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石橋りゅうじ 議会棟控室

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色んな意味で戻って参りました!

9月6日(火)の夜、サーバー復帰、ブログ復活、私は帰国。

帰国?

何からお伝えしなければいけないか、先ずは整理をしなければなりませんが。

はじめに、話は約5年前に遡ります。

回りくどい表現を用いますけども。

私は初当選をさせて頂いた後、初めての「一般質問」にて。

サッカースタジアム等、4つの項目について。

本会議場で行政側に質問をさせて頂きました。

その4つ中の1つは…

「市職員の海外研修制度」について。

「過去には存在しながら、現在は厳しい財政下にあり廃止された制度ですが」

「目先の損得勘定に囚われず『職員』とは人材であり、その育成の為に」

「誰かれ“皆”とは申しませんが、意欲ある職員さんには率先して海外で働いて頂き」

「見聞を広め、経験を積み、諸外国(都市)とパイプを築いては」

「それを有形無形ながら、帰国後に広島市へフィードバックさせる」

「ゆえ、制度を復活させるべきではありませんか?」

簡単に要約をすれば、こうした発言趣旨であり、その気持ちは今も変わらず。

重ねて、昨今は「議員の海外視察」の賛否も問われておりますけども。

海外で視察を行なった成果たるや、表出するは短期、中長期「後」であり。

大よそ「事後的」にしか、なかなか変化、成果による評価が下されるでナシ。

議員の視察へ、血税を用いさせて頂くにあたり。

批判を恐れず申せば、私は決して“そこ”を否定してはおりません。

極言なれ、それが国会であれ、地方議員であれ「一人の議員」の存在、活動が?

自治体にとって「数億円」の収入を生み出す事もあれば。

市民にとって「数十億円」の無駄を省く事も、充分にあって。

お金に囚われず、それこそ「一人の命」「多くの人々の生活」までもを救う。

そんな事例に前例など、実際に数多とある訳で。

(無論、議員個々の資質が大前提で「議員なら全員OK」なんて絶対に思いませんが)

「地球を救うべく宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルへ向かう」にあたり。

何も渡航費を含め、諸費用の一切合財を「乗組員のみで持たずとも」。

との感情は、運命の共同体を構成する一員として未だ変わらず胸にはある。

申し訳ございません。兎にも角にも回りくどくて。

とどのつまり、先月の30日から本日まで、私は海外視察へ出向いておりました。

ただし、全て掛かった諸費用は「自費」です。

「石橋よ!言っている事と、やっている事が違うじゃないか!」

と、思われようとも。

議会機能を果たし、用いる権能を如何なく発揮し。

多くの市民の方々を色んな形で救い、また、より良い未来を築く。

その実現へ向けて。

そこへ“相応しい”人々が「皆からのサポート」により…

真摯に感謝の気持ちを胸に刻み、海を渡る。

ココへ対して、私の賛意は変わりません。変わりませんけども。

議員にさせて頂き、この約5年半の間に、私は多くの市民の方々と。

顔を合わせ、ヒザを突き合わせ、接しては、多種多様なるお話を伺って来て。

一例として持ち出してしまい、誠に申し訳ないのですが、例えば。

1ヶ月間に幾つモノ職、バイトも掛け持ちしながら、でも給与は?

平均賃金よりも、かなり低く。

「月に○○に費やす○千円を如何に捻出すれば良いか?」

そこへ苦慮、努力されている幾人ものシングル・マザーさんをはじめ。

困窮した生活、不透明なる未来、何も保障をされない不安が渦を巻く、この世の中で。

何とか踏ん張っている方々に、幾人もお会いさせて頂きました。

そんな中にあり、私はポピュリズムであったり、誰かへの体裁や世間体。

そこへ迎合して「良い子を装う」にあらず。

ただただ。

「自分にはウソはつけなかった」

それだけです。

「決して遊びに行く訳でナシ、しかも自腹ならば高額の支払負担となる」

でも、少々の時間を頂戴しては。

実際に現地へ行ってみたい、現地を目でみたい、現地で話を伺ってみたい。

その辺り、得られるであろう多くの「モノ」は?

当然ながら「広島市へ反映させたい」との思いが強くとも。

"あくまで”私の場合は「視察」と言うよりは「自己への投資」であり。

「自腹を選択」と言うより、一期目の4年間も公金での海外視察は行なわず。

二期目に入ろうが、そもそも“そこ”への選択肢が私の心中には無いので。

※世間より議員生活「延命」の為に、アレコレやるじゃないか?!と思われたとしても

※ひとたび議員にさせて頂いたからと言い「全ての議員が何期も延々と議員を続けたいと思っているのだろ?」と思われるのは違います

そして、この度。

それはそれは一生懸命、諸外国で見聞きしては、大収穫を得て本日、帰国。

ざっと視察の行程を記せば。

8月30日に上海へ飛び、流通事情を視察後、その日の内にドイツはフランクフルトへ。

約12時間を費やし、31日にドイツへ到着後、社会福祉施設を訪ね。

午後からはエネルギー対策のヒアリング。

9月1日は、早朝よりポーランドへ渡り、アウシュビッツ強制収容所へ。

(空港のクラクフから陸路で片道2時間)

翌2日は、先ずはクラクフから鉄道でワルシャワへ向かいまして。

在ポーランド日本大使館を訪れ、ヨーロッパの「今」を、その実状を密に伺い。

名残惜しくも、空路でウクライナのキエフへ。

3日は、チェルノブイリ原発事故で避難された方々から話を、現状を伺い。

続いて、チェルノブイリ(原発事故)国立博物館へ。

4日は、チェルノブイリ立入り禁止区域を視察。

30km地点、10キロ地点の検問を通過後、目の前に…

あの事故、爆発を起こした原発が。言葉を失いました。

また、原発より3キロの「住民の全てが非難しては無人の団地」へも。

そして、その日の内に、フランスはパリへ飛び。

5日に、日本政府観光局を訪ね、訪日促進活動についての取り組みを伺い。

その後、自治体国際化協会へ。

ドタバタしながら夕方より帰国の途について。

上海を経由しては、自宅へ辿り着いたのが、夜の22時過ぎでした。

多くの文字数と表現、写真を要して…

「この国の○○は、こうでした!」と、詳細に亘ってご報告したいのですが。

時差の関係か?

時計の針は、深夜の3時を既に回っておりまして。

7日は議会に地域と、既に予定が盛り沢山。

追って、時を見ては、様々なご報告を写真を交えながらさせて頂く次第です。

投稿日 : 2016年9月06日
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