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石橋りゅうじ 議会棟控室

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Based on a true story

100歳を過ぎても現役医師を貫かれ、後生へ対して。

「いのちの授業」を継続されていた日野原重明氏が死去されたのが18日。

参考までに、上記の「いのちの授業」とは?

「いのち」とは、「自分が使える時間」でもあって、幼少の頃は“その”時間を。

無意識下であれ、自分の為に費やしているモノであるけれど。

やがて成長して行くに連れ「人の為に使ってみるよう考えてみないか」と。

(偉人の知見より説かれる授業内容を要約して甚だ申し訳なくも)

繰り返しとなりますが、同氏が子供達へ向けて行なわれ続けた授業の事業。

また、時を同じくして、私の恩人でもある人物の尊母様が亡くなられ。

昨晩、車で高速を走らせては、お通夜へ行って参りました。

そこで、喪主を務められた恩人が御挨拶をされ、その話に登場されたるは。

大隈重信氏。

多くの方がご承知の通り、政治家であり、早稲田大学の創設者であり。

「人生125歳説」を唱えられた人物ですが、再度の要約をご海容願うとして。

「人間は本来、ストレス等が無ければ125年の寿命を有しており」

「肉体面で節制を重ね、精神面での衛生を保てば、天寿を全う出来る」と。

こうした事柄が続き、私の耳目に「命」とのワードが高頻度に届けられるにつけ。

今朝も5時過ぎに起床しては、「昨晩分」のジョギングに繰り出し。

昇る朝陽を浴びながら、何の誇張も脚色も無く、つい考えてしまいます。

いのちについて。

ただし、私なんぞが「答え」を持ち合わせている筈もなく。

そうなると、これまた至言を他方から持ち込ませて頂き、恐縮ながら。

ある住職さんの話にありました。

「人事を尽くして天命を待つ」とは?

人事を尽くした後は、野となれ山となれ、心を労せず天命に託す。

…との意味にあらず。

人は人事を尽くしている間に、いつの間にか天命を全うしているモノである。

と。

そう考えると。

政党にも身を置かず、特定の団体や組合の支援も地盤も無い。

そんな環境下にあった、言ってみれば「完全※アウトサイダー」の私を。

※(社会の規制の枠組みから外れて独自の思想を持って行動する人)

議会へ送り届けて下さり、寝ても覚めても「活動」に傾注させて下さっている。

うむ。改めて。

私へ「夢中」(我を忘れて熱中する事)なる環境を与えて下さった方々へ。

心から感謝。

で、ございます。

で、いのちの話でしたけども、難しい事は分かりませんが。

我の場合、引き続き。いのちをば。

メラメラと強火で燃やして参る所存です。

投稿日 : 2017年7月20日
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