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私の生まれ故郷、長崎の物語

広島市議会「核兵器廃絶議員連盟」の一員として。

8月9日に長崎での「平和祈念式典」に参列して参りました。

補足までに、広島の場合は「記念」式典で、長崎は「祈念」式典。

おなじ「きねん」でも表記が違う通り、両都市で催される式典は?

世界の恒久平和を標榜しながら、雰囲気も次第(構成)も異なり。

例えば、長崎の場合。

開式の直後に、被爆者の方々で構成される、また中盤には…

小学生の児童で、終盤には女子高生で構成されると言った具合に。

要所(3カ所)で「合唱団」が登場されては、メッセージを歌に乗せ。

合唱が行われると。

他方、過去にも触れましたが、司会進行(司会者)は「高校生」で。

(声も通り、滑舌も良く、抑揚もあって、非常に上手です)

電子オルガンなども多用される事から、折り目の正しい式典ながらも。

都市の歴史も反映された「長崎カラー」が随所に見られます。

(無論、広島と比較して「どちらが云々」ではありません)

そこで先ず私共は、過去に幾度も足を運んではおりますが、改めて。

会場となる平和公園(平和祈念像前広場)へ行く前に、原爆資料館へ。

入口付近には、昨年に国際NGOの「ICAN」が受賞された…

“ノーベル平和賞”のメダルと賞状(公式レプリカ)が展示されており。

(期間限定)

偶然にも、順路を「国連のグテーレス事務総長」と並行して進む事に。

その後、資料館を後にしては、一路、式典の会場を目指します。

途中、2020年の東京五輪でも使用されると言う「長崎誓いの火」や。

「原爆落下中心地碑」にも触れながら、平和公園内へ。

手荷物等のセキュリティー検査を通過後、やはり、この猛暑。

参列者に配布される…

水、おしぼり、簡易の冷却パック(温まる「カイロ」の逆バージョン)を手に。

日差しを遮る大きなテントの下に着席。

10時40分から11時2分の黙祷を挟み、11時45分まで。

「祈念」の式典が執り行われました。

では、ここに今一度。

国連事務総長の演説、その一部を抜粋させて頂きます。

「核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金を注ぎ込んでいます」

「2017年には、1兆7000億ドル以上のお金が、武器や軍隊の為に使われました」

「これは冷戦終了後、最高水準です」

「世界中の人道援助に必要な金額の約80倍にあたります」

「その一方で、核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止しています」

「平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません」

「平和は人々が日々具体的に感じるものであり」

「努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです」

「私達みんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ…」

「地球最後の場所にするよう決意しましょう」

如何でしょうか。

きねんの式典、その声が「8月のみ」で掻き消されぬよう、継続して。

皆様で、共に。

投稿日 : 2018年8月10日
私の生まれ故郷、長崎の物語

やってみせ&させてみせ

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ」

「ほめてやらねば、人は動かじ」とは、誠に言い得て妙な形容であり。

今月3日の当ブログにて…

「この度の豪雨の影響により、県内各所で交通網が寸断され」

「献血バスの運行が相次いで中止になっては」

「県内の必要量を自給できず、全国から融通を受けるなどして」

「何とか“供給体制”を維持している」

コレが広島県の現状なので、是非とも献血へ。

と、毎度の事ながら「献血の協力」を呼び掛けさせて頂き。

改めて、私なんぞも冒頭の通り「やってみせ」なければと、本日は。

スケジュールの合間を縫って、約40回目の献血へ行って参りました。

暑い最中ではありますけども「助ける」でなく「助け合う」。

お時間が許せば、是非。

続いて、西日本豪雨災害関連の話を続けさせて頂きますが。

発災から1カ月が経過して、県境をまたぐ被災地にはコレまで。

地元も含め、全国から…

13万人以上もの災害ボランティアの方々が駆け付けて下さっています。

また、その中にはボランティア活動の「エキスパート」とも呼べる。

過去に幾つもの被災地で活動、経験を積まれている方もいらっしゃり。

先の日曜日、ある年配のエキスパートが、県外から広島へ入られました。

そして、被災箇所を見られるなり。

「二次災害を防ぐべく、ここへ土のうを積み並べておこう」との話になり。

午前中に約20人で“ある程度”の作業を終えたところ…

「土のうが一例では脆弱なので、二列に補強しておいた方が良い」

と、更に助言、提言を頂戴し、皆で土のうを一から作っては。

(他の箇所も土砂の掻き出し等は並行して行いながら)

新たに二列に並べ終え、その日は作業が終了。

さすれば、翌月曜日の夕刻に?

広島市内の東部から呉地区にかけて、激しい夕立が降り注ぎ。

前述の場所も、急斜面から土砂が流出したのですが…

即席の土のう堰堤が、見事に土石流を堰き止める事に。

(土のう列の「左側」が急斜面で「右側」には民家が並びます)

補足までに、土のうは「横」列のみならず「縦」に幾重も重ねられては。

綺麗に土のう袋の白いライン、剥き出しの簡易堰堤が形成されながら。

繰り返しとなれ、写真の通り、その殆どが土砂で埋まっています。

関係者は、異口同音に…

「さすが!お師匠さん!」

同様の事例は各所でも散見される、とは思われますけども。

あらゆる人々の知見が、被災地へ注がれています。

感謝。

投稿日 : 2018年8月07日
やってみせ&させてみせ

2018年8月6日(月曜日)

8月6日の広島。

朝から2つのニュースが大きく報じられています。

被爆から73年目を迎えた「原爆の日」。

そして、本日で1カ月が経過した「西日本豪雨」について。

こうした中で、一つの報道を取り上げさせて頂けば。

地元新聞の朝刊をめくっていると。

広島でも108人(県まとめ)の尊い命が失われ。

(その内、2〜96歳、計107人の身元が明らかに)

その亡くなられた方々の「人となり」(お人柄)や歩まれた人生が。

写真付きで幾人も紹介されていました。

お一人お一人の文面に目を通しているだけでも。

胸がいっぱいになって来る次第で。

ただただ、衷心より、お悔やみを申し上げます。

ひとえに「百何人」と表記されようとも、そこには。

お一人を囲む、親族や多くの友人知人の存在があり。

計り知れぬ悲しみや憤りが周囲へ広がって行った事を。

今回の紙面にせよ、何より徐実に物語っていて。

以前、受け売りながら原爆関連でココにも書かせて頂いた通り。

広島へ投下された原爆では、その年の内に14万人もの命が。

しかし、それは単に「14万人」もの方々が亡くなったにあらず。

「お一人の死、その悲しみや、背景にあるストーリーが…」

「14万通りもあった」事実であると。

核兵器の廃絶へ向けて。

更には、防災や減災の確立へ。

微力ながら、一人の議員として、また一人の市民としても。

何が出来るのか?

自問自答しながらも、まずは行動へ移すべく。

引き続き、真摯に取り組んで参る所存です。

投稿日 : 2018年8月06日
2018年8月6日(月曜日)

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