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石橋りゅうじ 議会棟控室

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3分の1

週末に入りました。

つきましては、もし「お時間ができた」という方々は。

つい先日、私が行った一般質問…

「29分30秒」用の読み原稿に目を通していただければ幸いです。

(文字にして約9,500文字)

無論、長文なのでご無理は申しません。

私は、いつもながら原稿を書き始める際は?

まず「1時間30分」用くらいの文量を書き上げて。

その後、持ち時間の「30分に収まる」よう、半分以上の内容を削って行くと。

この作業が、とてもハードなのですが。

(しかも今回は、超〜短期間に仕上げなくてはならず)

裏を返しますと、今回にせよ。

発したい「世界事情」が、実現したい「広島市の取り組み」が…

自らの熱い思いの数々が…

前のめりに、あれもこれもと非常に多すぎて。

結果、かなり削りました。苦労しながら内容を。バッサリと。

では、あくまで「読み原稿」なので、文体も語り口調なれ。

記します。スタート。


これよりまず、TPNW「核兵器禁止条約」について伺って参ります。

我が国の最新となる、令和5年版“防衛白書”にも、冒頭にて「国際社会は戦後最大の試練の時を迎え、新たな危機の時代に突入しつつある」との表記が物語るように、現在、世界の安全保障は混迷を極め、我々は「戦後」にあらず、「新たな戦前」とも呼べる局面、その只中で日々を送っています。

思えば、知性と想像力を有する人類が、軍拡競争の果てに待ち受けるカタストロフィ、“悲劇的な結末”を描けぬも、また、人類であり。そこで「人類の行く末を占う」と表現しても過言なき、核兵器を取り巻く情勢に、まずは迫ってみるといたします。

近年では、幾度か“歴史の動いた瞬間”が訪れており、その最たる例が、人々の記憶にも新しい「2016年・バラック・オバマ氏の広島訪問」や「2021年・核兵器禁止条約の発効」となりますが、これら時代の節目の中でも、かつて、ここまで核兵器や核軍縮の関連報道が「我々の耳目へ届けられた前例はあったであろうか」と感じられたのが、先に閉幕したG7広島サミットでもありました。

無論、この度のサミットで「核軍縮」に強く焦点が当てられた背景には、現在進行形の「ウクライナ危機」があり、思えば、あの世界に衝撃を走らせた「ロシアのウクライナ侵攻」から約1年半が経過するも、ウクライナの反転攻勢は苦戦を強いられ、戦況は出口の見えぬ“長期化の様相”を呈しています。

これまで、一般市民の死者は1万人に迫り、戦火によって、世界各地に派生するウクライナ難民は今なお、約620万人に及ぶなど、現地では、尊い一つの命が、また、温かい家族の営みが不条理に奪われ続けているのが実情で、かの地に生じる悲嘆と憤怒の連鎖は、未だ留まるところを知りません。

そして、不肖なる私などは、海外の報道カメラが捉えた無辜なる市民の涙、また、新聞紙面にて記号化される死者の数に“どこか慣れてしまっている”自分に、ふと気付かされ、自省の念に駆られながらも、国際平和文化都市に住まう一人の市民として、僅かでも何かを前進させたく、本日この場に臨んでいる次第です。

ともかく、当該国のロシアをはじめ、依然、北東アジアに緊張を走らせる北朝鮮などの強権国家が“核の恫喝”によって求める現状変更、そのエスカレーションに、世界が振り回されては人権が蹂躙されており、なぜ、近代社会にあって、いち権力者がいとも簡単に国際法や国連憲章を破ってしまえるのか?

まずもって、国連自体が安保理の常任理事国、P5による「核の威嚇を用いた侵略行為」を想定しておらず、こうした構造的問題の中枢には言わずもがな「約80年もの間、核兵器が鎮座している」ことから、先のG7サミットでは、5月19日付けで「核軍縮に関するG7首脳・広島ビジョン」が発出されました。

内容に目を向けますと、各国とも核廃絶の壮大なる“理想”は共有しながら、一方では、緊張の高まる自国の安全保障を“現実”と捉えた上で「核抑止」に重点を置き、根幹に据えられたのは、ビジョン内に幾度も登場するNPT「核兵器不拡散条約」でした。

ならばと、言い尽くされた“NPTの功罪”を敢えて取り上げますが、条約発効から既に半世紀を経てなお、核保有国へ義務付けられた「誠実に核軍縮交渉を行い、かつ完結させる」約束は、関係各国のリーダーが変わる度に流転し、時に締約国が脱退をすれば、かたや、非加盟国が核開発を進めて実際、保有にまで至っています。

また、近年の再検討会議でも、最終的な合意文書が不採択の連続で終わっているのはご承知の通りで、先に閉幕した準備委員会にせよ、広く支持を集めては最終的な合意を取り付けるため、肝心要の内容が次々と骨抜きで当たり障りなき総花となるなど、展開の見えぬ閉塞感は「NPTの大きな課題」となっています。

我々は兎角、米国との同盟関係もあって、あらゆる事象を“西側諸国の立場”から見る傾向がありますが、ひとたび、中立の見地からNPTを俯瞰すると、たとえば米国は、いわゆる「法の目をくぐる」が如く、NATO「北大西洋条約機構」において、核を保有せぬ同盟国へ国境をまたぎ、広範に渡って核兵器を配備しています。

更に、中東外交において鍵を握る友好国イスラエルが“NPTの条約発効後も未加盟”を続けた結果、核兵器の保有に至るも、それは「公然の秘密」と呼ばれるなど黙認状態が続き、かたや、反米国家とされるイランには、核兵器の製造に至らぬよう“強い査察体制”を求め、未だ仲介するEUを挟んでは、綱引きの状態が続いています。

只今の例示は「欧州や中東の安定を図る戦略」とは言え、この辺りもNPTが「不平等条約」と糾弾される所以の一つであり、補足まで、私は虚心坦懐にNPTを考察したいだけで、同条約を否定する立場ではありません。

翻れば、TPNW「核禁条約」の締約国会議と違い、核軍縮や現存する軍備の管理へ向けて議論するにあたって、核保有国と非保有国が“同じテーブルに付ける”好機はNPT「最大の強み」と言え、また、条約の発効後より、あの冷戦期に冷戦後を含め、果たしてきた最大限の“核不拡散”は、歴史上でも高い評価に値すべきものです。

どちらにいたしましても、種々、こうしたNPTの抱える諸課題までも補完し得る条約として、後に発効されたのが核禁条約であり、繰り返せば、国民の命を守る重大な責務を負う各国首脳は「corner stone」と言う単語を用いられ、NPTを、つまりは「核抑止」を、理想への“礎石”に据えられました。

つきましては、本市がもう一方の要となる核禁条約を発揚させる、その役割を担うべく此処に伺います。

本年11月にNYで開催される「核兵器禁止条約・第2回締約国会議」が迫ってまいりましたが、世界的にも注目の集まる貴重な会議の開催にあたり、広島市としては、如何なる訴えを届けるのかお聞かせください。

続いて「平和首長会議について」伺います。

国家に頼り切り、しかし、ひとたび戦時に陥れば、いつも多大なる被害に見舞われるのは「都市」であるゆえ、そこで「世界の都市で国境を越えて連帯し、ビジョンを共有、核兵器廃絶をはじめ、社会の抱える諸課題の解消へ取り組み、世界の恒久平和を実現する」ことを目的として、41年前に誕生したのが「平和首長会議」になります。

加盟する都市はその数、世界で8,000を超え、現在は「2020ビジョン」の後継となる「PXビジョン」を掲げ、2021年から2025年の“行動計画”に取り組む最中にあります。

顧みれば、このキャンペーンの転換点に私は、本会議において「県からは『核廃絶の目標年次を2045年に!』などの声も聞かれるが、こんなにも被爆者の方々を失望させる物言いはない」。

「一方、目標を掲げるからこそ、そこではじめて『努力をすれば辿りつける』絵を描けて行動変容に繋がるので、2020から次の目標年次を掲げてほしい」旨、発言をいたしました。

当時は「そこへ応えるのは難しい」答弁を頂戴したのですが、この数年間で世界情勢は急変を遂げています。

そこで、複雑に交錯する周辺国を幾つか取り上げれば、はじめに核の脅しで隣国を侵略するロシアは、日本国の約45倍を誇る、広大なる土地と国境ラインを最も効率よく防衛するにあたり、そこへ加えて、ユーラシアの国家が次々と民主化へと染まる中で、自国独自の内政を保つためにも、過去から先鋭的に核開発を進めては大量に製造保持、実戦配備してきました。

そして、現在は、核兵器の近代化計画を遂行し、隣国のベラルーシへ核配備まで進めています。

更に、先頃は軍事協力などを念頭に、北朝鮮との距離を縮めておりますので、これより北朝鮮へと目を移しますと、昨年「核の使用は他国への報復のみ」であった法令を無効とし、「先制使用も可能」へと改定しては、多弾頭型や極超音速型など、迎撃の難しい戦術核の実験・開発を日々、加速させているのはご承知の通りです。

続いて中国は、これまで核政策においては「先制不使用」を明言するなど終始、歴史的にも自己抑制的な立場を執っていましたが、近年は明確に態度を変容させ、物理的にも核インフラの整備が著しい進捗を見せています。

たとえば、大量兵器を格納する300カ所に迫る地下サイロに加え、プルトニウムを生成する高速増殖炉の建設を進めては順次、本格稼働させる運びにあり、そうなると“年間に100発以上”の核弾頭を製造できる体勢が整い、このまま行くと、核の均衡においても米露に比肩するのは間違いありません。

あの冷戦期より、確実に減少していた核兵器が、各国による戦力の近代化と拡大を進めた結果、昨年は運用可能な核兵器が「増加」に転じ、今後も“増え続ける”トレンドにあることから、ストックホルム国際研究所は「世界は危険な局面に入りつつある」と今時分、大きく警鐘を鳴らしています。

そこで、本国に迫ってみれば、過去に岸田総理も「核禁条約の“交渉の場”に日本は加わるべき」との考えを政府内で示されながら、様々な関係者から諫められては実現に至らず、こうした事実背景が、総理自身も口にされる、「核廃絶へ向けては、急がば回れの精神で臨むが肝要」との現行スタンスに繋がっていることは想像に難くありません。

しかし、単純に比較対象とする意味ではなくとも、先だって後進に道を譲られた、平和行政の多大なる功労者、長崎市の“田上”前市長は、被爆者の方々の年齢も熟慮した上で、核廃絶の目標へ向かい、一貫して「我々は最短距離を歩む」との活動を重ねて来られました。

他方、この度のG7広島サミットでも、世界中の市民社会組織が集まる公式団体「Civil7」からは、核廃絶へ向けて「具体なプロセスと目標年次を示して欲しい」声が、特に多くの若者を中心に発せられ、私にせよ、熱く躍動する次世代の頼もしさを実感した次第です。

そこで、伺いますが、平和首長会議としても、核兵器廃絶に向けた緊急提言として、まずは“目標年次”を改めて設定、打ち立てるべきかと存じますが、本市のご所見をお聞かせください。

続いて、不遜を承知の上で端的な物言いをいたしますと「核抑止に頼る各国が、自国の安全保障を『核以外の手段で補える』と確信を持てば、廃絶へ向かう可能性は高まるであろう」と、あくまで理論上では構築されます。

しかし、現在、この様な理論を空論では終わらせまいと、県の“ひろしまイニシアティブ”では「核抑止に代わる、安全保障政策や核軍縮の具体策を提案する機関や専門家を後押しする活動」を展開しており、他にも、長崎大学核兵器廃絶研究センターでは「核抑止に依存しない安全保障の枠組み、構築等に貢献できる研究や提言」に注力されています。

こうしたアクションは、かねてより世界規模で地道に構築されながら、未だ確立には至らず、いずれにいたしましても現在、世界の安全保障を取り巻く趨勢として、行き着く場所は「核兵器廃絶は究極の理想ではあるが、現実的に今ではない」と、此処へ集約されてしまいます。

ならばと、フラットに“実情”へと迫ってみますが、今般、核兵器が使用される蓋然性は「絶対的に低い」とどれだけ見積もられても、まずは存在する限り、意図的・偶発的を問わず、使用の可能性は必ず残されます。

思えば人類は、あの宙に舞うスギ花粉よりも小さな“新型ウイルス”と対峙した時も、ひとたび感染・発症すれば、当初は「患者を病院へ収容する事さえ困難を極めた」現代社会の脆弱性を覚えていらっしゃるでしょうか。

地球の存亡さえも脅かす破壊力を持つ「戦略核」は勿論のこと、“使える核兵器”と言われる小型化された「戦術核」であっても、ひとたび使用や爆発に至れば、全身に多量の放射能を浴びた負傷者の治療に、どこの国の、どの医療体制が迅速に当たれるのでしょうか?

そもそも、大量の放射能に汚染された戦地へ可及的に速やかに、如何なる規模で救助へ向かえると言うのでしょうか?

付言いたしますと、各国の軍備における先端は、既に「宇宙」「サイバー」「AI」などのフェーズに入って久しく、あの2014年の「クリミア併合」の時点でも、ロシアはサイバー空間も利用したハイブリッド戦を強いるなど、国家間におけるサイバー関連の侵害行為は、年々急増しています。

国際法の適用も難しく、攻撃側が圧倒的に優位な“この世界”では、単独国家での防衛も難しいのが実情で、また、核保有国の指揮にあたる統制は、国々により程度の差はあれ、監視に偵察、警戒など、地上の通信基地と人工衛星のユニットを含めた「宇宙システム」に支えられています。

しかし、サイバー攻撃に対する核戦争の防衛網は、未だ「脆弱性を孕んでいる」からこそ、ロシアや中国は、この分野を“米国のアキレス腱”と捉え、早々に宇宙兵器の研究や開発を進めてきたのは、周知の通りです。

改めて“核抑止”とは、登場するキャストが「合理的に物事を考える」状況を前提としており、非合理的な政治を算段しない“破綻した理論”であれば、一方、意図的のみならず、システムの誤作動やサイバー攻撃などの「偶発的な核使用」にしても、一連の有事に核の傘が介在する余地は微塵もありません。

リスクの発生に、そこへの防衛は秒単位の争いであり、「核抑止が国家間の大戦を防いできた」と言うのは、立証ではなく、あくまで“モノの解釈”であって、これ以上を過ぎると元の場所には戻れない、回帰不能の場所や状況を「Point of no return」と言いますが、そんな地点へ人類が踏み入れる前に、今こそ国境を越えて“連帯する都市の行動”が求められています。

そこで、伺いますが、今や加盟都市が8,200を超える平和首長会議としては、このネットワークを最大限に活用した上で、どのようなアプローチを用いて「核兵器廃絶を実現しようとしているのか」お聞かせください。

では、次に「平和記念式典について」伺います。

何もG7サミットの広島開催のように、稀有なる機会ばかりが物事に変化を及ぼす契機にあらず、世界各国から要人をお招きしては、市民の方々と共に挙行されます「平和記念式典」にしても、広く世界と結ばれる“極めて大切な機会”であり、世界を動かす好機であることに疑いの余地はありません。

余談ですが、私が初めて市議会議員として平和記念式典に出席しては、間近に式典の全貌に触れた際は、正直、洗練された構成に感嘆いたしました。

手前味噌で恐縮ながら、私はオリンピックやサッカーW杯関連など、5万人の観客を前にするLIVEイベントにおいて、秒刻みでのコメントや演出をミスなくこなす世界へ長年にわたり“身を置いてきた”一人ですが、先述の通り、本市の平和記念式典“約50分間”の全体構成、その「完成度の高さ」を目の当たりにし、加えて、司会進行をはじめ携わるスタッフにせよ、市職員が担当されていることにも驚きを隠せませんでした。

閑話休題。話を本論へと戻せば、過去の本会議でも私は一貫して口にして参りましたが、人類の頭上に3度目の原爆投下を防いできたのは、何より、心に負われた深い傷を再び都度、開いては「こんな思いを二度と誰にもさせてはならない」と、子々孫々の世代のために訴え続けてくださった、被爆者の方々のお蔭に外なりません。

しかし、ご労苦を重ねられた方々の平均年齢は今年、85歳を迎えられ、誠に悲しくも現実として、いつか被爆者の方々の肉声が、後世の耳へ届けられない時が訪れてしまいます。

数十年前の平和宣言より、連綿と継承されます我々の責務となる「ヒロシマの声を世界へ」「核兵器廃絶と恒久平和を実現する」普遍的な変わらぬ命題を成就させるためには、時代や世界情勢に応じて我々が変わり続けなければならず、平和記念式典につきましても、此処に今一度「現行のままが最良なのか?」即時の変更、云々は別にしても、まずは「協議の時」を迎えているのではないでしょうか。

核禁条約の発効へ向けても、多大なる尽力をされたカナダ在住、サーロー節子さんは本年、8年ぶりに本市の式典に出席された後、報道陣に向けて、次の言葉を残されました。

「被爆者の方々は、どんどん亡くなっていらっしゃいます」
「その最後の一人まで、被爆者の人たちの発言に敬意を表しては如何でしょうか」
「きっとあの人たちは心の底から訴えたいものがあると思います」
「そういう機会を是非、作って欲しい」と。

8月9日に挙行される長崎市の平和祈念式典は、全体を65分間で構成されていますが、まずは開式前に「Chorus by A-bomb Survivors」から(被爆者の方々による合唱から)始まります。

そして、開式後、約20分が経過した後、市長による平和宣言が行われ、続いて「平和への誓い」として、被爆者の方が時間にして9分間ほど喋られるのですが、表現は誠に不穏当ながらも事実「ご当人の経験に勝るモノはなく」しかも「LIVE」にて、当時の人間模様、被爆の実相がリアリティと臨場感を伴い、聞き手の胸に迫ってまいります。

本市の平和記念式典につきましても、長年にわたり、その時々の曲折を経ては“現行の式典スタイル”になっている事を、また、多様なるご要望があった過去も重々承知しながら、私は長崎で生まれ、トロントでも暮らしていたので、サーローさんの声を届け、此処に今一度、伺います。

時代も移ろい、世界の社会情勢も千変万化を遂げれば、被爆者の方々も年齢を重ねられる折、長崎平和祈念式典の“平和への誓い”のように「式典の中で被爆者の方が発言する機会を設けていただきたい」と熱望するものですが、本市のご見解をお聞かせください。

では、続いて「平和記念資料館について」伺います。

まずもって、私は議員になる以前より、一人の広島市民として「決して忘却してはならない」と、定期的に平和記念資料館へ通っておりました。

重ねて、此処に臆面もなく吐露いたしますと、幾度も資料館に足を運ぼうとも、順路の中盤から終盤にかけて必ず、私は涙が止まらず、変に大きな嗚咽を伴うものですから、周囲からの目を気にしては、いつも懸命にハンカチで口を押えながら拝観しているのが実際です。

つきましては、品行を欠いた表現となりますけども事実として、同資料館を訪れて応分の時間を費やし、幾つもの展示物と語り合った後に「核の発射ボタンを押せる人間は存在しない」と、私は謹んで断言できます。

ゆえに、過去の一般質問でも、広島では「世界文化遺産の宮島と平和公園を訪れる」ツーリストが圧倒的に多いにも拘わらず、宮島から戻ってきては資料館へ向かうも、冬場にせよ閉館時間が非常に早く、そこで「閉館時間を延長すべき」との提言を行ってまいりました。

加えて、同資料館は、夏場は長く、冬場は短く、季節ごとに閉館時間をアレンジされていますが、此処に毛色の違う、国内外の美術館を持ち出して恐縮ながらも、こうした施設は年間を通じて「週末」に閉館時間を延長し、中には、月一で入場無料の曜日を設定、その際にイベントを催すなど、多様なる形態で運営をされています。

改めて、平和記念資料館に話を戻しますと、本年8月6日の新聞各紙では「平和資料館・国を超えて共感」「入館者 最多ペース」「サミット翌月、5万人超」などなど、G7サミット効果により、国内外から多くの来館者が訪れている模様が報じられました。

そこから、時系列では世の中に“お盆休み”が訪れますが、今度は一転、新聞紙面には「原爆資料館 大混雑」「入館に2時間待ち」「本館の下に400mの列」などなど、せっかく人々が遠方より足を運んでくださりながら、暑さも伴い待機列の途中、平和公園を後にする人が幾人もいらっしゃいました。

そこで、伺いますが、本年8月には「資料館への入館2時間待ち」などの報道に触れましたけども、一人でも多くの方に被爆の実相に触れていただくために「何か対策を講じて欲しい」と切に願うのですが、本市のご所見をお聞かせください。

続いて「平和記念公園に絡め、原爆供養塔納骨名簿について」伺います。

冒頭にも触れました通り、2016年の5月、当時、現職の米国大統領として初めて、オバマ氏が平和記念公園を訪れ、この歴史的な一幕を契機とし、その後に平和公園や資料館へ訪れる人々が、右肩上がりに増加しました。

巷では「オバマ効果だ」と取り沙汰され、勿論、その効果は覿面ながら、一方でも増加要因の背景には、かねてより「被曝の実相を知ってもらう」べく、一人でも多くの来園、来館を目指して地道に取り組んできた本市の担当課に、礼節を持って訪れた人々をケアするボランティア・ガイドの方々を含め、多くの関係者が継続される縁の下のご尽力があったことは、言うまでもありません。

そうした当時、私も迎える側の市民として「この平和公園の充実度を更に高めて行きたい」と思い立ち、2018年の6月になりますが、平素から幾度も平和公園に足を運ばれるボランディアガイド、バスガイド、通訳ガイドの方々にご参集をいただき、「日頃、心に抱かれている平和公園の改善点」を現場の各所を巡り、確認しながらヒアリングを行いました。

そして「表示板の位置や内容」「滑り易いキケン箇所がある」「樹木の剪定を」「設備の修繕」など、私も与った改善点の数十ヶ所をリポートにまとめては各担当課に報告し、誠に有り難くも、その殆どを迅速に対応、改善していただきました。

中でも思い出深いのは、原爆で亡くなられながら、氏名の判明しない7万柱のご遺骨が納められている原爆供養塔、その目の前が土のグランドであり、雨が降る度にぬかるんでしまう状態であったところ、たとえば、ケニアや南アフリカから平和公園に訪れる人の中には、未だ平和公園の地下に眠るご遺骨に際して「靴を履いたままでは失礼であり、死者と対話が出来ない」と、公園内で靴を脱ぐ人々もいらっしゃる。

そんな光景を幾度も目にしたガイドさんから「何とか供養塔の前を舗装してもらえないか」との要望があり、私も承っては担当へ届けたのですが、無論、簡単に前進する規模の話ではありません。

それから、約2年後。不意に担当課長から一本の電話を頂戴し、受話器の向こうから聞こえて来たのは「ようやく予算化が叶い、これより舗装工事に入ります」との力強い経過報告でした。

今でも私は、あの時の感動と感謝の念を忘れませんけども、舞台となった供養塔には、氏名が判明しないご遺骨とは別に、未だ氏名が判明しながらも「引き取り手のないご遺骨」が存在いたします。

被曝から10年後の1955年から本市は、ご遺骨の氏名を毎年公開しており、皆様も役所や公民館等で、その何百人もが記名されました“白い大きなポスター”による知らせを一度は拝見した事があるかと存じますが、あの8月6日から78年が経過し、年々、引き取り手の判明が困難になっています。

我々は、とかく「未来思考」を掲げ、思いを次世代に傾斜させてしまいますが、確かなる過去の先人が「今」を形成してくださっており、それがどなたであろうとも、亡くなられた方々への“畏敬の念”を忘れてはなりません。

氏名が判明しながら、ご遺骨が、ご遺族のお手元へ帰れない。故郷の地へ戻れない。

現世に生かされている我々としても、これほど心苦しい状況はなく、状況的には時が経過して“簡単ではない”にせよ、今後も最後の最後まで引き取り手を探し、ご遺骨とご遺族を結びたく、これより伺います。

被爆から78年が経過し、今後、ますます“遺族探し”が困難を極めて行くと思われますが、なんとか遺族探しに結び付くよう、原爆供養塔納骨名簿の周知、その強化を図っていただきたいのですが、本市のご所見をお聞かせください。

私の一般質問は、以上といたします。ご清聴、誠に有り難うございました。

投稿日 : 2023年9月23日
3分の1

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