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石橋りゅうじ 議会棟控室

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平成28年、第5回、広島市議会定例会。

いわゆる「12月議会」は、未だ継続、会期中。

本日から、議案の付託された“常任委員会”が始まっております。

ちなみに13日(火)は?

「文教」「消防・上下水道」「建設」の各委員会が開催され。

明日の14日(水)は?

「経済観光・環境」「厚生」「総務」委員会が開催されると。

私は、これまで一貫して建設委員会へ「頑なに」所属しておりましたが。

揺れ動くスタジアムの動向もあり、今期からは?

その案件を所管する「総務委員会」へ移って参りました。

そして、明日の同委員会で、何が上がって来るかと申せば…

「比治山公園“平和の丘”基本計画(素案)」。

行政側より、コチラの報告がなされるゆえ。

現場主義の私としては、今一度「委員会の前に現地を確認しておこう」と。

本日、短い時間ではありますが、現場の合間を縫い。

午前中に現地を視察して来た次第です。

補足までに、私がお世話になっていたテレビ局が比治山の近く位置し。

スタッフで「お花見へ」など、定期的に“ココ”(比治山)へ訪れていたり。

また、近年も“ココ”(比治山)に関する住民からの要望をお預かりしては。

“ココへ”幾度も足を運んでおりましたので…

比治山との対面は「久しぶり」にあらず。

私も、よくよく知っているエリアでもある。

(相変わらず“地元区”に留まらず各方面からご要望をお預かりする日々)

いずれにせよ、ある意味で「無着手」と申しましょうか…

やや“放置されていた”感のある同エリアが、再び動き出す事は…

非常に“良き事かな”と。

何故なら、まだまだ広島市は「のびしろ」を、それは多く残しているので。

うむ。

他方、議会には無関係の余談となりますけども。

とかく「議会の会期中」は、限られた場所と場所の往復になるのですが。

先週末、所用でエディオン本店に顔を出したらば?

店内のアナウンスを、サンフレッチェの青山君が喋っている!(読んでいる)

いわゆる(あくまで例として)…

「いらっしゃいませ!只今、エディオン本店では、年末セールを開催中!」

「冬場の暖房機器をはじめ、今ならポイントが…」

めいた、店内に流れる録音されたナレーションを選手が担当していると。

無論、アストラムラインの車内や、フレスタ(スーパー)の店内であったり。

「選手のアナウンス」自体は、取り分け物珍しくはなくとも。

何に驚いたって?

異様に!見事なまでに!ナレーションが上手!(笑)

そのトーン、用いる抑揚、ブレス(息継ぎ)を挟むポイント、等々。

私も約20年間に亘って、年間で数百本もナレーションを読んで来て。

テレビやラジオのCMに留まらず、駅の構内や、フェリーの船内。

こう言った家電店や、多様なる店舗内に流れるナレーションも。

無数に担当して来ては、また現在も使用されたりしているのですが。

お世辞を抜きに、青ちゃんの「ベシャリ」(喋り)が本当に上手なんです♪

「センス」ですね。センス。

さすがJリーグで年間MVPを獲得する男は、何をやらせても上手♪

近年、テレビの番組制作では「潮流」になりつつある一つとして。

「お笑い芸人」さんが、様々な番組で、フォーマルからインフォーマルまで。

多様なるナレーションを担当されておりますけども。

“それ”専門のナレーターと違い、独自の味、雰囲気を醸し出されては。

多くの番組で重用、重宝されていたりもする通り。

とどのつまり、自らの経験から申せば、「喋り」の巧拙(こうせつ)って?

声質や滑舌、発声に、用いる表現、語彙の多寡(たか)よりも…

「心の感度」が、その大よそを占めるので。

青ちゃんにせよ、お笑い芸人さんにせよ、うなずけます。

磨くなら、「腕」より先ずは、「心」から。

さて、私も。

キュッキュ!キュッキュ!と、頑張るべな。

投稿日 : 2016年12月13日
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Bus Stop

土曜も朝から地域を巡り、帰宅前に…

あるバス停へと向かいました。

そこで、ホっと一安心しては、改めて区役所に感謝。

m(__)m

ココに写っている「点字ブロック」には、格段の思い出があり…

その昔、当ブログでも触れましたが。

まだ「私が議員にさせて頂く前」の話まで遡ります。

当時、いつもの様にジョギングをしていると?

全盲の男性が道に迷われており、立ち往生されている。

「どこまで行かれるのですか?」と、結果的に。

男性をお連れした先が「こちらのバス停」でもありました。

その男性曰く、週に一度、楽器のレッスンに通っており。

「いつもココからバスに乗って、遠方まで行く」と口にされる。

当時、そのバス停には点字ブロックが無かったのですが。

直後、私は選挙に当選させて頂き…

「とにかく、あのバス停に1日も早く点字ブロックを」と。

区役所の担当課へ、議員として「初めて」要望を届けに行ったらば?

当時の担当課長が、四角四面にあらず、本当に血の通った…

いわゆる、昔堅気の気風の良い、温かいオヤジさんで。

(昔に限らず、現在の担当課職員さんも仕事の早いデキル人です♪)

「おお!それは早急に対応しなければなりません!

「直ぐに現地を確認しておきます!」と、ご返答を頂戴し。

それから数日、私は、そわそわしながら、幾度もバス停の前を…

“敢えて”通る。

まだかな? 完成は、いつかな?

その後、当選直後の諸作業、諸日程に追われ、或る日の事。

偶然にも、夜にバス停の前を通ったらば…

綺麗な真新しい黄色の点字ブロックが。

真っ直ぐにバス停へ向けて延びている。

もう涙が止まりませんでした。率直に感動して。

そんな背景のあった同場所の点字ブロックが、経年により剥がれ。

先日、修繕を区役所へ届けていたらば、冒頭の話へ戻り。

地域を巡りながらも立ち寄ってみると、あの日の様に…

あの場所で“新しい点字ブロック”と再会を果たした次第で。

私の「初心」を思い起こさせてくれる、特別なバス停です。

ハイ。

っと、話は現代の土曜日に戻り、地域を巡った後は。

自転車で打ち合わせに中区へ向かい、終われば、まるで?

空母の着艦訓練!

タッチ&ゴーで、直ぐに地元へ戻り、コチラでも打ち合わせ。

正午を数時間も過ぎた頃、ようやく遅い朝食と言うか、昼食を取り。

今度は、夕方から司会を務めるべく、車で西区のホテルへ向かう。

喋りに、喋り通し、21時頃でしょうか。

ようやく帰宅。

その後、市政の施策の事で、専門家とメールのやり取り、夜中まで。

「よ〜う動きよるの〜」と、自らの1日の稼働率に…

自画自賛で甚だ恐縮ながら、関心する次第です(笑)

よ〜う、動きよるよ。本当に、よ〜う動きよる♪

投稿日 : 2016年12月11日
Bus Stop

よみげん(読み原稿)

12月議会も2日目の一般質問が終わり、何週間ぶりでしょうか?

夕方、陽のある内に帰路へつけたりも。嬉しい♪

私も木曜日に一般質問を終えながら、議会日程は来週へと続いて行きますので。

まだまだホっとは出来ませんが。

今議会に於いて、最初のチェックポイントは通過いたしました。

振り返れば、約6年前。

私が議員にさせて頂いた後「初めての一般質問」でも。

この度と同じテーマ「核兵器廃絶について」言及させて頂きました。

そして今回にせよ、やはりテーマがテーマだけに…

「場当たり的」に表層だけをなぞっては。

取り急ぎ「やりました」「言いました」「触れました」と。

まるで「既成事実」(アリバイ)の形成みたくなってはイケナイので。

コレまで取り組んで来た内容も含め。

今回も、かなりの日数を要しながら「発言」の準備を進めて参りました。

ちなみに「一度は読み終えた本」も併せ、この数週間で?

コレくらいの関連書籍(写真参照)に目を通し。

※写真意外に、あと5、6冊はあります♪

分厚いファイルが膨らみ上がる程に、インターネットからも資料を集め。

過去から今年まで、全ての「平和宣言」にも目を通し。

また、近場や遠方に及ぶまで、各所へ足を運んでは取材を敢行。

面と向かい、またメール等でも、多くの専門家や関係者と意見交換を行って。

そして、初めて「原稿の作成」作業へ移行できる事になり。

読み上げる「原稿」にせよ、まずは時間にして「90分」の文面を作成後。

そこから数多の“推敲”を重ね。

ようやく最終稿が出来ては、本番へ挑み、30分の発言を終えた次第です。

いずれにせよ、如何なる分野の様々な取り組みにせよ。

「やる」以上に「やり続ける」が肝要。

今後も、熱を帯びながら、出来る限りの事に取り組んで参る所存であり。

明日からも、週末であろうと、議会と並行して多様なる現場が訪れますモノで。

肩肘は張らず、まだまだ頑張らねば。

私などは、まだまだ、まだまだ。

P.S.

今回は「2つ」のテーマについて喋りましたが、その一つだけを下記に。

ちょっと長いのですが、どうか、お付き合い下さいまし。

(時間にして約20分弱、前半パートの原稿となります)

はじめに「核兵器廃絶へ向けた広島市の取り組み」について伺います。

「人類が核兵器を廃絶するのが早いのか?」

それとも「核兵器が人類を滅ぼすのが早いのか?」

時に核兵器の廃絶を議論するテーブルでは、この様な表現が用いられますが、広島に投下された1発の原子爆弾から始まり、最大時には、地球上に「7万発」以上も存在した核兵器は、あの日から約70年もの年月を経て、揺れ動く国際情勢に「進捗と停滞」を余儀なくされながらも、ようやく「約1万5千発」まで削減されて参りました。

しかし現在は、最小クラスの水爆1発の使用で「80万人を上回る死者が出る」と予測されており、また、いったん核爆発が起これば、如何なる国であっても「即時の救護活動は絶対的に不可能である」との研究結果が出されております。

しかも、たった1発の核兵器が使用された後には、ご承知の通り、炸裂で生じた灰や煙が「向こう10年間」も地球の成層圏をめぐり、太陽光を遮る「nuclear darkness」を生じさせては、核の冬が確実に訪れ、世界は大飢饉に見舞われる。

人類は何故「使えない兵器」を所有しているのでしょうか?

核を保有する超大国として、現存する核兵器の廃絶へ向け、フロントランナーを務めて来た米国のオバマ大統領が、あの歴史的なプラハや広島訪問の演説に於いても「そうした目標は、私が生きている間には実現しないかもしれない」と口にされる通り、「国家間の安全保障上」の問題や、未だ肥大化を続ける「軍需産業」との経済的な関連性。

更には、核エネルギーの民生利用を進める各国の「原子力政策」とも相まって、多くの人々が“理想と現実の狭間”に立たされています。

また、仮に核兵器の廃絶が速やかに進むとしても、これまで、百人に及ぶ国際的な指導者から構成される「グローバル・ゼロ委員会」や、各国政府のイニシアティブで設置された「核不拡散・核軍縮国際委員会」などによる具体的な廃絶へのプロセスが示された提案にもある通り、あくまで「目途」の範囲を超えるモノではありませんが、核兵器「最小限化」の目標が「2025年」であれば、全廃の目標が「2030年」であったりと、誰もが痛感される通り、簡単な道程ではありません。

しかし、たとえ如何なる困難が立ちはだかろうと、リアリストから「現実を直視しろ」と叱責されようとも、広島市は、そう遠くはない将来の内に必ずや、核兵器の廃絶を実現しなければなりません。

何故なら、被爆者の方々が「ご存命の間」に、可能な限り一日でも早く、核兵器の廃絶された「新たな世界をご提示しなければならない」からであり、これは、我々に、そして、この広島市に課せられた、決して妥協の許されない「使命」であります。

現在、平均年齢80歳を超えられた被爆者の方々は、「この世に生を受ける」、こんな喜ばしい奇跡にあたり、生まれた時代が、偶然にも、その時代だったばかりに、家族や友人達と過ごす、極々普通の平穏なる日常を永遠に奪い去られてしまい、そして、多くのモノを“背負い込む”事となりました。

それでも、筆舌に尽くし難い自らの実体験を、また、思い出すだけでも辛い被爆の実相を、都度、鮮明に胸中へ蘇らせては、「この様な悲劇は二度と誰にも経験させてはならない」と、国内や、時には弱った体を押しながら、自らも海外へ出向き、「憎しみより和解」の観点から、無数の人々へ、丁寧に語り掛けて参りました。

心身ともに、どれだけ辛かった事でしょうか。

この世界で、再び、市民へ対して使用されたかもしれぬ3発目の核弾頭を今日まで防いで来たのは、間違いなく「被爆者の方々が発し続けられた声」のお陰であり、こうした方々の長年に亘るご労苦、功績へ対して、果たして我々は、何を持って、応えて来たのでしょうか?

一発の原子爆弾で廃墟と化した、あの日から、緑と笑顔の溢れる街へと、見事に復興を遂げた広島市は、その諦めない底力を「今こそ」発揮する時を迎えており、我々は、この地上に「核兵器の廃絶」された世界を必ずや示し、被爆者の方々へ「報いなければなりません」。

では引き続き、核兵器廃絶へ向けた「世界の趨勢」を検証しながら、まずは“国家単位”の枠組みで話を進めて参りますが、近年は、今この瞬間も「テロ集団の手に核が渡る危険性」や、そこへ併せて、世界には老朽化した多くの核弾頭が数千発にも上り現存しており、人為的なミス、事故からの核爆発を防ぐべく、「核の安全管理体制」を非常に危惧されては、旗幟鮮明に、議論の最前線で戦う国々が目に留まります。

一つ、その顕著なる国にスポットを当てれば、先だって、駐日大使が平和記念公園を訪れて下さった「オーストリア」が挙げられますが、核兵器の廃絶へ向けては、2010年に行われた“NPT再検討会議”あたりから、世界的にも「非人道性」の追求が“より色濃く”打ち出され始めました。

この様な機運に乗じて、今日までも「核兵器の非人道的影響に関する国際会議」が、定期的に世界の各都市で開催され、その会議の場でオーストリアが発出された「オーストリア誓約」、後に「人道の誓約」と、名称が改訂されておりますが、その誓約の中には、こうあります。

「オーストリアは“全ての人々の”人間の安全保障という緊急命題に従う事を促進して行く」「だからこそ核兵器の無い世界へ向けて“全ての国々”による努力に緊急性を与えるべきである」と。

もしもオーストリアが「周辺に複数の核保有国が存在する現実」ばかりに囚われ、「自国の安全保障のみ」を優先させるなら、蓋然性として「核の傘」を選択する事があったのかもしれません。

しかし、オーストリアは、事態を「地球共同体」で捉え、“世界の人々を安全保障の対象”としては「緊急行動」を強く訴えられています。

一方でも、10月末に開催された「国連総会の第一委員会」に於いて、日本政府は、「核兵器禁止条約交渉の開始を求める決議案」に対して「反対」の立場を取りましたが、オーストリア大使は、ここへ次の様に触れられました。

「近隣国との問題などがあり、日本政府の立場が難しい事は分かっている」「我が国は核問題への関心が高く、今後も廃絶の運動に全力で取り組んで行く」と。

敢えて不穏当な表現を用いれば「どちらが被爆国なのか」分からなくなりますが、繰り返せば、核兵器廃絶への実現を諦めず、熱心に取り組まれる国々は、世界中に存在します。

では続いて、我が国へと目を向けて参りますが、日本政府は、かねてから核兵器の無い世界を目指す上で、「核兵器の非人道性に関する正確な認識と、厳しい安全保障に関する冷静な認識、その双方が重要である」。

「そこで、核兵器の保有国と非保有国が協力すべく、橋渡し役を務め、より現実的で、かつ実践的な措置を着実に積み重ねて行く」との姿勢を貫いて参りました。

こうした立場を取る“我が国の背景”には、近年の「防衛白書」にも明記されている通り、個別国家で申せば、北朝鮮、中国、ロシアとの間で高まる「脅威認識」とも関わって来ては、重ねて、米国との関係性なども勘案し、政府として「ジレンマに陥っている」状態です。

そこで今回、私が最も問題として提起したい事は、先にも触れさせて頂いた通り、地球共同体の観点から、国際舞台で発言力を持つ日本政府をはじめとし、軍事大国が、早急に核兵器廃絶へ舵を切る。

ここへの“後押し”となる環境整備の役割を、今現在、広島市が「充分に果たしているのか?否か?」の点にあります。

ならばと、本市が、核兵器廃絶と世界の恒久平和を目指し、1982年の設立以来、一貫して取り組んでいる皆様も充分にご承知の「平和首長会議」について、改めて、触れて参りますが、この平和首長会議は、「全ての核兵器の実戦配備の即時解除」「核兵器禁止条約の締結に向けた具体的な交渉の開始」「2020年を目標とする全ての核兵器の廃棄」など、2003年に「2020ビジョン」、「核兵器廃絶の為の緊急行動」を策定、世界の都市や各国の市民、NGOとも連携し、国際的な活動を展開しております。

この辺りは、会長を広島市長が務められる事からも、ここに多くを語る必要性はありませんが、これまで縷々述べて参りました諸課題の解決にあたり、今後も、本市が重要なポジションに位置し、その役割を果たせる可能性を「変わらず」持っていると、私などは大いなる希望を抱き、疑わないモノです。

何故ならば、過去の「対人地雷」や「クラスター弾」の全面禁止条約、その合意へあたり、核兵器の保有国であり、また軍事大国は、当初、軒並み「反対」の姿勢を貫いて参りましたが、誰もが困難としていた“高い障壁を打破して来た”のは、「人類を尊び」「平和を願って」熱心に活動を継続される世界の一般市民や様々な団体、そして「国家」単位でなく、覚悟と責任の伴った「都市」が中心となり、“非常に重要な役割を果たして来た”事実にあるからです。

現実問題として、核保有国は、NPT条約の第六条に「全面的、かつ軍備縮小について、誠実に交渉を行う事を約束する」と明記した後、この条約は歩き出したのですが、それから数十年、約束が履行されないどころか、一部の国では、NPT核拡散防止条約に向き合わない“きらい”さえ散見される現状。

重ねて、米国などは、オバマ大統領が、全世界に現存する核弾頭、その9割を保有し合うロシアとの二国間で、更なる飛躍的な核弾頭の削減を進める為、「新戦略兵器削減条約」を、先ずは国内で批准するにあたり、当時、強い反対を示していた議会との条件闘争の末、核兵器の近代化を含む「大幅な軍事予算の増加」を認めざるを得ませんでした。

こうした複雑な国内事情を抱える米国は、向こう30年間で「約100兆円」も注いでは、保有する老朽化した核兵器などを“近代化された核兵器に入れ替えて行く”「核兵器性能改善計画」を展開して参りますし、また、その当事国の一方であるロシアも、米国が欧州やアジア太平洋に配備する「ミサイル防衛」に反発し、今後も、新型核ミサイルの開発と配備を進めて参ります。

他方、欧州でも、イギリスでは、EU離脱で揺れた後、新たな首相に就いたテリーザ・メイ氏が「核兵器のボタンを押す覚悟がある」と述べられた通り、核抑止力を継続すべく、核弾頭発射を伴う原子力潜水艦を、今後20年間で「540億ドル」も掛けて更新して行くなど、被爆地からの声は、まだまだ世界に反映されていません。

しかしながら、「核兵器を所有して、互いを威嚇し、また、それを抑止と捉え、依存する」、こうした「思考そのものを改めなければ」、人類が抱える問題の根本を解決する事は「不可能」であり、3度目の核兵器が使用されてからでは、遅いのです。

つきましては、一つの大きな契機として、来年の春には、先に123カ国が賛同し、国連の舞台にて「核兵器禁止条約」を作る為の交渉が開始される見通しですが、先日も報じられた通り、日本政府は、今後も当面は変わらず「急がば回れ」と、「反対」の立場で行動する意向を表明されております。

本市は、そうした政府をはじめとし、反対を示す各国とも、最終的には、共に目標を達成しなければなりません。

そこで、伺って参ります。

核兵器禁止条約の交渉が開始される見込みにあたり、例えば、NPTの場合を参照しても、核保有国のフランスや中国が参加するまでには、20年以上もの月日を費やしております。

現在、日本政府は、核軍縮を進めるにあたり、「核兵器禁止条約を巡る各国の対立が、最終的な目標である核廃絶への動きに影響を与える懸念」を示されておりますが、本市としては、そこを如何に受け止めているのか?

また、こうした国連での「条約交渉の契機」を如何に捉えているのか?お答え下さい。

次に、平和首長会議の掲げる「2020ビジョン」も、その目標年度が、すぐ目の前に迫って来ておりますが、本市として、「2020ビジョンの実現性」を含め、「現状、その進捗を、如何に捉えていらっしゃるのか?」、また被爆者の方々へ、一刻も早く新たな世界をお示しする。

この辺りを踏まえながら、「新たなキャンペーンなどに着手する考えはあるのか?」お答え下さい。

次に、核兵器を保有する超大国の拡大抑止、その「核の傘」から抜け出せない各国は、仮に、核兵器の廃絶が成し得られたとしても、その後に、通常兵器で「国家の安全保障が保たれるのか?」、その後の世界が「如何に変容して行くのか?」、この辺りが、明確に描けないゆえ、これまでも軍縮措置を、段階的なステップ・バイ・ステップ方式、並びにクラスター毎に分割して進めるクラスター方式が望ましいと、慎重なる姿勢を変えません。

しかしながら、こうした段階的な措置に踏み込まなければ、今後も時間は、様子見のまま容易に過ぎて行くと推察され、まずは本市が、専門的な知見も交えながら「核兵器廃絶後の世界」を明確に分析しては「世界へ提示して行かなければならない」と考えますが、現時点で、通常兵器での安全保障も含めた「核兵器廃絶後の世界バランス」を如何様に描いているのか?

そこを、本市としては、如何に発信して行くのか?
「核の傘への是非」についても併せて、お答え下さい。

そしてココに「行政側へ答弁を求める」のみならず、今一度、市民の方々や議会の役割を鑑みるにつけ、先にも述べた、本年5月27日の“歴史的なオバマ大統領・来広”にあたり、唯一、米国側から招待を受けた「森しげあき」さんについて触れておきたいと存じます。

「森しげあき」さんは、被爆当時から、周囲より、如何なる流言蜚語を浴びようとも、「せめて米国のご遺族の方々には知らせてあげたい」この一念を持って、原爆で命を落とされた米兵捕虜の調査を、数十年間にも亘って続けて来られました。

そして、あの日、平和記念公園で、オバマ大統領の抱擁を受けた後、「これで全ての役目は終わった」と感じながらも、一方では、改めて考えさせられ、新たな感情が芽生えては、“次なる目標への視座”が開かれて、その思いを述べられました。

「如何なる力を持つ大統領や総理大臣であっても、その人々だけで、核廃絶をする事は難しく、世界の為政者が、一生懸命、取り組む事は基より、全世界の個人個人が、核を無くす努力をしなければならない」。

「平和とは、個人も行動しなければならない大きな問題である事を、一人一人が認識して欲しい」と。

我々は、こうした偉大なる先駆者の功績に、改めて、深い感謝の意を抱きながら、「個人の重要性」まで説かれる、その実感に満ちた声へ、真摯に耳を傾けなければなりません。

また、広島市議会に目を移せば、昨年12月に「核兵器廃絶議員連盟」を立ち上げ、未だ、体制としての課題は多くとも、改善を図っては、そこへ、全ての議員が連盟に加わって下さった長崎市議会の皆様と共に、今後も「核兵器の廃絶」へ向けて、より一層の努力を重ねて参る次第であり、この新たな誓いを結びとし、次の質問へ移らせて頂きます。

(以上となります)

投稿日 : 2016年12月09日
よみげん(読み原稿)

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