約40日にも及ぶ定例会(予算特別委員会等)が閉会した、からと言い。
翌日より「何か変化が生じるか?」となれば。
議員が一堂に集うか、否か、だけの違いであり、一堂に集わずとも。
本日も朝から一人、通常モードで活動しているのですが、まずは。
自らの動きとして、「会期中には行けなかった場所へ」と。
議会棟へ向かう前、立ち寄るは、平和記念公園内にある、原爆供養塔。
ここに改めて、その背景なり経緯を、簡単におさらいさせて頂きますと。
時を遡るは、2017年の秋。
平和公園で多様なるガイド(ボランティア、通訳、バス等)をされる方々と共に。
「より良い平和公園」を目指すべく、危険個所や改善点、等々を洗い出し。
資料をパワーポイントにまとめては、決算特別委員会を通じて行政側へ報告。
その中の1つに、「原爆供養塔の前に位置する広場の改善」がありました。
まず、こちらの供養塔には、原爆投下によって犠牲になられた方々のご遺骨が。
7万柱以上も納められています。
そして、ガイドの方々が供養塔へ訪れた際は、必ず手を合わされ。
また、平和公園に訪れた多くの観光客も、ここで鎮魂の意を捧げて下さる。
しかし。
供養塔前の広場は、いわゆる「土のグランド状態」で、ひとたび雨が降れば。
足下はドロドロになり、子ども達のシューズや大人達の革靴が汚れてしまう…
こうした現状が何年も続いていました。
ついては、私が改善要望の声を届けた“あの日”より、約3年が経過した頃。
(つまりは昨年の秋ごろ)
担当課の市職員さんが私の控室にいらっしゃり、開口一番。
「ようやく着手の手筈が整い、いよいよ工事に入ります」。
年月が流れようとも「そこを目指し」地道に取り組んで下さっていた職員さんへ。
私が至極「感動と感謝を覚えた」のは、敢えて特筆するまでもございません。
(過去のブログでも触れました通り)
それから、秋が深まり、冬が訪れ、啓蟄を迎えては、桜がほころび始め…
満開になろうかな、今朝ほどの話。
自転車を停め、私の目の前に広がるは、キレイに整備された「供養塔前」。
もう感涙です。
“ガイドの皆様の声”が行政へ届き、ちと時間を要してしまいましたが…
キチンと反映して頂き、コロナ禍であれ、ガイドさん気づいていらっしゃるかな?
また、供養塔と言えば、約40年も供養塔の清掃に通い続けられ。
2017年に亡くなられた佐伯敏子さんに思いを馳せてしまいますけども。
無論、敏子さんも気づいて下さっているかと存じます。
春風も心地よく、平和公園には、そこかしこに。
柔和な人々の表情が芽生えていました。
投稿日 : 2021年3月26日
『春たけなわへ』