「時には体に掛かる負荷を多少、軽減してあげても良いのでは」と。
5月6日の土曜日も朝イチから議会棟へ向かうにあたり…
移動手段は、いつもよりタイヤの数を“2倍”とし。
雨天もあって、久々に自動車を選択いたしましたが。
改めて。遅まきながら。実感するは?
「こんなにも近いのか」「四輪であれば自宅から議会まで」
うぅむ。
そんな取るに足らない話のオープニングとなりましたけども。
黄金週間の最中ですし、今回は穏やかにブログを展開すべく。
これより何を綴るか?を思案した挙句。
敢えて、私の“日課”を取り上げるといたしまして。
「必ず」となります朝の日課は?
幾年も継続している、主要となる新聞各紙のチェックと…
目に留まった記事のスクラップ。
硬軟を織り交ぜたニュースに各種データの切り抜きは膨大な量に及び。
各紙の一面に掲載されている“看板コラム”にせよ。
かなり多くのストックがファイルの中に存在しては。
再び、私の「読み原稿」等の文中で…
引用される日を待ち構えていたりも。
ついては、そんな過去のコラムにも“風通し”をすべく。
G7広島サミットを前にしたタイミングでもありますので、ここに。
次なる記事をチョイスしては、再び世の中に紹介させていただく次第です。
《余禄》
パキスタン北西部のペシャワルでハンセン病治療と無医村での診療にあたっていた中村哲さんがさらに奥地に赴いた時である。
ある家に呼ばれ乳児を診たが、今夜が峠だと告げるしかない重い病状だった。
だが中村さんが息を楽にする甘いシロップを与えると瀕死の赤ん坊は一瞬ほほえんだ。
その夜に亡くなったが、人々が中村さんをたたえたのは「言った通りだった」からだ。
そこでは医師は神の定めを伝える者として尊敬されていた。
「死にかけた赤子の一瞬の笑みに感謝する世界がある。シロップ一さじの治療が恵みである世界がある。生きていること自体が与えられた恵みなのだ」。
中村さんは書いた。
アフガニスタンで大干ばつが始まったのはその後であった。
「人々の暮らしを根底から奪った干ばつで何より命のための水が必要だった」。
中村さんがアフガンで井戸を掘り、やがてかんがい事業に取り組んだのはまず人々が「生きること」からすべてを組み立てるべきだとの信念からだった。
約1万6500ヘクタールの土地に水を供給し、65万人の命を保ったこの事業である。
その間に同僚の伊藤和也さんが武装グループによって命を奪われた。
「暴力は何も解決しない」。
中村さんは伊藤さんのかんがいへの献身をそう追悼した。
アフガンの地に暮らす人々の生き方に寄り添って「生きること」を全身全霊で支援した中村さんだった。
何よりも平和を求めたその人が暴力に倒れたのは悲しいが、その志は続く人々のともしびであり続けよう。
2019.12・5
心をノックされるコラムに。
まだまだ、ご紹介したい記事は山積み状態ゆえ。
今後も小出しにしては、紙面に風を通してまいりたく候。
投稿日 : 2023年5月06日
『from scrapbook』