お盆 《前編》

お盆休み?

は、ございませんで、お蔭様で週末から週明けまでも、議員活動は当然。

司会(地域活動の無償なる司会です♪)やナレーションに打合せ、等々。

何だかんだと予定がギッシリ。

ながら、お盆休みの方々も多くいらっしゃるので「周囲」が通常モードにあらず。

割り合い、融通の利く今週のスケジュール。

そこで、本日は午前中からお昼過ぎまで、色々と業務をこなした後。

14時過ぎから、一路、向かうは佐伯区の湯来町。

話は、数週間前に遡ります。

20代の学生や若者から「身近」に感じて頂けるのは、恐縮ながら有り難く。

私などは、過去の4〜5年も、上記の世代から幾度も相談を持ち掛けられました。

勿論、それまで面識も無く、先方が私の連絡先を調べてはコンタクトを試みられ。

「若者で、地域で、こんな事がしたいんです!」

「○○を実現するには、どうすれば良いでしょうか?」

「石橋さんは、どうされていましたか?」等々。

そして今回のケースでは、面識ある大学を卒業したばかりの社会人から…

「あるキッカケでイベントの司会を務めたら、その面白さに魅了され…」

「喋りを勉強したいのですが、どうすれば良いでしょうか?」

とのオファーを頂戴。

余談となりますけども。

私は、「あっ!コレを知りたい!」「教えて頂きたい!」となれば?

「すぐにアポを取って人に会いに行く」人間で。

つい最近であれば、アメリカの大学で興味深い研究をされている教授がいらっしゃり。

とんぼ返りとなれ、真剣に、その人に会って話を伺うべく、渡米を計画。

結局、「コチラ側」(笑)のスケジュールが合わず、計画は構想時に頓挫。

And 先方が会ってくれるか否かも定かではありませんでしたが、私は「会える」と信じて疑わず。

相も変わらず、兎にも角にも、思考を行動化する人生。

して、話は冒頭へ戻り、次世代を担う若者から…

「石橋さん!是非!教えて下さい!」

と乞われては、心の柔かい部分をくすぐられれば?

そこで「スルー」するぅ選択肢などは無く、「おおよ!」と受託。

しかも、「どこでも場所を指定してね」「そこへ出向くから」と返答したところ…

「ならば、お言葉に甘えて佐伯区の湯来町でも宜しいでしょうか?」と、彼は言う(爆)

「高速道路を利用」との条件付でナビに入力しても、我が家から車で所要時間は「1時間20分」。

ちょっとしたピザ屋さんのデリバリーでも遠慮する距離です。

「オイ!若人!お言葉に甘えるにも、ちょっと甘味が過ぎるぞ!」

との“突っ込み”の前段に。

先ずは、「指定した場所」の根拠を訊いてみる事に。すると?

「是非!石橋さんに中山間地域の現状も見て欲しいのです!」と、彼は言う。

補足までに、彼は学生時代に…

「過疎地域へ対して何か自分でも出来ないか?」と思い立ち。

サークル活動で、同地域の「田植え」を手伝ったところ?!

農業や美しい自然、何より温かい地元住民の人情に触れ。

大学を卒業後、市街地から引っ越しては、湯来町に移り住んだ男。

そんな背景を持つ若人から…

「喋りを教えて欲しい」と言われた上に…

「頑張る地域を見て欲しい」とまで言われたらば…

「受託」から、私のリアクション・レベルは「快諾」へUP!

本日、恩着せがましいながら、彼の為に色々と「資料」を用意しては♪

今一度、繰り返すとして。

14時過ぎから、一路、向かうは佐伯区の湯来町です。

また。

午前中に、安佐南区→中区→南区→東区→安佐南区と移動しながら。

お盆の影響により、要所の一般道路が相次ぐ渋滞で車が動かなかった経験を踏まえ。

「南」からの都心ルートではなく、中国自動車道からの「北側」山岳ルートを選択したらば?

映画ハリーポッターを地で行く様な、神秘的で狭あいなる、車の離合すら難しい…

ガードレールも無いのに、ひとたび「横はガケと川」のドキドキ山道が…

5kmも6kmも続いて行く!

お盆に、対向車へ対して…

「お願いですから来ないで下さい!」と、拝むは、祈るはで。

おっと。

前フリが、あまりにも長くなってしまいましたので(笑)

話は、次号へと「つづく」。

投稿日 : 2015年8月13日
 お盆 《前編》

 長崎は、良か事ば、言うとらすばい

自らのプロフィールにも明記してある通り。

私は、長崎で生まれ、広島で育ちました。

中学へ入学する頃までは、盆と正月に必ず里帰りしておりましたが。

まとまった「外泊」との非日常感に、何よりも大好きな祖父母や親戚の存在もあってか。

当時、「おさなごころ」に刻まれて行く長崎の短期滞在が、あまりにも充実していたので…

広島に戻る際は、「まだ帰りたくない!」と、泣いては駄々をこねていた幼少期。

また、夏の全国高校野球選手権大会(甲子園)にて。

現ソフトバンクホークスの監督である工藤公康氏が愛工大名電のエースであり。

ノーヒットノーランを達成した対戦相手が、長崎の代表校で。

その模様を、祖父母の家でテレビ観戦していた思い出もあったりと、懐かしいな。

さて。

先の8月9日、長崎で平和記念式典が行われ、読み上げられた平和宣言には?

「若い世代」へのメッセージも盛り込まれました。

長崎市が、長崎市長が、一人でも多くの方々に。

この平和宣言に触れる事を望まれていたので、全文を掲載させて頂くとします。


『平和宣言』

昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。

大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。

24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。

70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。

しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。

原子爆弾は戦争の中で生まれました。

そして、戦争の中で使われました。

原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。

日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。

長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。

長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。

「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。

そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。

若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。

戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。

長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。

市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。

しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

NPT加盟国の首脳に訴えます。

今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。

国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

改めて、長崎から呼びかけます。

オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。

被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

日本政府に訴えます。

国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。

アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。

未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。

核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。

私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔き続けます。

また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。

70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。

政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。

被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。

日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

2015年(平成27年)8月9日 長崎市長 田上富久

投稿日 : 2015年8月10日
 長崎は、良か事ば、言うとらすばい

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8月8日は「親孝行の日」でもあったのですが、相変わらず暑い1日。

午前中は、スーツを着用して幾つかの行事へ参加させて頂いた後。

午後からは、スポーツ・ウェアに着替え。

積乱雲が発生しては、雲の中からゴロゴロと雷鳴が洩れ聞こえて来る中。

向こうの山々から、こちらの山々までの「頂」(いただき)を自転車で上り詰めては。

各所の砂防ダムを覗くと同時に、近隣住民の方々への聞き取り調査を実施。

“現場”に於いて、実際に見て、訊(き)いて、実感したならば。

やはり、多くを学ばせて頂きます。

様々なエリアを訪れ、何ヶ所を回ったかも定かではありませんが、その中には…

まるで、イタリアはローマの石造「真実の口」を彷彿とさせる砂防ダムも。

あの偽りの心を持った者が、ひとたび顔を模した「口」の部分に手を入れたらば?

「抜けなくなる」と言われる、あの名画「ローマの休日」にも登場した、アレです。

余談はさて置き、炎天下とは、かくも体力を奪われるモノであり。

しかし、そんな時に限って…

「孝行の日」の巡り会わせか、和製「真実の口」の悪戯か?

外国人の落とされた「サイフ」と出会ってしまうモノで。

サイフの中に残された数少ない情報をプロファイリングしては、紆余の曲折もありながら。

※補足までに、厳密には私が他人のサイフを隅から隅まで物色したモノではございません

幸いかな、落とし主と連絡が繋がり、時刻は21時30分。

紙屋町のエディオン本店の前で「受け渡す」事となりました。

自宅から車で出向き、先に到着しては、待ち合わせ場所で待機していると。

暫らくして、目の前の電停から外国人が二人、コチラへ向かって歩いて来る。

私が、事前に伺っていた名前を呼ぶと…

「Yes!Thank you so much!」と、会心の笑顔が二つ♪

と、直後に、先方から流暢なる日本語で…

「つぅまぁらない、物ですがぁ♪」

と、語られ、お礼のケーキまで用意されていたりで。

お礼のケーキ以上に。

「そこで『つまらない物ですが』との言葉を用いられるか!?」

と、「外国人」に先入観や偏見を持っているわけではありませんけども。

率直に、その「奥ゆかしさ」に驚かされた次第であり。

英語と日本語を交えながら、なんだかんだで世間話を交わした後。

夜も深まり、時間も押し迫っているので、私から…

「家は、どちらですか?路面電車で来られたんでしょ?私の車で送りますよ」

と、申し出たらば?

「No problem!」「こぉんなぁ親切を受けぇ、そぉのぉ上にぃ…」

「ノン、ノン、また路面電車でぇ帰りますぅ♪」と。

返す返すも、「適切に選択される日本語」に驚かされるのですが(笑)

外国人が日本の「寂」(さび)を知りて。

その「人情の機微(きび)に触れた」とでも申しましょうか。

コチラも大いなる感動を覚えては、別れ際…

大和撫子ばりの美しい会釈をご披露されては、再度、路面電車で帰って行かれました。

ちなみに、先方の二人は「男性」です♪

そんな、ハートフルな外国人の振る舞いに。

まだ「落とし主」を探していた数時間前に、尽力を頂いた関係者から…

「後に外国料理でもご馳走して貰えるんじゃないの?」

と、典型的な人類の“勘繰り”を頂戴いたしましたけども(笑)

私は、道徳にかなった、いわゆる「善行を積んだ」にあらず。

コレまで、私が国内や海外にて様々な方々から受けた恩恵へ対して。

たまたま今回、「分割払いした」が如く、とぅまぁりは?

コチラからのアクションでなし。

他者より今日まで頂戴して来た善行へのリアクション(返礼)に過ぎず。

おそらく、まだまだ返済額(残金)は残っているであろうと思われ。

さて。

引き続き、所業のデフォルトを起こさぬよう、私などは自己紹介で申している通り…

「趣味は人助け!」「特技は無遅刻!無欠席!」

微力ながら、全力を尽くして参る所存です。

P.S.

以前にも申しましたが、外国人とのコミュニケーション・ツールで、何が最も大事かって?

Duty freeもヨロシク、心からの「スマイル」に他なりません♪

投稿日 : 2015年8月08日
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 まず祈りから

本日、あの原爆が投下されてから、70年を迎え。

私も、朝から平和記念式典へ出席させて頂きました。

こうした平和関連の催しや個々の発信、また報道では?

「原爆(並びに戦争)で犠牲となった多くの御霊(みたま)へ対して」

「謹んで(心より)哀悼の誠を捧げます」との、感情の表現(文言)に。

高頻度で遭遇します。

勿論、私も上記と同様、真率なる哀悼の意を表し、捧げるもので。

そこへ乗じて、分かった風な事は申せませんが、やはり。

亡くなられた方々が、最も悲しまれる事は?

「確かに起こった事実」が、風化しては。

かつ、「確かに存在した自ら」が、後世に忘れ去られてしまう事。

ではないかと。

ゆえ、「先ずは『そこ』から」と、一例を挙げれば。

20数年前に社会へ出てからも。

「平和記念資料館へ定期的に足を運ぶ」などは、継続させて頂き。

(そんな当然を、間違っても誇っているのではありません)

また、先達の「継承・伝承」との意味では、かつてから望んでいた事がありまして。

それが、「自らの娘(小学生)に、自ら学んで貰いたい」との思い。

言い訳ながら、今日まで、なかなかスケジュールが合わなかったのですが。

「今年は何としても!」との念願が、今年は叶い。

親子で「とうろう流し」へ行って参りました。

あの場所へ出向き、多くの外国人とも擦れ違いながら。

また、各所で報道クルーを目にしては、何より沢山の人々と共に。

とうろうへ「平和への想い」を書き綴り、ロウソクを灯し、水面へ浮かべる。

娘が何を感じ取ってくれたか?定かでありませんけども。

帰りの車内、その後部座席の娘から、無言ながら…

心の新たな箇所を「かなり刺激された」感は、伝わって参りまして。

ううむ。感慨も、ひとしお。

親バカとなれ、継続されるべく、定点観測しなければなりません。

さて。

話は本論へ戻り、あの戦争で、他の戦争で、あの原爆で…

尊い命を奪われた方々を、単に「忘れない」だけに留まらず。

末尾に、過去に発せられた、ある国会議員の言葉を一つ。

「世界恒久平和の確立こそ過去の戦争犠牲者に対する」

「唯一最大の“償い”であるのであります」。

それは。

今年で平均年齢「80歳」を越えた、被爆者の方々へ対するモノでもあって。

私共の使命でも。

投稿日 : 2015年8月06日
 まず祈りから

 吉報

誰もが街中で耳タコ状態ですけども、本当に暑い!

本日も、午前中に自転車で議会棟へ向かった後。

正午過ぎに府中町・海田町との際(きわ)まで自転車を走らせ。

用件が済んでは、再度15時前に議会棟へ戻って来たのですが。

何が無いって、国道沿いには「日影」が無い!

「炎天下」大好物の私としても、流石に体力を奪われてしまいました。

「年々、暑くなっているのでは?」

そんな素朴な疑問をもたげながら、一つの涼風が…。

地元新聞の一面に踊るは、「広島カキ 採苗好転」の記事。

遡れば、そして端的に申せば。

カキの「幼生」の確保が“過去2年連続”低調に終わり。

コレまでも、来冬以降のカキ生産量が「激減する」と予測されては。

「全国一の産地である広島で、あのプルルン♪としたカキが採れない!?」

との一大事を回避するべく。

今日まで、関係者をはじめ、各方面の方々が尽力されて参りました。

その一つとして、親貝を吊るしたカキいかだを?

植物プランクトンが豊富な「太田川河口付近」へ異動させたところ。

過去2年では不調であった幼生の付着が、通年の数倍は見られ。

「今季に必要となる大半の稚貝を確保できた」と。

うむ。

話題の舞台は「瀬戸内海」となりますけども、この瀬戸内海の漁獲量は?

最盛期より“半減”しており、漁業従事者が減少している背景もあれ。

何より、瀬戸内海に生息する“魚介類”自体が減少傾向にあり。

稚魚の放流に漁礁の確保。

水質の改善、等々、数々の打開策に取り組まれながら。

例えば「水質」を取り上げてみるとして。

「あまりにも水質が向上して海が綺麗になり過ぎる」と?

コレはコレで、魚介類の生息が難しく。

いずれにせよ。

空から降り注がれた雨は、森林や水田を通過しては河川へ注がれ。

その間に、例えば、窒素やリン、ケイ素などの“栄養塩”を含み…

海へと流入して行くわけで。

森が荒廃すると、それは海のコンディションとも直結しており。

自然界の悠久の営みを鑑みても、どちらか一方でなし。

その循環する全体の行程(生態系)によりバランスが保たれていて。

この度の「カキ存続の懸念」も。

地域(現代人)へ向けて、自然界から発せられる…

「黄色信号」の一つであったのかもしれません。

「あのプルルンが食卓に並び、皆様方のお口へ届き、万事解決」

と、捉えるでなし、地域資源へ対して。

まだまだ着手、整備しなければならない課題は山積している現況。

海や山の幸の恩恵にこうむるが当たり前ではない時代、その入口に立ちながら。

今一度、再出発点は、自然へ対しての“感謝の念”からかと。

一歩一歩ではありますが、一人一人の手の届く範囲から、一つ一つずつ。

余談ですが。

「海のミルク」とも言われるカキと言えば、ミルキー鉄男!

余分なイメージを流布してはいけませんので、明言は控えますけども。

過去には、幾つものキャラクターの「声」を担当したモノです♪

投稿日 : 2015年8月03日
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