らずとも。

私なんぞは柔らかく頭を垂れながら。

研鑽を積み、精進を重ねて参る所存です。

取り急ぎ、心からの感謝を込めて、お礼まで。

投稿日 : 2020年11月09日
触れないのも不自然なので、ご容赦を

人間万事塞翁が馬と捉え

米大統領選挙が大詰めを迎えては。

晩秋の候、ある種の懐かしい“肌寒さ”を覚えながら、この依然と続くコロナ禍にあって…

誰もが懸命に日々を送る。こうした折。

唐突に、政治や議員活動とは無関係となるパーソナルな話題を持ち出して誠に恐縮ですが。

アレは約2週間前の話。

いつもの様に、朝から自転車で議会棟へ向かっていると、真横から大通りへ…

飛び出して来た自転車と激しく衝突しまして、私は2mほど吹っ飛びアスファルトに叩きつけられ。

この年齢になって初めての経験となりましたが、全身を強打しすぎて直ぐに呼吸が出来ない。

衝突した相手方が「大丈夫ですか?」「救急車を呼びましょうか?」と、私へ連呼されながら。

決して大袈裟に振る舞うでなく、私としては「頼むから今は話しかけないでplease」の状態が続き。

結局、現場検証でパトカーが到着するまでの間、地面にひれ伏したまま全く起き上がれませんでした。

勿論、ひとたび公道に繰り出しているのですから、かつ私も緩やかな下り坂を抜け切った刹那。

一切合切を相手方の責任にするつもりなど毛頭ございませんけども、なにぶん今回は。

衝突されては破れたスーツのヒザ部分と大きく削られた自転車のフレーム部分でも分かる通り。

直進している自転車に左真横から突っ込まれたので正直、衝突して飛ばされるまで。

相手方も見えていなければ、何が起こったのかが分からず、幸いにも、本当に幸いにも。

飛ばされて「ヘッドスライディング」の格好になりながら瞬時、両方の手のひらをついて最大限。

“踏ん張った”と申しましょうか、全身の打撲を食い止めたので、大怪我までには至らず。

しかし、ヒジ、ヒザ、股関節と打身の打撲傷が幾重にも見られ、病院での診断結果は全治○週間。

今日現在も、各所が痛かったり、していたりも。(外見、誰にも気づかれぬほど至って元気ですが)

そこで何故、プライベートの事故を此処で切り売りしているかと付言したらば。

冗談ではなく。

「守られている!」「強い守護霊の存在を感じずにはいられなかった!」と痛感する一方。

平素より“一日一生”後悔せぬよう日々を懸命に送って来た自負はあれど、改めて。

誰しも「明日」を約束された者などおらず、日々を、人々との触れ合い、交流を、一瞬一瞬を。

大事にしなければ。と。

誇張するでなく「これは人間って突然に逝くのも不思議ではない」と身をもって実感した次第です。

また、この一連により“悟りの境地”を拓いた、なんて所まで話は飛躍せずとも。

いつも自転車で通い慣れた安佐南区や中区の風景が…

アラスカを流れる大河やペルーの夕闇に見えて来るから、心境たるやコレ不思議。

(フザケているのではなく、あくまで用いる一つの比喩です)

取るに足らない話にお付き合いを頂き、甚だ申し訳なく感じながら、でもでも。

「今日」や「家族」に「友人知人」、訪れる「機会」は、当たり前ではございません。

今一度、繰り返しますけども、大事にしなければと。

そんな現在、午前4時55分也

投稿日 : 2020年11月05日
人間万事塞翁が馬と捉え

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