世間での“浸透度”云々にあらず、あくまで個人的な主観となりますけども。
突然、日常の中で(文字として)目にしては、即座に「それは何か?」を…
“推察が難しい”モノから並べてみますと。(あるジャンルの固有名詞)
「余録」。「春秋」。「産經抄」。「編集手帳」。「天風録」。「天声人語」。
っと言った感じでしょうか。(繰り返しとなれ、私見&他意は無しの肌感覚)
勿論、一つ目の「余録」から瞬時に気づかれる方々もいらっしゃるでしょうが。
話が迂遠しました。
上記は、新聞各紙の朝刊1面に掲載される「コラム」のタイトルであり。
(答:毎日、日経、産経、読売、中国、朝日の順)
「社説」とは趣きが違い、硬軟を織り交ぜながら毎朝、毎回、毎度の様に。
各紙の筆者(担当者)が、各々の感性から、それぞれの文面を綴られ。
個別のファンも獲得するなど、読者を惹き付けられています。
そして、あの大災害から10年目を迎えた「3.11」の今朝。
相変わらず、全紙に目を通す習慣を持つ私ですけども。
その幾つものコラムの中から、1つピックアップさせて頂くは、「編集手帳」。
コレより、全文をば。
おとといの夕食は?と聞かれ、即答できる人はそうはいまい。
人間は出来事の大半を1日のうちに忘れてしまうという。
平穏な日々の何げないことほど、きれいに忘れるものだろう。
宮城県亘理町の高橋ひろみさんは携帯電話を長女のひな乃ちゃんに渡し、遊ばせていたことを長く忘れていた。
約10年を経て思いだし探して見つけだすと、5歳の娘が打ったたどたどしいメッセージがメール画面にいくつも残っていた。
「ままだいすき」に始まり、「おはなばたけであそぼうね」といったお誘い。
「あさごはんわめだまやきでおねがいします」というお願いもあった。
ひな乃ちゃんは幼稚園の送迎バスが津波にのまれ園児7人とともに亡くなった。
〈口を出てまだあたたかきことばかな〉(山口優夢)
どれほど遠く離れた場所にいようと、電源が入っていようとなかろうと、母と娘を温かくつなぐ携帯電話が忘却のなかに埋まっていた。
「天国で会ったときに『楽しかったよ』と言えるよう精いっぱい生きていく」とひろみさんは話す。
そのことばは返信ボタンを押さずとも、ひな乃ちゃんに届いているだろう。
投稿日 : 2021年3月11日
『3月11日に想う』