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石橋りゅうじ 議会棟控室

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巷間に「コロナ禍」との表現が行き交いはじめ、はや1年以上が経過。

この間、市民の方々よりコロナ関連の様々なご相談を承ります。

その中には?

回答が示せる話もあれば、そもそも回答を求めていない話もあり。

唐突ながら、仏教でも…

「生老病死」(しょうろうびょうし)と、四つの苦悩が挙げられるにあたり。

(苦労ではなく、なかなか思い通りには行かない、苦悩)

「生」が最初に来る通り、「生きる」「生かされる」とは、簡単にあらず。

私とて。根っからの、異様なまでの「ポジティブ思考な人間」ですけども。

順調、奔放に生きて来た、過去49年間ではございません。

さて。四の五の書き綴りながら、この辺りで迂遠するのは止めまして。

単刀直入。

私が「後生から教えを乞うべく」定期的に目を通している記事があります。

時に読み返しては、自らを微調整したり、再度の感動を覚えたりも。

未だ「初見」から3カ月が経過しても、当時の新鮮な感慨は失われず。

改めて、ここにご紹介させて下さいまし。

また、出来れば最後まで目を通して下さいまし。


第53回 産経「高校生文化大賞」

(産経新聞社主催、全国の高校生対象、作文・論文コンクール)

最優秀賞 鎌倉女学院高等学校1年 松本千尋さん

「私が大切にしている言葉」 〜母が教えてくれたこと〜


私は小学校の避難訓練が嫌いだった。突然鳴り響くサイレンと、暑苦しい防災頭巾。夏は炎天下、冬は寒空の下で、長ったらしい校長先生のお話を聞く。そして先生は皆、口をそろえてこう言うのだ。

「亡くなった人の想いを無駄にしないために」

私はこの言葉が煩わしくて仕方なかった。確かに、『あの日』亡くなった人々は未練も後悔もたくさんあるだろうが、なぜ関係のない私がそれを継がなければならないのか。先生のその言葉が妙に上っ面だけのように感じたのも相まって、ただただ気持ち悪かった。同じように思っていた友達もいて、やっぱりただの綺麗事だよな、なんて話していた。

ここからは、私の家庭の話をしたい。私の家族はいたって普通で、ただ一つだけ違っていたのは、母が病気だったことだけだ。両親が私に詳しく話すことはなかったが、私が小学三年生くらいの頃から定期的に両親に連れられて東京の大きな病院に行った。子供ながらに、母が並大抵の病気でないこともなんとなく察していたつもりだが、それでも私は母がきっといつか病気を治して『普通』に戻るのだろうと信じて疑わなかった。

小学五年生の時、夜中に目が覚めて、母と姉が話しているのを盗み聞いたことがある。母は「次は私がいける最後の旅行になる」と言っていた。その言葉の意味が分からないわけではなかったが、私は聞かなかったフリをして眠りについた。翌日、母の部屋にいつの間にか増えた本の題名に『最期』と入っているのが嫌に目についた。

小学六年生になった春、母は一か月間入院した。毎週日曜日に会いに行くと、母は入院する前より少し顔色が良くなっていてニコニコと笑っていた。私はホッとして、母の状態は快方に向かっていると信じて、退院の日を迎えたが、現実はそう甘いものではなかった。退院した母は私にこう告げた。

「ママはもう治らないの。だからね、残された時間を家でゆっくり過ごすことにしたの。ごめんね、貴方の成長を見ていてあげられない。」

母は乳癌だった。その日初めて、母は私に病気の詳細を話してくれた。泣きながら何度も謝られた。私も涙が止まらなかった。やっと私は、母が本当に死んでしまうことを理解したのだ。当たり前に来るはずだった明日はもう来ない。衰弱していく母が明日も生きている保証はどこにもない。その事実が私に嫌というほど突き刺さった。

それから三週間ほどたったある日、母は息を引き取った。しばらく哀しみの海に溺れたような日々が続いたが、ある時私はふと母のクローゼットを開いた。今思うと、母の生きていた証が欲しかったのかもしれない。上から三段目の小さな引き出しを開いたその瞬間私は衝撃を受けた。綺麗なブランド物の蝶のブローチが三つと、その横に母の筆跡で書かれたメモが置いてあったのだ。それは私と姉に向けたメッセージだった。

「貴方達が、このブローチが似合うような女性になったら素敵です。」

使われた痕跡が全く無い、おそろいの三つのブローチ。当時の私にも今の私にもつけられるような代物ではない。その時、私はようやく理解したのだ。先生たちが口煩(うるさ)く、「亡くなった人の想い」について語ってきた意味を。

「亡くなった人の想いを無駄にしない」とは、亡くなった人々の未練に報いることではない。顔も名前も知らない人のために生きることではない。それは、紛れもない自分自身が生きていくための理由付けなのだと私は思った。私は母が死んだ時、自分でも驚くほどショックを受け、やりたいゲームも聞きたい音楽も見たいアニメも全部忘れて、消えてしまいたくなった。それがたった一文の母の『想い』によって、母が願ったような女性になる、という目標に塗り替わったのだ。もちろんそれがなくてもいつかは立ち直っていたかもしれないが、少なくともその瞬間は母の『想い』が私の生きる原動力になった。誰のものか分からない『想い』だって、きっといつか私の力になる。自分の中に何もなくなった時、励ましてくれるのはいつも人の『想い』なのだ。

くだらないと思っていた言葉が、母の死を経験したことによって特別な言葉に変わった。今の私は環境に恵まれていて幸せだが、いつかまた死にたくなるような絶望に見舞われた時に、この言葉を思い出す。この燃えるような気持ちを思い出す。これは、私にとって最後の切り札なのだ。

「亡くなった人の想いを無駄にしないために」



以上となりますが、高校1年生の最優秀賞作品。

如何お感じになられましたでしょうか?

ウソ偽りなく、定期的に。

私が上記の記事(コピー)を読み返すにあたり。

「自らで独占しておくのは勿体無い」「一人でも多くの方々と共有したく」

敢えて、このタイミングでご紹介をさせて頂きました。

結びに。もう一つ。

コチラはご承知の方々も多いかと存じますが、念のため。

本市の最新「ワクチン情報」を添付しておきます。

投稿日 : 2021年6月30日
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