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諸行は無常

早いもので。

新年度に突入したかと思えば「16日」を迎えております。

また。

遅咲きであった今年の桜も徐々に散りはじめ…

そこかしこに季節の移ろいが見え隠れ。

つい先日も。

どなたかの“肩に乗って”エントリーをはたしたのか?

はたまた。

日々、東奔西走してはすり減っていく議員の靴底から離脱…

潜入したのか?

議会棟の2階へ上がる階段の途中に…

桜の花びらが一片。

何かコチラの妄想、想像力を掻き立てる不意なるワンシーンに?

思わず「おしとやかで饒舌ぅ♪」

と、スマホのシャッターを切ってしまいました。

嗚呼。

誠に“どうでもいい話”の極み、何卒、ご海容くださいまし。

でも。だって。通常。

花びらを数える際は、1枚、2枚ですけども。

“舞い散る”花びらの時は、一片(ひとひら)と数えるんですもの。

何?何なの?!この日本ならではの風情をたしなむ美しい表現♪

とかくギスギスしたニュースが世を席巻する昨今にあって。

草花を、緑の木々を、風を、自然を、大空を。

愛でる(めでる)心の“ゆとり”を忘れたくないものです。はい。

さて。話は変わり。

先だっての本市の広報紙「市民と市政」でも。

子育て世代へ向けた“試行的”事業実施の案内が掲載され。

加えて、その「4月15日号」では“実施施設”につきまして…

「4月中旬に市のホームページでお知らせします」とありましたが。

この辺り、改めて此処でフォローしておきたいと存じます。コチラ。↓

言わずもがな、一義的には“ご家庭”であろうとも。

やはり。

子どもたちは「社会」で育てていくもの。

この「社会」を「皆さま」と換言しても間違いではありません。

それこそ、どなたに限らず“我が子”のケースでは?

たとえば「義務教育」にせよ、その一連の過程に発生する教育費…

全額を「個人」(保護者のみ)で負担してきたわけではなく。

今一度、繰り返せば。

応分なる「社会全体のサポート」があってこそ。

そして、つい忘れがちになってしまうのは?

「これから少子高齢化の大変な時代に突入していく」にあらず。

「既に渦中へ何歩も足を踏み入れている」事実。

医療、介護、年金、等々のシステムに留まらず。

環境にせよ、国の安全保障にしても。うぅむ。

狭い国内で互いに足を引っ張り合って疲弊している場合では…

ないのです。

「既に」。なのですから。

ただし。

油断、ならぬ…

「悲観」は大敵。

ふと立ち止まり。ふと見渡せば。

桜からバトンを受け取ったであろう…

ツツジが議会棟周辺で咲き誇っておりました。

公共心も胸に、皆で上を向いて歩けば…

It’s gonna be alright!

ですね。

(^_-)☆

投稿日 : 2024年4月16日
諸行は無常

たとえ月イチであろうとも

瞬く間に日々が過ぎていくのですが、本日は?

「月に1度」の子ども食堂の日。

折角の機会”ここ”について、ちょっと語ってみたいと存じます。

顧みれば、あのコロナ禍。

地域の有志と地域のために。

「何かできないか?」会議を重ね、模索した結果。

当時、選択しては辿り着いた場所が、この子ども食堂でした。

補足までに…

「困窮家庭の子どもに何とか食事を届けたい」となれば?

そう。特定の子ども達へ対して「スティグマ」を生じさせてしまう。

(スティグマ:社会集団によって特定個人に押し付ける差別や偏見などネガティブなレッテル)

ゆえに、昨今。全国的にも急拡大する子ども食堂にあって、本来の趣旨。

「大人のみならず、子ども『も』気軽に足を運べる地域の食堂」を掲げ。

他方。

「世のために何かしたい」「でも」「そもそも場所や、そのキッカケがない」

と、平素より抱いている方々が各方面(地域内)には非常に多く存在し。

おこがましくも”そこ”へ活動の舞台を設置したい意味も多分にあって。

相応の準備を重ねては、出発したのが1年半前。

事前、大々的に告知しても?

あまりに多くの人々がいらっしゃると、かえって対応しきれずに…

ご迷惑を掛けてしまう。

当初。その船出たるや、かくも静かなモノでした。

初回開催に訪れてくださった人々は40人くらいであったでしょうか。

そして、本日。

継続とは力なり。

で。

午前11時のオープンより常に形成される待機の列、列、列で。

トータル。

ご提供させていただいたカレーの数、約180食と過去最高を記録。

食堂を閉じる頃には、スタッフも皆、心地よい疲労感に包まれながらも…

さすがに、ヘトヘト。

ついては毎回、片付け前にスタッフ全員で輪になって反省会を行うのですが。

この度など、営業中に多くのスタッフが…

それは多くの「感謝の意」を面と向かって告げられており。うむ。

たとえば?

「この月に一度の子ども食堂を本当に楽しみにしているんです」

と、告げてくださる年配のおばさま。(複数人)

「次も必ず来るので、次回の開催日を教えてください」

と、問うてくださる大学生。

「この食堂が無くなると困るので、どうか続けてください」

と、熱く語ってくれる高校生。

(本日など小学生だけのグループできてくれたのは嬉しかったな)

繰り返しますと。

我々は、どこか「月に1度しか」できず…

との思いが強いところはあれ、その月に1度を。

特にご年配のリピーターの方々など心底、楽しみにしてくださっており。

それは?

やはり。

地域内には、いわゆる”単身高齢者”の方々も多く。

「外出する理由」と「人と対話する喜び」があるから。

と、率直な心情を吐露されます。

うん。

お礼を申し上げたいのはスタッフ一同、こちらの方であり。

謹んで、お釣りがくるほど受け取っております。そのご厚情。

しかも。

こうした「つながり」を実感したスタッフが…

それこそ「暖簾(のれん)分け」ではありませんけども。

小規模ながら、他の場所でも新たに食堂を立ち上げたりと。はい。

地道であれ着実に「輪」が広がっている次第。

潜在的な需要を掘り起こすには、まず…

自らがスコップを持つべし。

キッカケと空間づくりを、引き続き♪

投稿日 : 2024年4月14日
たとえ月イチであろうとも

偶然 or 必然?

以前も当ブログにて。

国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子氏の言葉を取り上げました。


制度や法よりも前に

まずは人間を大事にしないといけない

耐えられない状況に人間を放置しておくということに

どうして耐えられるのでしょうか

そうした感覚をヒューマニズムと呼ぶなら

それはそれで一向にかまいません

でも そんな大それたものではない

人間としての普通の感覚なのではないでしょうか

見てしまったからには

何かをしないとならないでしょう?

したくなるでしょう?

理屈ではないのです

自分に何ができるのか

できることに限りはあるけれど

できることから始めましょう


そして、私は。

議員云々にあらず、まずは一人の社会人として。

眼前の“良し悪し事象”に対して、決して「不感症になってはならない」。

言い換えれば、常に「己の感受性を磨き、曇らせてはならぬ」と感じており。

しかし、有り体な物言いを持ち出せば、時に。

「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」と言う。なんて表現もある通り。

亡くす心の中身たるや?

「喜怒哀楽」なのか「初心」なのか「真心」なのかは定かでなくとも。

やはり、亡くしてならぬモノは、亡くしてはならず。

しかし、“そこ”を忘れかけてしまうことがあるのも実際の話。

そこで。私は。

平素から「心の潤い保湿」用に。また、「けば立ってきた心の修復」用に。

多様なる「新聞記事」等を大量にストックしています。

そう。いつでも目を通して己の“心の(感受性の)回復”が図られるように。

つい前置きが長くなってしまいましたけども。で。

午前11時あたり、デスクワークの最中に偶然、上記ストックの中の…

“一つの記事”が目に留まりまして、つい手に取り読み進めてしまうと。

懸命に我慢しながら、もう涙が止まりません。

(周囲が不在で誰にも気づかれませんでした)

改めて。

「嗚呼、忘れてはならないな」「この感情を」

と、再認識。

ついては、同記事をご紹介させていただきます。

どうかゆっくりでも構いません。

コチラの2ページにわたる記事に目を通してくださいまし。


『2023年10月22日 毎日新聞 朝刊より』

読後感を大切にしたいので、ここからは多くを補足いたしません。

けども、そんな折。

私のタブレットには、登録してはプッシュ型でお知らせの届く…

“現在の献血状況”が。

では、結びに。

今一度、緒方貞子氏の言葉を。


理屈ではないのです

自分に何ができるのか

できることに限りはあるけれど

できることから始めましょう

投稿日 : 2024年4月10日
偶然 or 必然?

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