一審判決の出された、法廷の場で。
また、その直後より、電話やメール等を通じても。
非常に多くの方々から励ましのお言葉を頂戴いたしました。
何の理屈でなく、率直に「感謝」の一語しかございません。
ある文豪は。
「どんなに厳しい状況でも、ある意味でチャンス」
「逆に自分が見えてくる」と口にされておりましたけども。
本当に「今」。
これまでの人生を含め、自らが試されているのだと痛切しています。
ついては、翌日(土曜日)は朝から、地域の役員会議。
社協や町内会、PTAや各種団体の会長さんなど約30人が集まる場で。
私が議事を取り仕切り、進行を促す役目でもあるため。
冒頭、まずは「裁判」について、お話をさせていただきました。
しかしながら、皆様方も胸中は複雑かと存じますが、激励に加え。
いつも通り接してくださるものですから、私も態度には表さず。
同会合の2時間を終えたのですが、本当に悔しくて。
お世話になっている方々に心底、吉報を届けたかった次第です。
無論、土曜の午後も日曜も。
立ち止まる事なく、黙々と議員活動を継続しておりますが。
そんな最中、頂戴した“市民の方からのご要望”に際して。
「今後の控訴審へのエール」までも頂きましたので。
(私の控訴審への正式な手続きは「これから」ですが)
長年にわたり国内の刑事裁判に携わっていらっしゃった専門家。
こちらの重鎮が語られていた内容の“受け売り”を…
上記の“市民の方”へ返信をする際に追記いたしました。
「日本の刑事裁判の場合」
「被告人と起訴した側の検察とで予選のリーグ戦10試合を行い」
「全ての試合を被告人側が「5対0」で完勝したとしても」
(試合というのは“比喩”であり、つまりは審理を尽くす裁判の過程のこと)
「基本的に一審の判決では“有罪”となる」
「しかも、100人中、100人が」
「これが一審の判決だよ」
「勝負は控訴審となる、これからを想定しなさい」と。
※勿論、ケースバイケースでしょうが、第一線で活躍されてきた重鎮の経験則による、あくまで「たとえ」として
現在の私としても、四の五の言わず、法治国家の下。
まだ「確定の判決」には至っておりませんので。
今後、必ずや無罪を勝ち取るべく。
近日中に手続きを済ませた後。
控訴審に臨んでまいる所存です。
私は、自ら悪事に手を染めた上で。
かつ、日本の司法を軽んじ、侮っては。
「まずは立候補して当選したらば、その後は何とかなるだろう」
こんな、市民の方々へ対しての不義理な態度で絶対に。
先の選挙には臨んでおりません。
いずれにいたしましても、誰のせいでもなく。
全て、私の不徳の致すところ。
引き続き、真摯に、謙虚に、一日一生。
人々のご厚情を胸に刻みながら。
投稿日 : 2023年7月23日
『その後』