あの華やかなであり、きらびやかな開幕から32年。
そう。5月15日は「Jリーグの日」。
必然だの偶然だの、そこは計り知れぬところであれど。
言わずもがな、顧みるまでもなく。
今現在の私が「ここ」で暮らし、「ここ」に存在するのは?
Jリーグの影響です。「お蔭」と言い換えても良♪
2000年の「後期」から広島のホームスタジアムで喋り始めた私。
(当時は1シーズンが前期、後期と分かれていました)
しかし、それ以前は東京やカナダで喋っておりまして。
また、育ちは広島であり。
「ご縁」にて再度、20代後半から広島での暮らしが始まってはいましたが。
これは事実として、別に挫折での「都落ち」だったわけではないので(笑)
2000年、2001年、2002年とサンフレのスタジアムDJを務めては。
ホームゲームでの「場内演出」も自分なりに”改革”して構築したゆえ。
2003年は、サンフレとして「初のJ2」シーズンとなりましたけども。
私はシーズン前に…
「また東京に戻って向こうで喋るので、今季で辞めさせてください」
このようにクラブ側へ告げていました。
しかし。そうなんです。
当時、関係者だけに配られた、「PLAY BACK」のDVDで振り返ってみますと。
(あの頃は、ホームゲームで「前の試合の総集編」を上記のタイトルで映像にて流していました)
初のJ2リーグ。
「1年でのJ1復帰」を掲げながらも実際は、本当に苦しい試合の連続でした。
そして、シーズンの終盤、ホームの最終戦にて劇的な勝利を飾り…
大歓喜!
そして、大歓喜!
最後の写真。
表情を隠しては…
感激で号泣する少年、その一コマが「すべて」を物語っています。
「このサポーターの方々と共に、来シーズンも愛するクラブを応援したい」
「J1での更なる飛躍に携わりたい」
翻意。(ほんい:決心を変えること)
私は「辞任の意思」撤回をクラブ側に申し出て。
誠に有り難くもご承諾を頂き。
次のシーズンから…
「都心部に新スタジアムを建設しなければ!」と議員に立候補する…
あの2011年まで、ホームスタジアムでマイクを握り続けた次第であると。
はい。
もし、Jリーグに携わっていなければ。
私は今、どこで何をしていたんだろうか?(笑)
いずれにせよ、草食動物にあらず。
目は前についているのですから、見据えるは「未来」のみ。
とどのつまり。
なんだかんだで。
嗚呼。5月15日はJリーグの日。
感謝
m(_ _)m
投稿日 : 2025年5月15日
『今日は何の日?』