つい先日。
Yahoo!ニュースで話題になっていましたね。
”しまち”の適否について論議。
広島ローカルのニュース番組にて、メインキャスターが…
ニュース原稿の”市町”を「しまち」と読んでいたところ。
ある視聴者がX(旧ツイッター)にて、苦言を呈しました。
「市町をしまちと読んでいるようでは困りますなあ」と。
その投稿を受けて、私もよく存じている彼の引用リポストが…
つまりは、森アナの「そこへの返信」が話題になっていたモノで。
(以下参照)
私にせよ、このネットニュースを目にした瞬間に?!
「嗚呼、あるある」「度々あるなぁ」「同様の経験談」「類似例は…」
との所感を抱いた次第です。
まずもって、遡れば私が議員に初当選した約14年前。
当時は、議員は勿論、行政側も市長、職員さん、その”全員”が…
委員会や本会議の場でも、市町を「しまち」と発していました。
しかし、うろ覚えですが、5年前くらいになるでしょうか。
あるタイミングを機に”行政側”は、市長をはじめ、皆が皆。
答弁や会見の場でも、それを「しちょう」と読み始めました。
ゆえ。最初の頃は、「しまち」「あっ」「しちょう」と読み直す…
なんて場面には度々、遭遇したっけな。
前記、この時点でも「市長」と「市町」(しちょう)って混同します♪
そして、最近は混同を回避すべく…
「し・ちょう」とわずかな間隔を空けたり「しやちょう」と言ったり。
で、思うのです。「しまち」でイイじゃん。って。
当然、音と音、訓と訓の「熟語」形成、そこへ…
「重箱(じゅうばこ:音と訓)読み」や「湯桶(ゆとう:訓と音)読み」まで…
その一切合切を踏まえた上で。
私は敢えて「しまち」と読み、発し続けていました。
違和感を排除し、「伝わりやすさ」を最優先すべく。
「全国でも、多くのしちょうでは…」
え?それ市長? それとも市町?ってなりますよね。一瞬でも。
(音声ニュースなどでは特に)
で、蛇足として。
「行政」組織って、定期的に「お達し」が回るモノで、例えば。
一昔前は行政も「啓蒙」(けいもう)との表現を用いていましたけども。
現在は、「啓発」(けいはつ)との表現に統一されています。
(理由は割愛しますけども)
で、補足として。
アナウンサーは、「約20回」との原稿も必ず。
「やく20回」が「ひゃく20回」と聞こえての混同を生まぬように。
「およそ20回」や「20回あまり」「20回程度」と表現するモノ。
何を言わんや。
一例で、「喋り手」のプロはプロで、現場へ出る前に…
それは多くのトレーニングを受けては、また。
現場へ出てからも多くを「現場で」学んでいきます。
確かに、熟達したレベルに至っていないアナは数多くとも。
その「相手の土俵」(今回のケースでは喋りの現場)へ物申すにあたり。
なぜに?
こうも直情的なんでしょうか。
まさに現代社会を映し出す「典型例」と言えるでしょう。
確かに、指摘した側に”悪気”など微塵も無かったかも知れません。
が、そこに「逡巡」(しゅんじゅん:ためらい)とは社会のマナーであり。
世の中、そんなにも表層的、単純には回っていない。
「えんじゃくいずくんぞ こうこくのこころざしをしらんや」なんて。
つまりは、小さな鳥は、大きな鳥の考えが分からない。
「小人物は大人物を理解し得ないもの」なんて言い方はしませんけども。
繰り返せば、「実は、もっと舞台裏は深く濃いのですよ」なんてケース…
世には星の数ほど存在しています♪
誰もが途上の身であり、生涯学習中。
他者に対しても増長する(ぞうちょう:思い上がる)でなし。
卑屈にならないまでも、分相応に「謙虚」さは忘れたくないかな。ハイ♪
いずれにせよ、例えば私など。
仮に”そこら”世界の住民が存在したならば、もう最近など?
下手に近づきません。キッパリ。
そこへ自らの貴重な時間や大事な感情を奪われるのが勿体無いので。
いや。無論。
人付き合いに正解などありません。
でも、驚くほど浅薄な(せんぱく:考えの浅い人)人々が…
社会に増殖しているのは事実であって。
どうか可能な限り。
自らの身は「自らでも」守ってくださいまし♪
手法は色々…
あるのですから。
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投稿日 : 2024年11月27日
『ディープ・ラーニング?』