「成人の日」ですね。
晴れて“本日の良き日”を迎えられた新成人の方々へ。
私なんぞから誠に恐縮の極みながら。
心より祝福、お祝いを申し上げます。
m(_ _)m
顧みれば、just 30年前。
その頃の私と言えば、あの心身ともに野球部で鍛え上げられ。
土埃にまみれたグランドから「何一つ怖いモノなし」で世に放たれた…
鼻垂れた、小僧だったところ。
徐々に現実だの社会だのと正対(せいたい)せざるを得なくなり。
(せいたい:真正面から向き合うこと)
まるでピノキオの如く。
その伸びきった「鼻っ柱」が圧(へ)し折られ始めた…
頃合いだったのではないか?と存じます。
いずれにせよ、現在の新成人たちは、コロナ禍も手伝い。
この数年も、只今も。
多様なる社会的な影響をモロに受けた「苦難の時」を過ごし。
私共が「心中を察する」との表現すら、失礼かと。
しかし、私も先に登場した坊主頭の頃から、今日(こんにち)まで。
国内外で星の数ほどの悲劇や喜劇を経験しながら。
未だ「挑戦」だけは決して諦めず。
日々を懸命に生き抜いている次第であり。
いつも“こうした”機会に持ち出してしまう…
私が高校生時代から大切にしている「詩」を。
またもやコレより明記させて頂きますけども。
はじめに、断っておきますと。
新成人へ向けて唐突に、しかも私が他者の言葉を借りて間接的に。
ネタバレとなりますが「ばかものよ」と伝えたい訳ではございません。
くれぐれも誤解の無きように。では。
私のケースと同様に。
いつかコチラの詩が支えになってくれる時が来るかも知れぬ。
その日の為に。
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
投稿日 : 2022年1月10日
『はなたれた小僧の回顧』