平成28年度からの平和記念資料館・本館「耐震化工事」に先立ちまして。
言うなれば、同資料館の耐震化を進めるべく、直下へ杭を打つにあたり。
掘削を行う“その場所”(地下・地中)には「遺構」が眠っていると推察され。
事前に「何が何処にあるか?」等を調査、記録するべく。
昨年より現在進行中で「発掘調査」が行われております。
そして本日、市議団で現地を訪れての「説明会」に参加して来たのですが…
「過去の確かなる人々の営み」を目の当たりにするにつけ。
何と表現すれば適切なのか、言葉を探してしまいますけども。
無言の動かぬ遺構が、現世へ饒舌に語り掛けて来るモノがあって。
そこへ触れ合うだけで、思わず胸がいっぱいになってしまいました。
話を続けると致しまして、同資料館の周辺は、被爆当時「材木町」と呼ばれ。
添付“復元図”の通り、多くの民家をはじめ、幼稚園に寺院、病院に各商店と。
このエリア一帯は、城下町であり、県下随一の繁華街でもあって。
発掘作業が進められる折、まさに「資料館の真下」からは?
近代墓の納骨室や、他に天保、安政、文久の文字が刻まれた墓標。
被爆の熱線によって溶けた、ガラスやビンに、被爆瓦。
江戸時代から昭和初期の食器類。
民家の井戸に土間と、数々の「生活」が顔を出し、最も古いモノは?
広島城下町が築かれた「16世紀代」に遡る可能性がある事も明らかに。
また、掘り下げられた地層を見れば。
「被爆面」(層)と被爆後に復興へ向けて整えられた「整地層」。
この辺りも一目瞭然となります。
改めて、先達の築かれた礎の上に「今」があると、実感し。
平和記念資料館の「真下」でなくとも、こうした遺構は掘れば各所に。
ゆえ、社会見学等で「次世代を担う子供達」に見せてあげる。
そんなシステム(手法)が確立できないモノかな?
う〜む。
決して冗談を用いる訳でなく、深い!
投稿日 : 2016年10月14日
『遺構(いこう)』