昨日(28日)は、午前中に“議会運営委員会”が開催され。
その後、午後からは“会派勉強会”が行われましたので。
イコール、時は「議会開会の1週間前」を告げております。
12月議会は、5日(月)に開会して。
8日(木)、9日(金)、12日(月)と「一般質問」が続き。
13日(火)、14日(水)と「常任委員会審査」。
15日(木)に議決等、閉会する予定です。
「おそらく」との注釈を挟みながら、前人未到のハイペースにて…
年に何回もの一般質問に登壇してきた私ですけども。
12月議会は、これまた「おそらく」とワンクッション入れながら。
私は「一般質問には」エントリーしないと思われます。
(限られた人数枠を他の議員さんが務められるので)
しかし、各種の審議には「真摯に全力で臨みます!」なんて。
無論、当たり前なので高らかに叫ぶこともなく、
いつも通り、粛々と、手を抜かず、おごらず、昂(たかぶ)らず。です。
そして、外は久々の雨。
「慈雨」(じう)とは、よく言ったモノで、程よく物を潤し、育てる雨。
平素より、兎にも角にもジっとしていない私にしてみれば。
当然の様に「今日も自転車」移動ですが、動く度に雨合羽を着用…
しなければならないので、行動もちょっと自重気味。さすればと。
慈雨に心も潤したく、幾つかの記事をご紹介すると致しましょう。
『大切な人と、今日、話そう。』
「まぁ、よかったな」「うん、おいしい」「おう」
「いってらっしゃい」「また、来週ね」
これらは、震災で亡くなった方々の、日常の言葉。
そして、最後の言葉。
わたしたちは、明日何が起こるかを知ることはできない。
だから、今日3月11日、大切な人と話してください。
「ありがとう」や「ごめんね」を伝えてください。
あの日、あなたが知ったように、
明日が来るのは、当たり前ではないから。
あの日の後悔と悲しみを繰り返さないために、
3月11日を、大切な人を想い、大切な人と話す日に。
岩手日報
説明は不要ですね。あの日の地元紙の新聞広告です。
新聞と言えば?
次に、新聞への“読者投稿”を1つ、ご紹介させてくださいまし。
妻が願った最期の「七日間」 (神奈川県 71)
1月中旬、妻が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。
《神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください》
《一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーにシチューも冷凍しておくわ》
妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。そのまま不帰の人となりました。
詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。
三日目に身の回りを片付け、四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。《箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く》
五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生日会を開く。
六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして七日目。
《あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ 大塚博堂のCDをかけて ふたりの長いお話しましょう》
妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。
《私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ》
2人の52年、ありがとう。
如何でしょうか。
人情の機微に触れますね。
読後感を大切にすべく、これ以上、文字を連ねるのは控えるとして。
明日は晴れるかな。
投稿日 : 2022年11月29日
『ひととひと』