インフォメーション

石橋りゅうじ 議会棟控室

Tel.(082)504-2442

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議会準備高

今朝の10時より議会運営委員会が開催され。

平成28年度 第3回 広島市議会定例会。

いわゆる「9月議会」の日程が決定いたしました。

詳細は、下記の通り。

来週の16日に開会となりますので、慣例となりますけれど。

その前段に“会派別の勉強会”が行われ。

今議会では、行政側より…

「如何なる補正予算が組まれ?」

「如何なる議案が提出されては?」

「如何なる報告案件に認定案があるのか?」

等々、この辺りを、個別に各控室にて。

行政側から説明を受けながら、質疑に応答を重ねて行く。

コレが前述の「勉強会」でございます。

数時間で終わる事もあれば、時に、かなり長引く事も。

いずれにせよ、9月議会から10月の決算特別委員会へと。

審議の長期ロードへ突入いたします。

駅のプラットフォームに立っていたらば。

ハイ!開会! えっ?閉会!?と。

停車する事もなく通り過ぎて行く快速電車の如く。

“瞬く間に過ぎる”2ヶ月間であれ。

初心を忘れては「慣れ」によって、ルーティーン化せぬよう。

何も“この期間限定”の話ではございませんが。

私の場合で申せば、かの「喋り手」時代と同様に。

しっかりと事前に準備しては。

訪れた目の前の現場に全力を注ぎ。

それを次へ繋げて行く。

相変わらず、立場は公益性を求め、極めんとする…

個人事業主。

せっせと、せっせと、取り組みまっせ。

投稿日 : 2016年9月09日
議会準備高

広島人のDNA

さすがに“連絡事項”が山積の状態でありまして。

朝から、連絡、人と会い、連絡、人と会う、の繰り返し。

途中、委員会のレクや来客等を交えながら、瞬く間に夕方が訪れ。

続いては、19時から会議があるので、急いで区民センターへ向かっていたらば…

パァッン!!!

1週間も自転車に乗っていなかったので、タイヤの空気が少し抜けていて。

そんな「タイヤの中でチューブが泳ぐ」状態で運転したモノですから。

周辺の人々が「何があったのですか?!」と慌ててお店から飛び出して来るほど。

大きな音を立てて、自転車の後輪が(チューブが捻じれての)パンク!

20時まで開いている近所の自転車屋さんに駆け込みました。

長時間、自転車を押しては、汗ダクで。

ううむ。

修理の最中、店内のラジオから流れて来るは、カープのナイター中継。

「That's 広島人」と申しましょうか、自然に店主とカープ談義に花が咲く♪

今シーズンの好調の要因は、誰々だの。

過去のカープの歴史だの。

店主曰く、75年の初優勝時「コーヒー1杯が5円だった」だの。

私が小学生の頃は、カープが幾度も日本シリーズを迎え。

デーゲームの日本シリーズの行方が気になるがゆえ。

私など、本当に学校へラジオを持ち込んでいた(笑)

そんな話題にまで及び、盛り上がりました。

嗚呼、広島人♪

言わずもがな、私は小学生時代から生粋の野球少年であり。

当時からカープのファンクラブに入っては、旧市民球場へ通い続け。

高校3年生時、夏の甲子園をかけた最後のチャンスで、舞台は!?

その、旧市民球場!

私は三塁手だったのですが、あの「鉄人!衣笠!」(さん)が守られていた…

ホットコーナーと、私は同じ場所に立っている!立てている!

過度に誇張するでなし「ただ、それだけ」で、本当に舞い上がったモノです。

その後、幾年が経過した後、旧市民球場のサヨナラ・イベントに於いて。

あの「水沼さん」をはじめ、往年の名選手と一緒にプレー(試合)した際は…

それこそ「夢中」で、夢の中♪

感動したなぁ…。

そんな人々から愛されるカープも、優勝から遠ざかる事、四半世紀。

今、その沈黙を破り、先ずは「セ界」の頂点を極めんとしておりますけども。

日中は「マジック3」だったモノが、夜の21時を迎えた頃には「2」へ♪

早ければ明日、念願の(地元)「優勝」を迎える事になる。

ちなみに、明日は地域のソフトボールリーグの公式戦だったのですが…

プレーヤーの誰もが「カープの行方が気になる」ので…

試合は中止となりました(笑)

嗚呼、広島人。

決めて欲しいな。決めて欲しい。

出来れば、地元で。

決めて欲しい。

投稿日 : 2016年9月07日
広島人のDNA

色んな意味で戻って参りました!

9月6日(火)の夜、サーバー復帰、ブログ復活、私は帰国。

帰国?

何からお伝えしなければいけないか、先ずは整理をしなければなりませんが。

はじめに、話は約5年前に遡ります。

回りくどい表現を用いますけども。

私は初当選をさせて頂いた後、初めての「一般質問」にて。

サッカースタジアム等、4つの項目について。

本会議場で行政側に質問をさせて頂きました。

その4つ中の1つは…

「市職員の海外研修制度」について。

「過去には存在しながら、現在は厳しい財政下にあり廃止された制度ですが」

「目先の損得勘定に囚われず『職員』とは人材であり、その育成の為に」

「誰かれ“皆”とは申しませんが、意欲ある職員さんには率先して海外で働いて頂き」

「見聞を広め、経験を積み、諸外国(都市)とパイプを築いては」

「それを有形無形ながら、帰国後に広島市へフィードバックさせる」

「ゆえ、制度を復活させるべきではありませんか?」

簡単に要約をすれば、こうした発言趣旨であり、その気持ちは今も変わらず。

重ねて、昨今は「議員の海外視察」の賛否も問われておりますけども。

海外で視察を行なった成果たるや、表出するは短期、中長期「後」であり。

大よそ「事後的」にしか、なかなか変化、成果による評価が下されるでナシ。

議員の視察へ、血税を用いさせて頂くにあたり。

批判を恐れず申せば、私は決して“そこ”を否定してはおりません。

極言なれ、それが国会であれ、地方議員であれ「一人の議員」の存在、活動が?

自治体にとって「数億円」の収入を生み出す事もあれば。

市民にとって「数十億円」の無駄を省く事も、充分にあって。

お金に囚われず、それこそ「一人の命」「多くの人々の生活」までもを救う。

そんな事例に前例など、実際に数多とある訳で。

(無論、議員個々の資質が大前提で「議員なら全員OK」なんて絶対に思いませんが)

「地球を救うべく宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルへ向かう」にあたり。

何も渡航費を含め、諸費用の一切合財を「乗組員のみで持たずとも」。

との感情は、運命の共同体を構成する一員として未だ変わらず胸にはある。

申し訳ございません。兎にも角にも回りくどくて。

とどのつまり、先月の30日から本日まで、私は海外視察へ出向いておりました。

ただし、全て掛かった諸費用は「自費」です。

「石橋よ!言っている事と、やっている事が違うじゃないか!」

と、思われようとも。

議会機能を果たし、用いる権能を如何なく発揮し。

多くの市民の方々を色んな形で救い、また、より良い未来を築く。

その実現へ向けて。

そこへ“相応しい”人々が「皆からのサポート」により…

真摯に感謝の気持ちを胸に刻み、海を渡る。

ココへ対して、私の賛意は変わりません。変わりませんけども。

議員にさせて頂き、この約5年半の間に、私は多くの市民の方々と。

顔を合わせ、ヒザを突き合わせ、接しては、多種多様なるお話を伺って来て。

一例として持ち出してしまい、誠に申し訳ないのですが、例えば。

1ヶ月間に幾つモノ職、バイトも掛け持ちしながら、でも給与は?

平均賃金よりも、かなり低く。

「月に○○に費やす○千円を如何に捻出すれば良いか?」

そこへ苦慮、努力されている幾人ものシングル・マザーさんをはじめ。

困窮した生活、不透明なる未来、何も保障をされない不安が渦を巻く、この世の中で。

何とか踏ん張っている方々に、幾人もお会いさせて頂きました。

そんな中にあり、私はポピュリズムであったり、誰かへの体裁や世間体。

そこへ迎合して「良い子を装う」にあらず。

ただただ。

「自分にはウソはつけなかった」

それだけです。

「決して遊びに行く訳でナシ、しかも自腹ならば高額の支払負担となる」

でも、少々の時間を頂戴しては。

実際に現地へ行ってみたい、現地を目でみたい、現地で話を伺ってみたい。

その辺り、得られるであろう多くの「モノ」は?

当然ながら「広島市へ反映させたい」との思いが強くとも。

"あくまで”私の場合は「視察」と言うよりは「自己への投資」であり。

「自腹を選択」と言うより、一期目の4年間も公金での海外視察は行なわず。

二期目に入ろうが、そもそも“そこ”への選択肢が私の心中には無いので。

※世間より議員生活「延命」の為に、アレコレやるじゃないか?!と思われたとしても

※ひとたび議員にさせて頂いたからと言い「全ての議員が何期も延々と議員を続けたいと思っているのだろ?」と思われるのは違います

そして、この度。

それはそれは一生懸命、諸外国で見聞きしては、大収穫を得て本日、帰国。

ざっと視察の行程を記せば。

8月30日に上海へ飛び、流通事情を視察後、その日の内にドイツはフランクフルトへ。

約12時間を費やし、31日にドイツへ到着後、社会福祉施設を訪ね。

午後からはエネルギー対策のヒアリング。

9月1日は、早朝よりポーランドへ渡り、アウシュビッツ強制収容所へ。

(空港のクラクフから陸路で片道2時間)

翌2日は、先ずはクラクフから鉄道でワルシャワへ向かいまして。

在ポーランド日本大使館を訪れ、ヨーロッパの「今」を、その実状を密に伺い。

名残惜しくも、空路でウクライナのキエフへ。

3日は、チェルノブイリ原発事故で避難された方々から話を、現状を伺い。

続いて、チェルノブイリ(原発事故)国立博物館へ。

4日は、チェルノブイリ立入り禁止区域を視察。

30km地点、10キロ地点の検問を通過後、目の前に…

あの事故、爆発を起こした原発が。言葉を失いました。

また、原発より3キロの「住民の全てが非難しては無人の団地」へも。

そして、その日の内に、フランスはパリへ飛び。

5日に、日本政府観光局を訪ね、訪日促進活動についての取り組みを伺い。

その後、自治体国際化協会へ。

ドタバタしながら夕方より帰国の途について。

上海を経由しては、自宅へ辿り着いたのが、夜の22時過ぎでした。

多くの文字数と表現、写真を要して…

「この国の○○は、こうでした!」と、詳細に亘ってご報告したいのですが。

時差の関係か?

時計の針は、深夜の3時を既に回っておりまして。

7日は議会に地域と、既に予定が盛り沢山。

追って、時を見ては、様々なご報告を写真を交えながらさせて頂く次第です。

投稿日 : 2016年9月06日
色んな意味で戻って参りました!

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