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閑話球題

日々が慌しいので。

時に緩く、ブログで一息。

先だって放送されたNHK番組「フェイス」は…

非常に興味深いモノがありました。

その回で特集された内容は?

「フロム・アメリカ 〜彼らがヒロシマで見つけたもの〜」

広島を訪れた外国人観光客の横顔や。

広島へ移り住んだ外国人の日常を掘り下げているのですが。

番組に登場して来た“あるアメリカ人の観光客”(30才)は…

本国で少年野球チームのコーチを務めるなど、大の野球ファン。

来日して、各所を訪れても。

お土産に購入するは、日本のプロ野球グッズばかり(笑)

そして、彼が平和記念公園を初めて訪れるのですが。

到着寸前、急に「折り鶴タワー」の前で写真撮影を始め。

番組スタッフが「何を撮ったのですか?」と訊ねたらば?

彼曰く…

「イチロー!」

ですって。看板の♪

彼、続けて、曰く…

「だって、みんなイチローを知ってるからね」と。

さすが。

世界のICHIRO!

投稿日 : 2016年10月18日
閑話球題

週末晴舞台

さすがの私もヘトヘトのサンデーナイト♪

「週末って、こんなに早く過ぎるの?」と。

あの頃に戻りたく、思わず「金曜の夜」あたりを探しています。

そんな週末を振り返ってみるとして。

土曜日の朝は、海外援助米事業のお手伝いで…

風光明媚な農業振興地域を訪れました。

澄んだ空気に、黄金色の稲穂と広がる青空のコントラストが美しく。

「収穫の秋」の到来を皆で祝い、悦びながら。

稲を刈り、またイモを掘る。

このコシヒカリと、艶やかな紫色の鳴門金時が美味いんだ♪コレが。

手も足も泥だらけになりながら、土を掻いては、汗をかくなど。

お蔭様で充実の半日を送らせて頂き、ひとまず帰宅。

続いて、日が暮れて来たらば、地域には「祭囃子」の音が流れ。

19時半より、複数箇所で開催されている秋祭りを巡り。

「悪い子は居ねぇがぁ?」と、教員やPTAの方々と防犯パトロール。

そんなこんなでサタデーナイトは更けて行き。

瞬く間、いつの間にかのサンデーモーニング。

まずは8時半から。

地元区で開催される少年少女バレーボール大会の開会式へ。

その後、自転車で帰宅しては車に乗り換え、高速に乗って、一路…

安芸郡は坂町のビーチへ。

海水浴シーズンも過ぎては、閑散としていると思いきや?

そんなこたぁございません。

「年間を通じて、このビーチを有効に活用して行きましょう!」

(写真中央の「坂町長」談)

と、言われる通り。

この度は、ビーチ「テニス」ビーチ「サッカー」ビーチ「バレー」と。

「複数」のビーチ・スポーツ競技が一堂に集い。

その波打ち際は、老若男女で溢れ返っておりました♪

ちなみに通常は?

プロ・テニス・プレーヤーの「岡崎」さんが、定期的に同ビーチにて。

(写真左)

「ビーチ・テニス体験会」を開催されていたりも。

今回、そのビーチ・テニスを初体験したのですが…

めちゃくちゃ面白い♪

練習から、多くの参加者がローテーションでチームを決めての試合まで。

盛り上がるのなんのって(笑)

11月も開催されるそうなので、興味のある方は是非!

そこから、時計の針が13時に向かう頃には、砂まみれで車に乗り込み。

再度、高速を利用して地元へ戻り。

お神輿を担ぎ、町内を隈なく歩き、小さな子供達と一緒に…

幾度も幾度もワッショイ♪ワッショイ!と、声を上げ、笑顔を交わし。

後片付けをして、既に夕刻が訪れながら。

帰宅後に、今度は地域要望を伺いに出かけ。

そこから課題のある現地へ出向く。

そんなこんなが矢継ぎ早に訪れては「冒頭」のヘトヘトに繋がります。

ふう〜。

おっと、気が付けば外は雨で…

さすが自称「晴れ男」。

私の主たるアクティビティは、なかなか雨とバッティング致しません。

今一度、濃密な週末とギリギリまで持ち堪えてくれた天気に感謝し。

明日の天気も気になりますが、まずは寝よう。早く寝るとしよう。

投稿日 : 2016年10月16日
週末晴舞台

遺構(いこう)

平成28年度からの平和記念資料館・本館「耐震化工事」に先立ちまして。

言うなれば、同資料館の耐震化を進めるべく、直下へ杭を打つにあたり。

掘削を行う“その場所”(地下・地中)には「遺構」が眠っていると推察され。

事前に「何が何処にあるか?」等を調査、記録するべく。

昨年より現在進行中で「発掘調査」が行われております。

そして本日、市議団で現地を訪れての「説明会」に参加して来たのですが…

「過去の確かなる人々の営み」を目の当たりにするにつけ。

何と表現すれば適切なのか、言葉を探してしまいますけども。

無言の動かぬ遺構が、現世へ饒舌に語り掛けて来るモノがあって。

そこへ触れ合うだけで、思わず胸がいっぱいになってしまいました。

話を続けると致しまして、同資料館の周辺は、被爆当時「材木町」と呼ばれ。

添付“復元図”の通り、多くの民家をはじめ、幼稚園に寺院、病院に各商店と。

このエリア一帯は、城下町であり、県下随一の繁華街でもあって。

発掘作業が進められる折、まさに「資料館の真下」からは?

近代墓の納骨室や、他に天保、安政、文久の文字が刻まれた墓標。

被爆の熱線によって溶けた、ガラスやビンに、被爆瓦。

江戸時代から昭和初期の食器類。

民家の井戸に土間と、数々の「生活」が顔を出し、最も古いモノは?

広島城下町が築かれた「16世紀代」に遡る可能性がある事も明らかに。

また、掘り下げられた地層を見れば。

「被爆面」(層)と被爆後に復興へ向けて整えられた「整地層」。

この辺りも一目瞭然となります。

改めて、先達の築かれた礎の上に「今」があると、実感し。

平和記念資料館の「真下」でなくとも、こうした遺構は掘れば各所に。

ゆえ、社会見学等で「次世代を担う子供達」に見せてあげる。

そんなシステム(手法)が確立できないモノかな?

う〜む。

決して冗談を用いる訳でなく、深い!

投稿日 : 2016年10月14日
遺構(いこう)

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