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石橋りゅうじ 議会棟控室

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Team Hiroshima♪

12月議会の準備も進め、その間に地域要望を伺いに走り。

現場、区役所、市役所、議会棟と、寒空の下、各方面を行き交う日々。

また、連日に亘り、夜は、夜で?

昨晩はサンフレの感謝の夕べ、今宵はNTT西日本ソフトテニスクラブの壮行会へ。

何が嬉しいって、行く先々で、トップス広島に加盟している…

例えば、広島ガスのバドミントンであったり、ハンドボールのメイプルレッズ、等々。

様々な競技団体の友人と幾人も遭遇しては、都度、スポーツ談義に花が咲く♪

スポーツを愛する者同士、まさに「チーム・メイト」って良いモノです。

そんな、スポーツの振興や環境整備、スポーツを通じての“街づくり”を掲げ。

自称「スポーツ親善大使」として“も”(それだけではないので♪)活動する…

不肖なれ、私ではございますが、折角の機会なので、唐突ながら。

「アスリートの数だけ、そこには固有のドラマがある」とのテーマで。

先日、Jリーグで劇的な逆転優勝を果たした「川崎フロンターレ」の中心選手。

私も、よ〜く知る「中村憲剛」(37歳)さんと、その「ご家族」をPick up♪

(プレーのみならず人格者であり私も大好きな選手です)

今朝の新聞でも取り上げられていた通り、175cm、67kgの細身から…

繰り出されるクリエイティブなプレーは、多くのサポーターを魅了し続け。

昨年はリーグ最年長MVP(36歳時)に輝き、今季はベスト11に選出される。

言わずもがな、押しも押されぬ、名プレーヤー。

また、高校入学時には身長が「153cm」しかなく、苦労人としても有名ですが。

内助の功と申しましょうか、彼を支えて来た夫人がスポーツ報知に寄せられた…

素敵なメッセージ文を、ちょっと長くなりますが、目を通して頂ければと♪


初対面は、大学4年生の春。学内広告で、中大サッカー部が創部以来初めてマネジャーを募集しているのを見つけた私は、友人と一緒に入部を決めた。入部あいさつの時、監督に「マネジャーです。4年生」と紹介された時の「なんで? 年甲斐もなく」という憲剛の表情は今でもよく覚えてる(笑)。

遠征には大学のジャージーを着用するのが決まり。マネジャーはそれぞれ選手に借りていたけど、私が唯一連絡先を知っていたのが、主将の憲剛。ぶかぶかの紺色のジャージーをよく借りてたね。そこから部活前のテーピングの練習に付き添ってもらうようになったりして、いつの間にか付き合うことになりました。

1年後、憲剛はプロになったけど、これまで本当に色んな事があった。2年目は昇格を見届けたくて、留学先の豪州と日本を何度も往復したり、(10年)南アW杯メンバーに選ばれた時は一緒に手をたたいて喜んだ。一番涙したのは13年に(伊藤)宏樹さんが引退した時かな。あの時は2人して夜中の2時頃まで号泣したね。翌日2人とも目が腫れるくらい(笑い)。2歳年上でプライベートも仲良しの宏樹さんがいた時は次男っぽく振る舞えたけど、宏樹さんがいなくなって、憲剛に何か言える人はいなくなっちゃった。そこからは言いづらいことでも言うようにしてきた。

(14年5月)ブラジルW杯メンバーから落選した直後のACL・FCソウル戦の時、2―1で勝ったけど、憲剛のプレーは精彩を欠いてるように見えた。いつもならかかってくるまでかけない電話をロッカールームに戻る位のタイミングで電話した。「みんなにかわいそうって同情されてるからって、この程度のプレーでいいというのは絶対にないよ。ここが一番頑張らなきゃいけない時じゃないの?」今思えばよく言えたなと。傷口に塩を塗るタイプだね(笑い)。

会った時から良くも悪くも変わらない憲剛だけど、一昨年変わらざるを得ない出来事がありました。(15年10月)私が妊娠14週に破水して、緊急入院。10日間の病院生活の間、憲剛は毎日子供と病室に来てくれた。だけど、病室で横浜M戦を見て思った。ボロボロだった。会いに来てくれる気持ちは嬉しい反面、子供二人を連れて練習後に病院に毎日来る負担は想像以上に大きい。これは無理だと。理解してもらうのは難しいかもしれないけど担当医に相談したら無理ですと言われた。「お願いです。帰らせてください。私にとってお腹の赤ちゃんと同じように、上の子2人、そして旦那が大事なんです」。そう伝えて誓約書にサインして半ば強引に退院した。セカンドオピニオンでも絶対安静を言い渡されて、自宅で約5か月間。動けない私に「家にいてくれるだけでいい」と言ってもらえて嬉しかった。「天井を見るだけ」の生活が続いた時に支えだったのは、憲剛の手料理。慣れないながら手順通り頑張ってくれたね。最後はお弁当も作れるようになって、難しくてできないと言ってただし巻き卵も、長女に『くるくるの作って』とせがまれて最終的には綺麗に作れるようになっていたね。

その後みんなの頑張りもあって(16年3月に)リイナが産まれた。その年に、憲剛は最年長リーグMVPを獲得した。今考えると、家事もして、そんな中でちゃんとサッカーもやりきった憲剛を尊敬しています。MVP受賞の瞬間の息子の表情は忘れられません。子供達のヒーローでいてくれてありがとう。

15年前。サッカーがまるで分からない状態で、マネジャーになった私でも、憲剛がうまいのは分かった。あんな所にパスが出せるんだなって、いつの間にかサッカーというスポーツに魅了されていました。この先も中村憲剛のプレーをできるだけ長く見ていたいというのが、今のささやかな夢です。リュウとケイナも大好きなパパが頑張る姿を見たいから多少の我慢は大丈夫。リイナがパパはサッカー選手と覚えてくれるまで頑張らないとね。優勝おめでとう。


寄稿文は以上となりますが、如何でしたでしょうか?

スポーツが人間形成までも寄与するのは、言うまでも無く。

ちなみに、NTT西日本ソフトテニスの日本リーグ壮行会の帰り道。

見事なまでに自転車で「初雪」に直撃&ビショ濡れの私ですが。

(決して怪しい者です♪)

相も変わらず、寒気すら覚えず、風邪一つひかず。

強靭なる肉体までも築く、スポーツって…

改めて、素敵やん♪

投稿日 : 2017年12月05日
Team Hiroshima♪

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