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石橋りゅうじ 議会棟控室

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この既視感

丁度1週間前も、どこか“同様”のブログを書いた様な気が致しますけども。

早いモノで「日曜日の夜」がやって参りました。

当ブログを「更新していない間」も、FacebookやTwitterにInstagramと。

SNSを通じて何らかの情報等を発信していたりはするのですが。

やはり私にとっては「この空間」(当ブログ)が最も居心地が良く♪

改めて、コレよりブログを更新して参る所存。

では先ず、23日「勤労感謝の日」の出来事から振り返るとして。

朝から「PTA親善母親バレーボール大会」の開会式へ出席した後。

安佐南区の西側に位置する小高い丘の上、丁度、広陵高校あたりから。

続いて今度は、東区の中央部、小高い丘の上にある女学院大学へと…

自転車を走らせては「何としても実際に話を伺いたい」と、出席したのが?

昨年の12月、ノーベル平和賞の授賞式で受賞演説を行なわれた…

「サーロー節子さん」の特別講演会です。

「核兵器の廃絶」へ、多大なる尽力を重ね、功績を残されている同氏。

ながら、講演を聴かせて頂く前段から、あまりにも過度に同氏を神格化すると?

耳にする内容の全てが…

「凄い」「さすが」「なるほど」「その通り」になってしまうので。

「可能な限りニュートラルな見地から話を伺おう」と、講演会に臨んだのですが。

人生「経験」豊富な、齢86歳を迎えられる人物は、肩肘を張る事もなく。

奇をてらうでもなく、穏かな口ぶりで、物事のド真ん中を率直に語られる。

贋作(がんさく:ニセモノ)も数多く並ぶ、そんな政界の政治家など、とは違い。

「この人は、ホンモノだな」と、僭越ながら痛感させられ、講演の途中からは…

私も、涙が止まりませんでした。ハイ。

非常に刺激を受け、有意義な時間を頂戴しては、会場を後にしながら。

何が悪いって、その晩や翌朝の後味が悪かった。(その理由を説明すれば)

サーロー氏は、講演の前半に自らの被爆体験や半生を語られ。

中盤には、取り組まれて来た数々の活動やエピソード、そして終盤には?

現在、同氏が抱かれている「問題」を提起、警鐘を鳴らされました。

その内容を一語一句「そのまま」明記すると、ちょっと切っ先も鋭いので。

余計なお世話ながら、少々、アレンジを施して“柔かく”記せば。

「確かに日本政府は、核兵器禁止条約への反対、慎重なる姿勢を変えず」

「しかし、被爆都市(広島市)が」

「核兵器禁止条約への批准(発効への協力)を、首相へ求めていない」

「市民の皆さん、問題は、もっと身近(国のみならず地元)にあるようです」。
(ここで来場者、会場全体からは大きな拍手が沸き起こります)

「核時代の警告を世界に発信する広島の心は、どこに行ったのでしょうか?」と。

繰り返しとなれ、サーロー氏は明白に「本市の抱える問題点」を指摘されました。
(無論、同氏なりの解釈、立場からのご指摘です)

しかし「その部分」を報じられたメディアは、その晩、そして翌朝も?

私は可能な限り、あらゆる方面をチェックしましたが、おそらく民放テレビの…

「1局だけ」だったのではないでしょうか?

無論、限られた時間、字数で報じるにあたり「どこを切り取り、まとめるか」。

ココは個々の裁量、報道スタンスに依拠するところで…

「何も、何かの事実や言論を隠蔽した」なんて、申してはいない。けども。

全国ネット、全国版にあらず、ローカルニュースで、そこを報じないって…。

Can you believe that?って感じです。

おっと。金曜日で、この文字数。相変わらず、ブログでは筆が止まりません。

続いて土曜日は、多くの日程がありながら、謹んで全てを調整させて頂き。

一路、向かうはエディオンスタジアム広島へ。

長年に亘り、苦楽を共にして来た、生え抜きのレジェンド「森崎カズ」選手の…

地元最終戦(並びに引退セレモニー)を見逃すわけには参りません。ゆえ。

試合は残念ながら惜敗を喫してしまいましたけども、試合後には。

過去にサンフレッチェに所属しながら、現在は他のクラブへ移籍した。

つまりは「元」サンフレ選手であり「今なお」サンフレ・ファミリーの選手達が?

全国から集って来ては、みんなが偉大なるレジェンドの功績を称え、ねぎらい。

そして、心からの謝意を伝えられたりと、ホント、心底、改めて。

スポーツって、チーム「メイト」(仲間)って、良いモンですね♪

そして、日曜日は。

1日間のブランクも懐かしく、再び作業着となるスーツを朝から身にまとい。

先ずは、第46回を迎えられた「身体障害者福祉大会」へ出席。

僭越ながら、来賓としてご挨拶させて頂いたのですが、生まれて「初めて」。

挨拶時に、簡単な「手話」を用いる事に、チャレンジ。

幾人かが「笑顔」で受け止めて下さり、私なんぞは手話にせよ。

感情表現など「ほんのわずか」しか知りませんけども。

ご理解を頂ければ幸いながら、目立ちたいのでも、悪ノリでもなく。

挨拶(祝辞)を、ただただ「他人行儀に終わらせたくない」、その一心で。

うむ。更にマスターしながら、今後も機会があれば。

積極的に使用してみたいと存じます。

その後、社会福祉協議会の「広報部会」等々。

現在に至り、時刻は21時。

ふう。

コタツにでも入るかな、テレビでも観るかな。

そろそろ。そろそろっと。

投稿日 : 2018年11月25日
この既視感

自治体

本日、13時から開催されたるは、経済観光環境委員会。

こうしたタイミングでの常任委員会は、本会議の“会期中”にあらず。

その合間に行われる「閉会中の常任(委員会)」と呼ばれるだけあって。

市民生活に関わる事務・事業に“貴賤”があってはならないのですが。

しかし閉会中の場合、「物議を交わし、意見の割れる案件」と言うよりは。

割合「報告」事項の色濃い案件が「次第」にも上がって来るモノで。

今回の次第には?

@「家庭系可燃ごみの排出袋の取扱いについて」

A「修学旅行生の誘致について」

コチラの2件が上がって参りました。

つきましては、委員(議員)の質疑が相次いだ@について。

行政側より提示された説明資料、その全文をご紹介させて頂くとします。

「家庭系可燃ごみの排出袋の取扱いについて」

1 要旨
本市では、家庭系可燃ごみの排出袋については、「丈夫な紙袋」を用いることを原則としつつ、雨天の際などには例外的にポリ袋の排出袋も収集するという取扱いをすることとしながら、この例外的な取扱いが徐々に拡大してくるという状況となっています。
このような状況を踏まえ、現行ルールを市民に分かりやすいもの(紙袋、ポリ袋のいずれであっても収集する。)へと変更し、周知することにします。

2 説明
本市では、昭和50年に「ごみ非常事態宣言」を発表し、翌昭和51年6月から全国に先駆けて5種分別収集を開始して以降、可燃ごみの排出袋については「丈夫な紙袋」を用いるよう周知してきました。
紙袋としていた理由は、@当時の家庭生活にポリ袋は普及しておらず、紙袋が主流であったこと、Aその後ポリ袋が普及してきたものの、当時の清掃工場のごみ焼却炉は能力が低く、ポリ袋燃焼時に発生する大きな熱量に耐えられなかったこと、などによります。
ところが、その後、清掃工場の更新により焼却炉の能力が向上し、ポリ袋を排出袋として燃焼しても安全な稼働を維持できるようになってきましたが、市民への周知内容については、従前のものを踏襲しつつ、実際の収集に当たっては弾力的な対応をしてきました。
今回、周知内容と収集の実態との整合性について市民からの疑問等があったことから、排出袋が紙袋、ポリ袋のいずれであっても清掃工場での安全な稼働が可能になっていることを踏まえつつ、市民に混乱が生じないようにするために現行の取扱いのルールを変え、市民に周知することにします。

3 周知方法
可燃ごみの排出袋について、本日以降、市ホームページ及び「市民と市政」で周知します。また、来年2月以降、全戸に配布する家庭ごみの収集に関するチラシ等に掲載します。

以上となりますけども。

ゴミの分別に際しては、他都市よりも先進的に取り組んで来た本市ながら。

気が付けば、「可燃ごみの排出袋」にせよ。

多くの都市は、指定の「ポリ袋」等になっていたりもして。

市民の方々の「利便性」その向上へ、迅速に取り組む事には、私も賛同。

一例として、ちょっと難しい文言を用いれば。

これまでも、近代刑法の原則とも言える「罪刑法定主義」に禁止されている…

「類推解釈」ではありませんけども、ゴミ出しのルール設定、また遵守に?

どこか破綻と言えば表現は強くなれ、整合性の面で「?」は存在していたので。

法(ルール)解釈の安定性を担保する上でも。

この度は、前向きな改善措置かと存じます。

いずれにせよ「家庭ごみの正しい出し方」を、皆がキチンと守らないと?

従事する清掃事業者の方々に危険を及ぼすケースもあれば。

焼却炉の故障(修繕に多大なる費用と時間を要します)等々。

巡り巡って、自分達に“その代償”は跳ね返って来るわけで。

引き続き、みんなの街は、みんなで協力して、治めて参りましょう♪

それが、自治。

投稿日 : 2018年11月21日
自治体

slowly but sorely(ゆっくりだが着実に)

自宅にて。

時刻は日曜日の19時を回ったところではありますが。

久々に、ゆっくりと時の流れた「週末」となりました♪

土曜日は、朝9時から仕込み等を行い。

そのまま撤去となる16時過ぎまで、地域の「祭り」のサポート。

内容は、お子様に対して「すべり知らずの鉄板ネタ」とも呼べる…

大人気の「陸(おか)釣堀」♪

(ブルーシートの海の上に発泡スチロールの魚達を並べ、竹竿で引っ掛けて釣る)

「地域の祭りを盛り上げて欲しい」との主催者の声に呼応して…

「区民祭り」以外での“出張”陸釣堀は「初開催」となりましたけども。

なんのなんの。

終始、未就学児や小学生など、子ども達が訪れてくれての大盛況♪

また、そんな子ども達と“常に対話しながら”のアクティビティゆえに。

ウソ偽り無く、瞬く間に時間が過ぎて行き、感じる「疲労感」などは皆無。

それは他の運営サイドの仲間も同様で、ここまでご家族に喜んで頂けるなら…

次は「別のエリアで開催してみては?」と、前向きな提案も出て来たり♪

しかも、私の大好物である「日光」を…

約半日の間も屋外で「浴び続けられる」この幸せ(笑)

楽しかったな。

そして、撤収した後、帰宅しては着替えを済ませ。

続いては都心部へ向かい、19時〜21時まで「夜の部」となります…

スポーツ関係者と在広の外国人が50人ほど集っての意見交換会へ出席。

「野球後進国のカンボジアへ野球を教えに行っている青年」との出会いなど。

濃密な時間となりました♪

次に日曜日は、朝の8時半より、毘沙門台の小学校で行なわれる…

「防災フェア」から1日がスタート。

400人以上の地域住民の方々が集い、防災訓練を行なった後。

バケツリレーや、防災グッズの触れ合い体験会、等々。

私も、電動車椅子を使用させて頂いたり。

(購入すると○十万円しますが、レンタルでは月に千円位で利用できたりも)

災害時、お風呂に入られない時も「こちらで全身を拭いて清潔に」と。

ウェット・ティッシュの巨大版を体験したり、何よりも…

専門家の方々と「災害」について、色々と意見も交換させて頂きました。

さすれば、ある防災士の方から…

「地元大学で、学生が防災ブースを作っているので見に行ってあげて下さい」

と、お話を頂戴したモノですから、続いて、その大学へ。

つまりは「学祭」の一環で防災ブースをキャンパス内に設置されているのですが。

入口で、学生さんから「こちらを宜しくお願い致します!」と、元気よく。

手渡されたのが、サンフレの「ホーム最終戦」の告知チラシ。

「分かってルじゃないの若人!」

なんとも嬉しいではありませんか♪

そして、手作り感が満載の防災ブースも拝見させて頂きました。

(学生が問題意識を抱き、こうして形にしてくれる事は、かくも有り難く)

その後、約束していた地元地域で行なわれる「出張」献血へ。

また、仕事の電話連絡等、色々と業務はありながらも。

割合に全てがスムーズに進み、ふと落ち着いたのが?

冒頭、日曜の19時を回ったところであります。

確かに、土日連続で昼食を食べられなかったりもして。

常に駆け回ってはいたのですが、通常の週末に比べれば。

それはそれは、ゆっくりと時の流れた今週末。

動きながら「リフレッシュ」させて頂いた次第で、明日からも。

頑張りまっせ!より一層!

投稿日 : 2018年11月18日
slowly but sorely(ゆっくりだが着実に)

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