一昨日の晩に行われた異業種交流会の場に於いて。
私が短いスピーチを述べたのですが、簡略いたしますと…
次の様な内容の話をした次第で。
「私は十数年前にサンフレ・ユースの寮の壁に貼られた言葉に出会って以来」
「良いのか悪いのか?ある習慣が徹底して身に付きました」
「その言葉とは?」
『足元のゴミ一つ拾えぬほどの人間に何ができるであろうか』
「以来、日課となるジョギングでも途中にゴミを見つければ都度、拾い上げ」
「故に私は走りながら、両手が空き缶やペットボトルで埋まっている事など茶飯事」
「また自転車を漕ぎ、年間を通して“ほぼ毎日”通っている議会棟への道すがら」
「ある大きな橋の車道上へ多くのゴミが高頻度に散乱、投げ捨てられており」
「雨天時など通行する原付バイク等が非常に危険なので、毎朝の様にゴミを拾い」
「議会棟に到着する頃には、自転車カゴがゴミでいっぱいなんです」
「こうした私の行動を変えたであろう“出会った言葉”の話を続けますと」
「受け継がれるネイティブ・アメリカンの言葉に、次の様なモノが」
『地球は親から与えられたものではない』
『祖先からの授かりものでもない』
『子ども達から借りているのだ』
「このネイティブ・アメリカの言葉を耳にされ如何、感じられたでしょうか?」
「来た時よりも美しくと申しますが、私達もいつかは旅立つ時が来る」
「その時には、せめて“より良く”環境を整え、子や孫の世代に返却しましょう」
「この地球を」
めいた話を湿っぽくならず、明るく身振り手振りを交えては話をしたのですが…
今朝も。
前述の「橋の上」には多くのゴミが散乱。
私の自転車のカゴは、相変わらずゴミでいっぱいとなりました。
※朝の「この時」(ゴミ回収)用に、私は携帯のハンドジェルを常に持ち歩いていたりも
無論、通行量の多い道路上への多量のゴミの数々。
「事故」の可能性も多分に孕み、危険なので役所にも警察にも話は通して…
アリながら、いくら清掃を繰り返してものイタチごっこ。
ホント、朝から。ほぼ毎日。ふう。
そんな害された町と気分、その空気を一新してくれるのが、ウソ偽りなく。
これまた毎朝、私が通行の途中に触れ合う…
旧市民球場跡地に設置されている花々であったりも。
「ゴミ、花、自転車」か。
継続して、上記の通り「お前は何が出来るのか?」を問われ、試されている様な。
うむ。拾い続けよう。
投稿日 : 2020年10月30日
『たしか「まちづくり」のテーマが…』