顧みれば、私が高校3年生の時です。
幼少の頃より「野球一筋」で育っては、甲子園予選”最後の夏”を迎え。
9回裏ツーアウトまでリードしながら、そこからの逆転サヨナラ負け。
心にポッカリと大きな穴の空いた私は、どれだけデリケートなのか。
唯一の人生目標を失い、同学年生徒550人のうち。
当時、唯一「私だけ」進学も就職も、つまりは”進路”を決められず。
正確には、卒業までの限られた時間内に新たな目標を定められず。
「まずは見聞を広めよう」と何一つ見通しの無いまま。
着の身、着のまま、上京しました。
そして、何が無いって、当面の住まう「家」がない。
しかし、親類とは、かくも有り難く。
千葉県の姉ヶ崎に「父の兄」がいらっしゃり、そこへ泊めてもらっては。
毎朝、内房線に揺られて数十分。東京の都心部へ”家探し”に出向き。
空振りに終わっては夜を迎え、千葉に帰ってくる日々の繰り返し。
でも、ホント救われたのは。
お兄様夫婦が非常に温かいお人柄で、夕食を一緒に囲んでは。
常に笑顔で、それは色んなお話をしてくださり。
抱える孤独や不安を、どれだけ払拭してくださったことか。
それから1週間くらい経過した後、幸いかな私は安アパートを探し当て。
取り敢えずは入居日まで、一時、帰広することに。
当時、18歳です。
その後、私は再度、上京。
フリーターで朝から晩まで働き。
おぼろげながら新たな夢を見出しては、芸能事務所に入り。
数年後には武者修行のごとく渡米して、1年後に帰国。
喋り手となりて、テレビにラジオ、Jリーグ。
議員を目指し、初めて立候補したのは39歳、2011年のことでした。
うろ覚えとなりますけども、政治の世界に身を投じてから…
10年ほどが経過した頃。
裏を返せば、そこまで遠い過去ではありませんが。
何気ないタイミングで、父から聞かされたのです。
「千葉の兄貴がリュウ(私)のブログを楽しみに読んでるんだよ」と。
率直に申し上げれば、その瞬間まで。
私はお兄様の存在と当時の身に余る恩義を完全に失念しており。
ただただ申し訳なく。
しかし、未だに私へ温かい眼差しを注いでくださっていることを。
心底、嬉しく感じたものです。
ここまで書き進めますと、おおよそ勘の良い人々は気づかれたのでは。
本日の夕刻時、父より聞かされました。
「昨夜、お兄様が旅立たれた」と。
95歳での大往生。
余談ながら、私はショートスリーパーなので。
ひとたび睡眠につくと、目が覚める3〜4時間後まで。
一切の夢を見なければ、途中で起きることも皆無。
でも、なぜか昨夜は26時あたりに突然、目が覚めて。
お布団の中、アレ?
自分で自分のイレギュラーな状況に違和感を覚えていたのですが。
その1時間後に。
改めて、感謝しかありません。
いけませんね。
「生かされている今」は、今日までに多くの人々のお支えがあってこそ。
忘れては、当たり前になってはなりませぬ。
ただ。
本日にせよ幾人もの人々とお会いしては対話を持ちましたけども。
終始、笑顔で接し、笑顔を届けられた自負はあって。
何気ない1日を不意に切り取られ、審判に回されようと。
誠に僭越ですが、お兄様へ”顔向けできる”のは救いです。
アレから今なお「笑顔で頑張っています」と。
今一度、衷心より感謝、お礼を申し上げ。
合掌
投稿日 : 2025年2月20日
『一日一生』