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白河の関越え

少し政治から離れた話題となりますけども。

実際に「元高校球児だから」を問わず。

触れられずにはいられない、この感動。

第104回全国高校野球選手権大会の決勝が甲子園球場で行われ。

仙台育英(宮城)が8対1で下関国際(山口)を破り。

東北勢としては、春・夏を通して「初」の全国制覇を成し遂げました。

ちなみに、1915年大会(大正4年)の第1回大会にて…

「秋田中」が準優勝して以来、東北勢の決勝進出は過去9回。

しかし、いずれも「深紅の優勝旗」を東北へ持ち帰る夢は叶わず。

(春の選抜を含めると13度目の挑戦&春は「紫紺」の優勝旗)

まさしく“悲願達成”となった訳ですが、そこへ勝るとも劣らず。

私が「感動」と表現したのは、何よりも“試合後”の話。

勝利監督インタビュー、その内容にありました。

折角ですので、仙台育英「須江航」(すえ・わたる)監督の優勝インタビュー。

その「クライマックス」までの全文を。

決して長文ではありませんので、是非ご覧下さいまし。


インタビュアー(以下・イ):「初優勝おめでとうございます」

須江航監督(以下・須):「宮城の皆さん、東北の皆さん、おめでとうございます」

イ:「ゲームセットの瞬間、少し目元を押さえていらっしゃいましたが、どんな思いでしたか?」

須:「100年 開かなかった扉が開いたので、多くの人の顔が浮かびました」

イ:「宮城の皆さん、東北の皆さんの夢が叶いましたね」

須:「準決勝で勝った段階で、本当に東北や宮城の皆さんから沢山のメッセージを頂いて、本当に熱い思いを感じていたので、それに応えられて何よりです」

イ:「今日の決勝でも素晴らしいバッティングでした。あの二回り目に入った所から相手の変化球を積極的に振っていった様に見えましたが、どんな狙いだったのですか?」

須:「いや、前半はあの古賀君も凄く良いピッチングしていたので、焦りはありませんでしたけど、本当に翻弄されている感じでした。でも、ここまで宮城県大会の1回戦から培ってきた今年の選手の出来ること、自分達が何をやってきたのか、本当に立ち返って、選手自身がよくやってくれたと思います」

イ:「強力な投手陣5人を擁して、この甲子園でも継投で優勝までに至りましたが、その辺りは如何ですか?」

須:「今日は本当に斎藤がよく投げてくれて、でも県大会は投げられない中で、本当にみんなで繋いで来て、繋いで来て、最後に投げた高橋も、そして今日は投げなかった3人のピッチャーも、スタンドにいる控えのピッチャーも、みんなが繋いだ継投だと思います」

イ:「今年の3年生は入学した時から新型コロナウイルスの感染に翻弄されてきました。それを乗り越えてのこの優勝、3年生達にはどんな言葉をかけたいですか?」

須:「入学どころか多分、おそらく中学校の卒業式もちゃんと出来なくて、高校生活って言うのは何て言うか、僕達大人が過ごして来た高校生活とは全く違うんですね。青春って凄く密なので。でも、そう言うことは全部駄目だ、駄目だと言われて、活動をしていてもどこかでストップが掛かって、どこかでいつも止まってしまう様な苦しい中で、でも本当に諦めないでやってくれたこと。でも、それをさせてくれたのは僕達だけじゃなくて、やっぱり全国の高校生のみんなが、本当によくやってくれて、例えば、今日の下関国際さんもそうですけど、大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんな時でも諦めないで、暗い中でも走って行けたので、本当に全ての高校生の努力のたまものが、ただただ最後、僕達がここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」

※スタンドから万雷の拍手

須:「有り難うございました!」 (深々と礼)


同チームは、地域への感謝を込め。

清掃活動なども続けているとのこと。

もう一つ続けますと。

県大会の準決勝、コロナの集団感染で対戦校が辞退。

その相手校のシンボルカラーである…

オレンジ色の腕時計をつけて指揮にあたった須江監督。

うん。うん。

誠におめでとうございます。

残暑は厳しくとも。

それこそメンデルスゾーンではありませんが。

真夏の世の夢。

夏の甲子園が閉幕すると、そろそろ秋の足音が…

今一度、東北方面の空へ向かって。

Bravo!

投稿日 : 2022年8月23日
白河の関越え

8.20

あの「8.20豪雨災害」から8年が経過いたしました。

此処に当時を顧みますと。

前夜の轟く豪雨から一転、日が昇ると街は別世界に変容しており。

各所で交通規制が行われてる中、私も自転車で現地へ。

「何ができる」訳でもないのですが、まずは現状を把握しなければ。

全壊、半海の家屋など数限りなく。

家屋の上に、流さて来た別の家屋が乗っかっていたりも。

流木や巨岩がそこかしこに散乱し。

未だ、山肌から流れ出る雨水を利用しては。

ご年配の男性が、ご家族なのか、友人知人だったのでしょうか。

泥まみれになったご遺体を懸命に拭いていらっしゃいました。

また、別の場所では。

毛布にくるまれ横たわるご遺体を前に、若い男性が。

茫然と言葉もなく、ただただ立ち尽くしていらっしゃいました。

現場で何が必要なのか。現地で何が不足してるのか。

都度、ヒアリングを行なっては役所へ届け。

そんな役所も、向こうまとまった期間…

不眠不休となるのは明白だったので。

食事も摂れないだろうと、簡易の非常食ゼリーや。

お風呂も入れないだろうと、大量の体拭き(ウェットペーパー)。

等々の職員用物資をお節介ながら、役所へ届けたモノ。

一定の期間が経過した後は。

友人より3トンのトラックを借り受け、これまた友人と。

数多の土嚢袋を運んだりと、とにかく誰彼に限らず。

みんなが一丸となり復旧に着手した、あの夏。

「人の温情」を星の数ほど受ける経験も致しました。

そして当時、間も無く訪れたのが「9月議会」。

何も広島市のみが「内包する諸問題」ではなかったのですが。

「未曾有の災害」に備えて規定、定められていなかった施策や。

組織としても未整備の部分は非常に多く。

私も一般質問にて登壇しては、行政へ向けて。

かなり辛辣な、手厳しい発言を繰り返した事を覚えています。

その後、本市も市民の方々も幾度かの災害の経験しながら。

行政としても地域としても、現在は。

驚くほど飛躍的に防災力が向上した事実は、特筆するまでもなく。

なんの偶然か、あれから丁度8年後の8月20日。

私共は地域の公民館で、地域包括支援センターも交えながら。

「災害時に要支援者の人々を如何にフォローするのか」

闊達に意見を出し合い、体制を強化する会議を行なっていたりも。

全て一足飛びには進みませんが。

一歩ずつ、コツコツと。

自然災害で尊い命が決して奪われぬよう、引き続き、皆様で。

投稿日 : 2022年8月20日
8.20

午前5時〜午前9時までと、その後の話。

甲子園では高校球児たちの熱戦が続いておりますが。

そんな「高校野球記念日」でもある、8月18日の木曜日は?

昨晩から今朝方に掛けて降りました、まとまった雨により。

起床すると、久々に覚えてしまう感覚ですけども「やや肌寒く」。

捕捉いたしますと。

私は何年間も自宅にてエアコンを一切、使用しませんので。

(家族は利用しているので、正確には「自室」にて)

この時期、他者よりも「やや肌寒い」との感覚に“新鮮”であり。

ゆえ、これまた久々に。

決して、干ばつ期に神仏へ降雨を祈願する「水垢離」(みずごり)。

ではありませんけども、通常。

起床後は「32度」のシャワーを浴びるところ、今朝のシャワーは…

「37度」。

ハイ。どうでも良い話の羅列、誠に持って恐縮です。

その後、身支度を整えては自転車で議会棟へ向かう訳ですが。

前述より「久々」の文言を多用しておりますので…

今一度、用いるは久々に。

道すがらの「現況」リポートをさせて頂ければと。

まずは、旧市民球場跡地。

乱暴に表現すれば、「完成へ向けて先ずは掘り返している」。

こんな感じでしょうか。

(無論、詳細にわたる記載は出来ますが、またの機会とし)

続きまして。

着々と工事の進む「新サッカースタジアム」。

端的に表現すれば、「上へ上へと伸びて行く」。

こんな感じでしょうか。

あくまで予定ですけども「10月下旬」あたりを目途に。

「屋根」の部分の工事に移って行くと。

ワクワクが止まりませんね。

そして、我が業務へ。

未だ、行き届かぬ点は多くとも。

衆人環視(周囲の目)が注がれずとも。

私の日々に「さぼる」との思考、発想自体がございませんので。

誠、微力ながら。

多様なる声を上げ続けていらっしゃる方々を1人でも多く救うべく。

本日も、全力投球の方向で。

投稿日 : 2022年8月18日
午前5時〜午前9時までと、その後の話。

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