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石橋りゅうじ 議会棟控室

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なかび

15日の金曜日に先輩議員より…

「これから3連休に入るね」「どうするの?」「予定は?」と訊ねられ。

世が3連休に入る事を知らず、その3連休も関係なく活動し。

故に「予定を問われても…」と、つい口ごもってしまった夕方が懐かしく。

本日は、中日(なかび)の日曜日、ながら本日も。

I’m working on it.

つきましては、私の活動云々は別にして。日曜だけに。

あまり堅苦しい話題は抜きにしたいところ、ではありますけども。

以前から、市民の方々より打診を受けては。

私も担当課に“その動向”を伺っていた案件が、ようやく此処に。

顧みれば、3日前の話。

本市に於いて正式に「気候非常事態宣言」がなされました。

ボリューム満点ですが、良い機会ですので。

是非とも、その全文に目を通してみるのは如何でしょうか。


『広島市気候非常事態宣言』

近年、日本を含め世界では、猛暑や豪雨などによる災害が頻発しており、本市でも、平成26年8月及び平成30年7月に発生した豪雨災害により、多くの尊い人命が失われる甚大な被害を受けました。その要因として、自然の限界を超えた人為起源の温室効果ガスの排出による気候変動の影響があると考えられており、地球温暖化がさらに進行すれば、こうした災害が発生するリスクがより一層高まることが予測されるだけでなく、人類の生存基盤をも破壊しかねない気候危機ともいえる状況となっています。

 このような破滅的な未来を招かないようにするため、国際社会は、世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて1.5℃以下に抑えるという目標を共有し、各国で取組が進められています。本市としても、2020年12月、「2050年までに温室効果ガス排出量の実質ゼロを目指す」ことを表明し、省エネルギー対策の推進や再生可能エネルギーの導入促進などに取り組んでいます。

 こうした中、最新のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書によると、気温上昇は既に1.5℃に近づきつつあるとされており、目標達成のために残された時間は少なく、今後10年の取組が非常に重要であることを訴えています。

 このように地球温暖化が、私たちの生存基盤を破壊し、人類の存続を困難なものにする可能性が一気に高まっていること、そして、そのような事態を回避するためには、もはや一刻の猶予も許されないことを市民、事業者の皆さんとともに認識した上で、私たち一人一人が直ちに具体的な行動を起こし、脱炭素社会の構築に向け、取組を加速しなければなりません。

 よって本市は、市民、事業者等のあらゆる主体と危機意識を共有し、一体となって、広島広域都市圏などの周辺自治体と、さらには、自治体等で構成する国際的な連合組織とも連携のうえ、この地域の豊かな自然を次の世代に引き継いでいくために必要となる地球温暖化対策に全力を挙げて取り組むことを決意し、ここに「気候非常事態」を宣言します。

令和4年(2022年)7月14日 広島市長


宣言文は以上となります。

通常ならば、これより。

「現在、世界の環境たるや…」と、幾つかのデータを並べてみたいところ。

世は3連休中なので、そんな野暮な行為は控え。

唐突ながら、人類で「素晴らしい環境(世界)」を築いて行くにあたり…

あのサッチモこと、ルイ・アームストロングの「What a wonderful world」。

「この素晴らしき世界」に、改めてスポットを当ててみると致します。

はじめに今一度、あの有名な歌詞を“おさらい”しておきますと。

(拙い和訳:わたくし)


目に飛び込んで来るのは、緑の木々や真っ赤なバラ。

まるで「私とアナタのために」とばかり咲き誇っている。

そして私は、ひとり思う。

なんて素晴らしい世界なんだろう。


目に飛び込んで来るのは、青く澄んだ空に白い雲。

まばゆい祝福の日に、夜の闇に包まれる神聖な夜。

そして私はまた、ひとり思う。

なんて素晴らしい世界なんだろう。


空には鮮やかな虹が掛かり、行き交う人々の表情にも映えている。

友人同士、握手をして「調子はどう?」と挨拶を交わす姿も。

真意は、心から「愛している」と気持ちを告げ合っているんだね。


一方では、赤ちゃんの泣き声が聞こえて来た。

私は彼ら、彼女らの成長を目にする事になる。

そんな子ども達は、これから先。

私の知らない、より多くの事を学んで行くのだろうな。

そして私は、ひとり思う。

なんて素晴らしい世界なんだろう。

嗚呼、私はひとり思うんだ。

なんて素晴らしい世界なんだろうと。



1967年にリリースされ、先に欧州で火がついては。

続いて母国をはじめ、世界規模でのロングヒットに繋がって行くのですが。

時代背景を考察すれば。

1962年にキューバ危機があり、翌年にはケネディ大統領の暗殺事件。

この間も、ベトナム戦争は長期化、泥沼化して行く。

こうした時代背景もあって、人間の感受性を通じては。

生まれるべくして生み出され、多くの人々に支持された名曲が…

What a wonderful world.

こちらのナンバーは?

1970年に入り、改めて再録音を行っているのですが、その際に。

冒頭のイントロには、新たにサッチモの「語り」のパートが加えられており。

果たして、何を喋っていらっしゃるのか?

(拙い和訳:またもや、わたくし)


「時に若い奴らが言って来るんだ」

「サッチモさんは『なんて素晴らしい世界だ』なんて言うけど」

「それってどういう意味なの?」

「だって、そこら中で戦争をやっていれば」

「飢餓や環境の問題だってあるのに」

「これでは決して『素晴らしい世界』なんて言えないじゃないですか?」

「うぅむ」「そうだな…」

「若人よ、しばしポップスじいさんの話に耳を傾けてくれるかい」

「実際、世界は『そんなに悪いモノではない』と私には見えるんだよ」

「悪いのは、この世界で繰り広げる『私達の行い』ではないのかな」

「そして、私が唱えているのは」

「世界の側に目を向ければ、その『素晴らしさ』に気付くのだから」

「この為の『きっかけ』(チャンス)を生み出さなければならないと」

「愛だよベイビー」「愛」「それが秘訣なんだ」

「より多くの人々が互いを愛し合えば」

「私達は、より多くの問題を解決することが出来るんだよ」

「そして、よりワクワクする世界を築き上げられるだろう」

「そこさ」「ポップスじいさんが唱え続けていることは」

(YouTube等でもcheckできるサッチモの趣きある「語り」は必聴です)


以上。何を言わんや?

より良い行動の源泉に、より良い余暇は欠かせません。

何卒、良い1日を。

m(_ _)m

投稿日 : 2022年7月17日
なかび

延長戦からが醍醐味なり

ちょっと政治の話題から外れますけども、昨日。

母校が夏の全国高校野球広島県大会の1回戦を迎え。

「今年こそは甲子園の切符をOBに」と期待していたのですが。

相手は強豪の如水館であり、結果は?

善戦しましたが、惜しくも4対7で敗れてしまいました。

しかしながら、後輩達が今後、如何なる進路を選択しようとも。

まるで、あの数日前の開会式、入場行進の時の様に。

凛と前を見据え、胸を張り、しっかりと腕を振って。

山もあれば谷もあれ、不屈の闘志で歩みを進めて頂きたいかな。心底。

時に止まったって、休んだって、引き返したり、遠回りしても。

イイじゃない。

幸いかな、人生は。

敗れたらば再エントリー不可の「トーナメント方式」じゃねぇ。

1つ負ければ、1つ負け難くなるは摂理。

何一つ成し遂げておらぬ私なんぞ、未だ挑戦の只中にありますが。

きっと。いつの日か。嗚呼、栄冠は君に輝く。

そんな、30数年前に9回裏のツーアウトまでリードしながら…

逆転サヨナラ負けを喫し、人生にて“最初の転機”を経験した私は。

今朝も「当時の舞台」その真横を自転車で通過しての通勤であり。

あの旧広島市民球場跡地の最新状態は、こんな感じです。

何の偶然か。午後に入り。

資料を作成しようとパソコンのデータを深〜い奥底から漁っておりますと。

出るわ。出るわ。

過去15年間くらいの「夢の実現へ向け」継続して取り組んで参りました…

数々の資料が。

「出来ない」こと以外は、あらゆる事象に徹底して取り組んで来たモノで。

議員にさせて頂いた当初の発言内容や資料など、振り返ってみたらば。

“青い自我”の塊で、赤面どころの話ではございませんけども。

それだけ。

それだけ、夢中で懸命に打ち込んで来たのも確か。

結果、夢の器は当初の目標よりも“やや北側”へ移動いたしましたが。

先輩議員より…

「石橋君、広島市に新スタジアムなんて奇跡でも起きない限り無理だよ」

と告げられ。

売り言葉を即買いしては…

「先輩、奇跡は信じる者にしか訪れないのをご存知ですか?」

と啖呵を切ってから、紆余曲折を経て、はや10数年。

現在、都心部では?

完成を目指し、金属バットに負けず劣らずの槌音が響き渡っております。

今一度、話は冒頭へ戻り。

僭越ながらも人生の先輩、経験者として。

望まずとも、高校球児を卒業させられたばかりの後輩に告ぐ。

確かに今年の夏休みは異様に長いし。

対戦成績にすれば。

行く行くは社会に出て、からの勝ち越しも容易ではないであろう。

ただし。

球児は…

永遠だ。

カキーン!

投稿日 : 2022年7月14日
延長戦からが醍醐味なり

意図と意義

参議院選挙が終わりました。

この度は選挙の前段より、例えば。

とかく「低い」とされる“若年層の投票率”にスポットが当てられたり。

勿論のこと、話は何も若年層に限らず。

あらゆる年齢層にしても、この近代史では年々…

投票率が「下降している」その傾向たるや顕著であって。

いわゆる「過去最低」(投票率)の更新が?

回を重ねる毎に塗り替えられたり、やや持ち直したりの連続で。

この様な投票(行動)結果の“最たる所以”(ゆえん)が、時に。

「私一人が投票したところで何も変わらない」との無力感。

と、言われたりも致します。

ちなみに、今回の参院選も最終的には、投票率が「52.05%」。

定型句となれ、結果的には国民の…

「2人に1人は棄権の状態」にあると。

さて。私なんぞが世間様へ対して大上段から口上を述べる。

そんなつもりなど毛頭ございませんけども。

末席に位置しながらも、いち地方議員として。

沸々と常時、沸き上がっては脈打つ熱き血潮と、熱き胸中の思いを…

今一度、此処にお届けしたく。

トップページに貼ってあります「リーフレット」のデータ、その一部を抜粋。

若干の加筆・修正を加え、改めて記す所存です。


『第一章 持ちつ持たれつ』
事故や犯罪に巻き込まれた時は警察、火災や災害時には消防が電話一本で直ぐに駆け付けてくれる我が国ですが、警察官や消防士の活動を支える年間「数兆円」にも上る運用費には、皆様の「税金」が充てられているのが実際です。
また「次世代を担う宝」とも表されるお子さんが学ぶ義務教育においては、一人あたり、小中学校の9年間で「一千万円弱」の費用が必要となりますが、こちらの費用も、子どもを持つ家庭に持たない家庭を問わず「社会全体」で捻出しては、いつの時代も「子ども達の学ぶ環境」(義務教育)が守られています。非常に有り難いですね。
ひとたび移動する際に利用する道路や街中に設置された信号機の一つにせよ、その建設から維持管理までの莫大な費用が「個人負担」であったなら、「生涯を通じ、ようやく近所まで道路を数十メートルほど伸ばせたよ」なんて話に。
更に病気やケガで病院へ行き、多くの人々は治療費を全額ではなく「3割」の負担で済みますが、人々の命を守るこうした「医療システム」も、病院へ行く人に行かない人など関係なく、「社会全体」で負担し合っては運営がなされています。ハイ。


『第二章 プロット(仕組み)』
人は誰も、現在の年齢を迎えるまで「社会」の中に身をおいてきた限り、過去、現在、未来の人々から何らかの「恩恵」を必ずや受けているもので、南洋の孤島にて生まれ育ち、今なお自給自足の生活でもしない限り、「例外」は存在しません。
また社会では無数の営みが存在するところ、個々が好き勝手に行動すると混乱に陥ってしまうので、基本的なルールが幾つも定められていますが、ならば「税金の使い道」や「社会のルール」は一体、誰が決めているのでしょうか?
世の中には「人の数だけ」好みや主義主張、生活スタイルの違いがあり、みんなで「みんなが満足する」結論を導き出すことは容易ではありませんし、時には、そのプロセスに「専門的なデータや知識に経験」が必要な場合も生じます。
しかも何かを決める話し合いが行われる度に「全国民が一カ所に集う」ことは実質、不可能ですよね?
そこで「私には仕事や学校があるので、この案件についての協議、決定はあの人達に任せよう」と代議制を採用する、その大事な出発点が「選挙」であり、選ばれた議員で「税金の使い方や社会のルール(法律)」を決めるのが「政治」でもあります。


『第三章 責任に点火する』
世の中には、時に「選挙や政治では何も変わらない」と口にされる人々や「自分で人生を切り拓くので他人の力は不要、政治にも興味はない」と、こうした思想の人々もいらっしゃいますので、改めて一緒に考えてみましょう。
人々の暮らしを振り返ってみますと、平素より「政治とは全く無関係である」社会構造や物事を見つけるほうが難しく、つまり政治とは「生活そのもの」でもあります。
更に政治とは、様々な「決断」(方向や方針の決定)をした後、今日や明日に結果(変化や成果)が現れるモノばかりではありません。
むしろ今の政治は、「今の世の中」を良くする、それプラス、それ以上に、私達の子どもや孫の世代が暮らす「未来を築くためのもの」と申して過言ではなく、今日まで自らも「恩恵に与ってきた」通り、誰もが次世代への「責任」を抱えています。
今ここで「種を撒く」労力を惜しめば、後に芽が出ては花が咲くことも、実を結ぶことも見込めないのは自然の摂理で、これは今を築いて下さった「先達」に、これから「私達」がなって行くことを意味します。


『第四章 臆面も無く、語らせて下さい』
私達は、遥か昔より先人の方々が長い時を経ながら懸命に築き、守り、現世に残して下さった「贈り物であり宝物」である、この街に住まい、また「市民の皆様」は、この世へ祝福と共に「生」を受けた、一人一人その誰もが愛されるべき「尊い存在」に違いありません。
縁あって私達は、同じ時代に同じ街で暮らす「仲間」とも呼べる間柄ですが、仲間の誰か一人でも悲しい思いを抱く時、「総じて」幸せなのでしょうか。
「大海の一滴」であろうとも、一人の存在は必ずや、周囲へ笑顔を届け得る。
まずは温かい手の届く家族から、周囲から改めて、お互いに始めて参りましょう。

投稿日 : 2022年7月11日
意図と意義

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