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石橋りゅうじ 議会棟控室

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御報告と御説明

議会に地域の活動、各種の会合等々が矢継ぎ早に訪れ。

ブログを更新する機会が週末にまで後ろ倒しとなりましたけども。

改めまして、私の「公判」(裁判)の話をさせていただけば。

先の15日に、最高裁への「上告」が棄却されました。

「その貴方の申し出は受け付けません」と。

そこで。「棄却」を不服とする際は“そこ”から3日以内に最高裁へ対して。

三審制度の国内“裁判”において、本当に“最後の一手”となります…

「異議申し立て」が行えます。

当然ながら、私は17日に異議申し立て書を提出。

翌18日に最高裁が受理。

そして。一般的には“この18日”から期間にして…

1、2週間(長くて1カ月)以内に最高裁が判断をくだされるのですが。

こちらの意義申し立てが「退けられた」時点で。

私は議員職を失います。

顧みれば、起訴された当初。

たとえば、私は自らの罪状を認め、一切の手続きを略式で済ませては。

「裁判に臨まない」との選択肢もありました。

なぜなら、日本の“刑事”裁判は、ひとたび起訴されたらば?

その“有罪”率は「99.9%」以上です。

しかし、この法治国家において、如何に無罪を勝ち取る確率が低くとも。

天地神明に誓い「絶対に」買収行為に手を染めていないにも拘わらず。

そこを認めては泣き寝入りする。なんて、あり得ません。微塵も考えられない。

重ねて、日本では「無実でも無罪とはならぬ」なんて揶揄されることもあれ。

無実の確信で溢れかえる私は「裁判に臨む」自体を非常に“前向き”に捉え。

法廷の開かれた場で、あらゆる背景、その事実を示した上で。

「必ずや無罪を勝ち取れる」と。

ここを疑ったことは過去に1度もありませんでした。

しかし、結果的には“冒頭の通り”最高裁への上告は棄却されることに。

他方、時を同じくして。

かねてより親交もあり、同様に無実を訴え裁判を戦ってきた渡辺県議の…

2審における判決もくだされることになり、同公判が閉廷した後。

あの“無罪請負人”と称される担当弁護士の「弘中氏」は会見にて。

次のように口にされています。


「この事件は、まず河井さんの一連の大きな事件の流れがあって…」

「その中の一つの駒として(我々のケースは)捉えられてしまったわけですね」

「本当は(被買収側とされる人々にも個々で)色々と違う点があって」

「渡辺さんの場合も幾つか論点があるわけですけども」

「そういう(大きな事件の)流れに流されることなく裁判官が個別の事件として」

「もう少し理解力と“勇気”をもって臨んでくれないかと期待をしていたんですが」

「その期待が裏切られて」

「残念な裁判官だったというのが率直な感想ですね」


上記、弘中氏のコメントでキーワードを取り上げますと。

「勇気をもって臨んでくれと」裁判官に期待する箇所になります。

続けますと通常。犯罪の容疑が浮上したらば、初動は「警察」。

その後、捜査の末に警察から書類送検され、次に公訴権を握る検察が…

容疑者を「起訴するか?否か?」の判断をくだす運びに。

ただし、この時点で送検された全体の「3分の2」は嫌疑の不十分や。

また、理由は明かされぬままで、いずれにせよ「不起訴」となり。

残りの「3分の1」のケースだけが“起訴をされている”のが実態で。

上記「3分の1」の容疑者、その90%以上は自らで「罪を認めている」…

からこそ、起訴された場合は、異常に高い「有罪率」になっていると。

これが、日本国の刑事司法の実情。※諸外国は“ここまで”高くありません

ゆえ、私のケースでも。

「こんな酷いことは二度としません」「どうか寛大なる処分をお願いします」

と、一度も口にしたことのない内容が記載された作文の供述調書に…

やむ無くの署名と押印。

(だからこそ「起訴」が可能となり、起訴さえ叶えば後は“向こう”の土俵です)

つまりは。

「無罪」との言葉が世の中には“相応”の度合いで飛び交っている感はあれど。

実際のところ、判決に際しては「極々」わずかであって。

裏を返せば、ひとたび裁判官が「無罪」との判決を言い渡すにあたっても。

組織の壁、出世コースの壁、閉じられた世界の壁、そして…

虚心坦懐に「無罪を無罪と告げられる」勇気の壁、等々。

これは幾人もの裁判官「自身」が著書等で明るみにされておりますけども。

仮に。あくまで不穏当な“たとえ”となりますが、審理後の判決に迷っても…

「有罪」と言い切れば、1000回中、999回は裁判官として…

“悪目立ちしない”のです。業界内からも世間からも「嗚呼、でしょうね」と。

裏を返せば、1000回中で「1回」の無罪を口にするは、容易にあらず。

なぜなら、1審で「無罪」となった場合、検察が十中八九「控訴」をします。

そこで、控訴審に移行した後…

7割〜8割は「逆転で有罪」となるのも日本国の刑事裁判で。

言うなれば…

「おいおい裁判官よ」「貴方の無罪判決で検察の面子をツブシながら…」

「結果、続いての控訴審では“別の裁判官”の判断によって…」

「キチンと“有罪”判決に着地しているじゃないか?」

「この度は、どうしてくれるものぞ?!」と。

ましてや。

私どもの件では「警察の初動」ではありません。

東京地検特捜部。つまりは、特別な「検察」部隊から動き出し。

大阪、名古屋に留まらず、各方面から大人数の助っ人検事を大動員。

溢れんばかりの時間とお金を費やした…

「特捜」案件の起訴を、虚心坦懐なる見地から審理の結果…

勇気をもって「無罪」と言い渡す。

一人の裁判官として…

どれだけ様々なハードルをクリアしなければならないのか?

ゆえ、前述の弘中弁護士の言葉が出てくるわけです。

「残念な裁判官だったというのが率直な感想ですね」と。

なんて属人的(人次第)な司法制度の現場、その実情なのでしょうか。

だからこそ。日本の司法制度は、かねてより諸外国から幾つもの…

“あまりにも前近代的な”問題点を指摘され続けていたりも。

そこで、改めまして。

ここまで長々と綴りながらも私は。

「立つ鳥、跡を濁しあげる」とばかり、恨み節を吐露しているのではありません。

数年間にわたった“現場での実体験”を、謹んでご報告している次第で。

今一度、私は。

公私にわたり…

「今回は克行さんにやられた」「日本の司法も破綻している」「絶対に許せん」

なんて口にしたことは、ただの1度もなく。

結局、全ては私の不徳の致すところで「我、未熟」ゆえ。

いずれにいたしましても。

最後の最後まで。

「無実を絶対に証明」すべく、全力を尽くしてまいりました。

加えて、無論。

同時期も並行して、議員活動に“全身全霊”を注いでまいりました。

議員として、残された時間は少なくなろうとも。

(その可能性、著しく高くとも)

引き続き「より良い社会」「より良い未来」へ向けて。

一人の社会人として掲げ、取り組むことは今後も何一つ変わりません。

結びに、この度に際しましては。

広島のみならず、全国的にも政治不信を生じさせ。

更には、そこを助長させた事件に名を連ねる一人として。

今一度、心から、心から皆さまへ深くお詫びいたします。

つきましては。

「胸を張って」なんて安直に言い切れる立場ではありませんけども。

絶対に「悪事に手を染めていない」事実は揺るぎなく。

熱き血潮と共に、上を向き。

何一つ成し遂げてはいない私なんぞ。

まだまだ。まだまだ。

この歩み、止めることなく進めてまいる所存です。

深謝

投稿日 : 2024年4月21日
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