本日、6月議会が閉会を迎えました。
この度の議会(定例会)にて、まず大きく注目を集めた案件が。
「広島市平和推進基本条例」です。
事前に素案を作り、広くパブリックコメントを求めたところ。
多様なる数多くの意見、提言、賛否が寄せられました。
重ねて。例えば、大学教授から…
「〇条を再検討すべし」「〇条に〇〇を加えるべし」との陳情や。
また、民間団体より同条例を「可決しないように」との請願が。
更に、法曹(弁護士)界からは。
「慎重かつ十分な審議を求める」会長声明も届けられたりと。
本日までも、数々の。
建設的なる物議(世間の議論)を醸して参りました。
そして、結果は「可決」(条例制定)に。
ついては、ここに私としての所感であり、スタンスを口に致しますと。
当初は?(同条例の制定を目指す、検討のスタート時)
「平和を推進する為に条例を作らんとする」アプローチ。
その意味を、必要性を、なかなか見出せず。
※「条例で制定されて他動的に、ではなく、誰もが能動的に取り組むべし」の意
(勿論、他都市で「平和推進条例」を定めていらっしゃる所はあれ)
しかしながら。
制定へ向けて、繰り返される議会内での審議を目にしては。
市民の方々や専門家から寄せられる声を耳にした結果。
「その意味と、必要性を、見出せた」。
そこまで、私の意識、スタンスは激変しておりませんけども。
決して“全面否定”へと旗幟鮮明。
(個人としても、会派としても)「反対」を選択するには至らず。
※無論、半端な感情で賛否を選択した訳ではございません
(この辺り詳細のご説明は紙幅、ならぬ画幅を要するので、また別の機会に)
かつ、多くの議員(会派)が「賛意」を示され。
繰り返しとなりますけども、結果は「可決」へ。
ならばと、今一度。
本日、上程されては可決された「議員提出第5号議案」。
その全文を、ここにご紹介させて頂きます。
広島市平和推進基本条例の制定について
広島市平和推進基本条例を次のように定める。
広島市平和推進基本条例
昭和20年8月6日、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下され、広島の街は一瞬にして焦土と化し、壊滅、焼失した。当時、広島には約35万人の人々がいたと考えられているが、同年末までに約14万人が死亡したと推計され、生き残った人々も、急性障害だけでなく、様々な形の後障害に苦しめられている。
さらに、被爆者に対する結婚・就職等での差別により、後に、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を受けることが困難になるなどの被害もある。また、放射性物質を含んだ黒い雨による被害の議論は、いまだに続いている。
廃墟の街となった広島は、「75年間は草木も生えぬ」と言われたが、堪え難い悲しみと苦しみを乗り越えて復興に立ち上がり、広島平和記念都市建設法の制定を実現させ、市民の英知とたゆまぬ努力、国内外からの温かい援助などにより、めざましい復興・発展を遂げていった。
本市は、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」との思いから、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を願うヒロシマの心の共有を訴えてきた。さらに、国内外の多くの人々に、原子爆弾による被爆の実相に触れてもらうため、広島平和記念資料館や原爆ドームへの来訪を推進するとともに、放射線被ばく医療に対しても国際貢献してきた。
また、被爆者の壮絶な体験と平和への思いを後世に伝えるため、被爆体験の継承及び伝承を行ってきた。
しかしながら、被爆から75年が過ぎ、被爆者の高齢化が一段と進み、被爆体験を直接聞き知る機会が失われつつある。また、市民による平和の推進に関する活動の担い手が高齢化し、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴えることが難しくなってきている。今では、昭和20年8月6日に何が起こったか、知らない子どもたちもいる。
今日、核兵器の廃絶に向けては、核兵器禁止条約の発効など、世界的にその機運は高まっているものの、実現までにはいまだ多くの課題がある。
私たち広島市民は、こうした現実を踏まえ、昭和20年8月6日の惨状と復興への道のりを伝え残し、世界に対して、行政を始め各界各層の多くの人々と共に「絶対悪」である核兵器を廃絶するために積極的に声を上げ、行動し、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に努めることを決意し、この条例を制定する。
(目的)
第1条 この条例は、平和の推進に関し、本市の責務並びに市議会及び市民の役割を明らかにするとともに、本市の施策の基本となる事項を定めることにより、平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進し、もってヒロシマの心である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的とする。
(定義)
第2条 この条例において「平和」とは、世界中の核兵器が廃絶され、かつ、戦争その他の武力紛争がない状態をいう。
(本市の責務)
第3条 本市は、平和の推進に関する施策を策定し、及び実施する責務を有する。
(市議会の役割)
第4条 市議会は、本市の平和の推進に関する施策に関し、その機能を最大限に発揮するとともに、長崎市議会等と連携し、平和の推進に関する活動を行うものとする。
(市民の役割)
第5条 市民は、平和の推進に関する活動を行うよう努めるものとする。
(平和記念日)
第6条 本市は、人類史上最初の原子爆弾が投下された昭和20年8月6日を世界平和樹立への礎として永久に忘れてはならない日とし、原子爆弾による死没者を追悼するとともに世界恒久平和の実現を祈念するため、毎年8月6日を平和記念日とする。
2 本市は、平和記念日に、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民等の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする。
(平和の推進に関する施策)
第7条 本市は、平和の推進に関し、次に掲げる施策を策定し、及び実施するものとする。
(1) 核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を目指し、国内外の都市等との連携を図るための施策
(2) 市民等が、原子爆弾による被爆の実相への理解を深めるとともに、平和について考え、平和の推進に関する活動を主体的に行うよう、平和意識の醸成を図るための施策
(3) 原子爆弾被爆者の体験及び平和への思い(以下この号において「被爆体験」という。)を世界に広め、かつ、これらを次世代に確実に伝え続けるよう、被爆体験の継承及び伝承を図るための施策
(4) 前3号に掲げるもののほか、平和の推進を図るために必要な施策
(年次報告)
第8条 市長は、毎年、平和の推進に関する施策の実施状況を市議会に報告するとともに、これを公表するものとする。
(財政上の措置)
第9条 本市は、平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進するため、必要な財政上の措置を講ずるものとする。
(委任規定)
第10条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。
附 則
1 この条例は、公布の日から施行する。
2 広島市役所事務休停日条例(昭和22年7月31日広島市条例第14号)は、廃止する。
提 案 理 由
平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進し、もってヒロシマの心である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するため、平和の推進に関し、本市の責務並びに市議会及び市民の役割を明らかにするとともに、本市の施策の基本となる事項を定める必要がある。
投稿日 : 2021年6月25日
『議会の閉会にあたって』
6月議会の日程「一般質問」の2日目が終わったのですが。
本日は各会派から4人の議員が登壇され、各々がテーマを絞り込み。
そこにつき、持ち時間は1時間(議員の質問30分・行政側の答弁30分)。
発言、質問の中へ、時に提言を、時に要望を盛り込みながら。
午前に2人、午後から2人、計4人の議員が思いの丈を発信されました。
(↑登壇された議員さんと発言された内容・項目)
おこがましくも、本日の一般質問へ私が耳を傾け、抱いた所感は?
1日を通して、久々に「ノンストレス」の一般質問DAY。
その真意(ノンストレスの意味)を補足させて頂けば。
個々の議員さんは、市民の方々から負託を得ては議会に席を持ち。
基本的に、当然ながら。
自由闊達なる発言、主義主張を「許されている」と表現するよりは…
確固として「認められて」(保障・担保されて)おり。
私が他の議員さんの一般質問へ対して、したり顔の上から目線にて。
「そりゃ違う」なんて“安直”に言う様にはなっておりません。
裏を返せば、他の議員さんの質問や提言に学ぶ事は非常に多く。
(それは先輩議員からも、また後輩議員からも)
ならば、時に訪れる「ストレスフルな一般質問」とは何なのか?
(※あくまで個人的な主観)
それはひとえに「TPOを逸脱した一般質問」に他なりません。
つまりは、Time(時)Place(場所)Occasion(場合)が、そぐわない。
議会(定例会)中の本会議、一般質問時には、市長をはじめ。
市職員幹部がオールキャストで揃い、言わずもがな“全議員”も出席。
貴重な時間を注ぎ、尊い機会を費やしては…
本市を「より良くしよう」と取り組むにあたり、本会議場内での「題材」は?
「枝葉末節」(あくまで用いる表現)なる案件も、それはそれで大事ながら。
そこは各委員会等で、より深く、より専門的に審議すべきであって。
(もしくは平素から、いくらでも行政側と詰められるモノ)
繰り返しとなれ、一般質問の題材は「幹」の部分でなければならない。
と、私が新人の頃。重鎮の先輩議員から重々、教えられました。
でも至極、その通りで。
前述にもあった、あらゆる人々が本会議場へ一堂に会したところ。
「新型コロナ対策、ワクチン接種」の事案を突き詰めるのか?
(多くの人々の健康、命に即座、関連して参ります)
それとも、かたや…
「地元地域の側溝の清掃」の事案を持ち出し、丁々発止やるのか?
(狭い溝の掃除も軽んじてはなりませぬが…)
ふむ。後者たるや。
それって? 今? ここにいる皆様で?って話。
(今一度、議会で問われるは「TPO」であり)
で、意外と。
なかなか気づかない様で、実際。
議員たるや、どなたも。地元の「選出区」(支援者への手前)がありますので。
後者(例示の地元ミゾ掃除)を「一般質問で滔々と続けられたり」。
なんて、決してレアケースではございません。
そこを、支援者、後援会が…
「あの先生がオラが町を取り上げてくれたでぇ♪」との構図も、また不変で。
やれ。どうして。
年々、この辺りの規律が瓦解している事実は否めませんけども。
しかし、本日は。
一人ひとりの暮らしにスポットを当てながら、かつ多くの市民生活に関わって来る…
いわゆる、取り上げられた題材が「幹」の連続で。
4人の議員さんが着実に。市政を前進させた事は間違いありません。
投稿日 : 2021年6月21日
『根幹』
コロナ禍における、市民の方々が遭遇する支援金等の問題。
地域住民の方々からお預かりする地元要望。
その他、多方面にわたり抱えている案件に対応させて頂きながら。
火曜日に6月議会が開会して、瞬く間に週末へ。
そんな土日も連日、朝から議会棟で業務に取り組んでおり。
今日まで遅くなって誠に申し訳なかったのですが、改めて。
きちんとご説明しておかなければなりません。
一昨日の「判決公判」の件となります。
19年の参院選で公職選挙法違反の罪に問われた河井克行氏へ。
懲役3年、追徴金130万円の実刑判決が言い渡されました。
その瞬間(金曜13:30)私共は、6月議会一般質問の最中にあり。
本会議が15時に閉会した後。
私も報道陣の“囲み取材”を受けたのですが。
語った内容の一部しか報じられておらず、それが良し悪しではなく。
今一度、「完全再現」とまでは行きませんけども。
ここに「当時の模様」を文字に起こしては皆様にお届けする次第です。
報道陣:先ほど、東京地裁で判決が言い渡され、その内容は然々(しかじか)ですが、如何お感じですか?
私:まずもって、この度の一件に際し、私は当然ながら第三者ではございませんので、まるで他人事の様に下された量刑に対し、「厳しかった」「軽微で不服である」等々、コメントを述べられる立場にありません。
しかし、事実として求刑の懲役4年に対して実刑で3年と執行猶予すらつかなかったのですから、それだけ司法の場で「厳しい判断が下された」のではないでしょうか。
報道陣:しかも現金を受け取った側の全100人が買収について認定されたのですが、ここについては如何お感じですか?
私:受け取った側にも様々な状況、言い分があったに致しましても、根本部分で公判の途中より河井氏自身が大半について買収意図を認めていらっしゃったので、おおよそ本日の様な認定がなされる可能性は推察され、ことさら「予想外であった」めいた感慨は抱いていないのが正直なところです。
報道陣:石橋さんは先の金銭の授受について「当選祝いと感じた」旨を一貫して主張されておりますが、そことの相関性については如何ですか?
私:私は過去の記者会見の場でも東京地裁に出廷した際も、あらゆる事実関係を知り得る立場ではないので「あの選挙では買収行為が確かに行われた」「否、行われなかった」等について言及、触れた事はございません。
「如何なる状況で金銭を受け取り、その意図を如何に感じたか」を問われ続けて参りましたので、私の当選した翌日からアプローチされ、断り続けながら、最後には『当選おめでとうと』告げられ、こうした形になりましたが、参院選について一言もお願いされず、わずかな時間の出来事であったので『当選祝いとしか感じなかった』そのウソ偽りない事実を、如何なる場でも一貫して口にしている次第です。
「当時、河井氏が如何なる意図を持って私にアプローチしたか」について、ご本人の意思であり私は明言しかねますので。
報道陣:では、この度の実刑判決を受けて、石橋さんは“自らの進退”についても如何お感じですか?
私:勿論、「今回は、あくまで河井氏への判決」などと言い切るつもりなど毛頭ございませんが、事実として、起訴、不起訴、それこそ処分保留すら、現時点では私共には下されておりませんので、本日の実刑判決を伺って「自らの進退についての思い」に変化は生じておりません。
報道陣:全100人が買収認定されても、それでも気持ちに変わりは無いのですか?
私:これまで「任期いっぱい続けます」とも「即座に辞めます」とも言わず、「自らへの司法判断が下された後、判断させて下さい」と申し続けて参りました。ここへ変化はございません。
報道陣:また、河井氏は控訴されたのですが、ここについては如何ですか?
私:先ほどまで議会が続き、この場で「控訴された事実」を知ったので正直、驚いておりますが、それ以上の事は具体的に今すぐ思い浮かびません。申し訳ございません。
報道陣:では、河井氏に対して今、何か申したい事はありますか?
私:他者へ私がどうこう言える立場にはありませんが、多くの市民、県民のみならず、広く国民の方々へ対して、政治への信頼を失墜させた、非常に大きな事件ですので、本日の実刑判決により直ぐには叶わなくとも、きちんと皆様への謝罪と説明は果たして頂きたいと存じます。
私への「囲み取材の模様」は以上となります。
上記に目を通して頂いた後、ご理解を示して下さる方々に。
一方では、より様々な感情を抱かれた方々もいらっしゃるかと。
繰り返しとなりますけども。
自身では未だ、当然ですが謝罪と説明の日々が続いておりますし。
自らの出処進退にしても、このまま先延ばしにしては、曖昧に。
なんて思惑など持ち合わせておりません。
ただ、あの1年前。
昨年の6月に行った大々的な記者会見で、お話をさせて頂いた通り。
私は私で、私へ対しての「石橋は、こうであった」との司法判断を通じて。
ないし、私の話を何十時間と聴いては。
その上、複数人の“関係者からの証言”を照らし合わせ。
あらゆる事実関係を承知していらっしゃる検察を通じて。
世の皆様へ証明しなければならない事実がありますので。
その日まで。
いずれに致しましても、与えて頂いた場所で日々を大事に。大事に。
引き続き、全力を尽くして参るのみで、ございます。
深謝
投稿日 : 2021年6月20日
『ご説明を』