いつも長々と書いているので、ちょっとワン・クッション入れて。
今日は午前中、地域のスポーツ少年団、サッカーチームの初蹴りに顔を出して来ました♪
子供達に父兄も混ざり、みんなでボールを追いかけては。
そこかしこに、笑い声が響き、笑顔が溢れ。
またグランド横では、奥様達がお昼へ向けてトン汁の準備♪
誰かれに限らず、子供や若者は明るい次代を担って行く“宝”です。
スポーツを通じ、勝って、負けて、喜びや悔しさを知り。
協調性に努力を覚え。
身体を鍛えては、思いやりや優しさまで培い。
いつの日か大人になっては、幸せに暮らして欲しい。
ハツラツとした子供達に触れ合うにつけ、そう切に願うばかりです。
そして午後からは、幾つかの新年互礼会に参加。
医師会の互礼会では、お医者さんと「地域が抱える医療問題」をはじめ。
深く熱い“対話”を持つ事が出来ました。
こうした「現場の声」や、その道のプロフェッショナルが掲げるビジョンを伺うだけでも…
非常に参考に、また勉強になれば自らの血肉へと化して行きます。
手を抜こうと思えば、いくらでも手を抜ける議員活動。
逆に、際限なく勉強しては経験を積み。
突き詰めれば、無限大に成長して行ける議員活動。
当然ながら、私は「議員に成る」が目標で立候補した訳ではありません。
ゆえ、そこに胡坐(あぐら)をかいては。
「この位置を如何に守るか?」なんて微塵も考えていなければ。
これは、そのポストに就いていらっしゃる方々へ向けて失礼な表現となりますけども。
議会や会派の幹事長だの議長だ副議長など。
この先も、一切の憧れも無ければ興味も無い。
「石橋竜史」と言う名で送られる人生は1度きり。
でっかく生きようぜ!
補足までに、間違っても上記の要職が「小さい」と申しているのではありません。
二元代表制に於いて。
公平公正に人々の為、自治体を運営、ランニングさせるのに大事なポストですから。
しかし、ポストや役職に肩書、ましてや出身大学などで人間など測れるはずもなく。
私など、高卒だし(笑)
人の「器」など、普通の人が普通に見れば、直ぐに見透かされるモノであり。
見栄を張るでなく、虚勢を張るでなく、増長するでもなく。
裸にて、そのまんまで生きるべし!ってね♪
ちなみに明日も早いので…
先ずは未来へ向かって、音速で寝るとします。
投稿日 : 2012年1月07日
『 あるがままに そのままに』
広島を、より良くして行きたい!
この一心で、いつも長々とブログを書き連ねておりますが、これまでの続きとなります。
旧市民球場跡地の活用法として「広場・公園」は最適か?否か?云々を言及する前に。
この場所が「どうなって欲しい」と皆様は考えているのか?
また能動的に「こうして欲しい」との要望が無くとも、街の機能として「どうあれば良いのか?」を列挙してみると。
今後、定められるであろう「旧市民球場跡地の活用策」によって…
市の中心部に活気が生まれれば良いでしょう。
雇用までも生まれれば良いでしょう。
市や県に及ぶまで、経済波及効果が生じてくれれば良いでしょう。(経済波及効果ほど曖昧模糊な目算はありませんが)
赤字が続くアストラムラインの経営改善に少しでも繋がってくれれば良いでしょう。
集客効果により、シャレオに新たな人々の流れが生まれ地下街が復活を遂げてくれれば良いでしょう。
周辺の百貨店や商店街、またホテルをはじめとした宿泊施設にまで“お客様”が増えてくれれば幸いでしょう。
ビジネス・チャンスなり、もしくは観光資源が生まれ、県外や海外から広島へ訪れて下さる方々が増えてくれれば良いでしょう。
如何なる形であれ、広島の“新名所”となり、対外的にも広島のPR活動に一役買ってくれれば良いでしょう。
出来れば、広島のブランド・イメージを高めてくれても良いでしょう。
市民が憩い、リフレッシュ出来る場所となったり。
そこを通じて市民が交流を深め、新たなる「連携・連帯」が生まれたり。
市民が喜べる、市民が楽しめる、市民が感動も出来る。
市民の皆様が「誇りを持てる」場所と成ってくれれば、この上なく良いでしょう。
この場所の効果で、Iターン者やUターン者が増え、広島市の人口増に寄与してくれれば幸いでしょう。
この場所の隣りには、世界遺産の原爆ドームがあり、後世に継承して行かなければならない平和記念公園がある。
しかし、戦争を知らない世代が大半を占める今後の世の中で、上記の場所を訪れる人々が増加するのか?
否、停滞傾向、減少をも止められるのか?(昨年の東日本大震災の影響により西日本を訪れる人々が増えたとの一過性な傾向は除き)
ならば、旧市民球場跡地に“誕生したモノ”へ向け訪れて来た人々が、隣接する平和記念公園へも足を延ばしてくれれば、また逆も然りで。
相乗効果が生まれてくれれば良いでしょう。
列挙すればキリはありませんが、「都市公園法」の縛りはあれ、その縛りの中で「抜け道を探さん!」とばかり。
ある種のアミューズメント施設を併設させてショッピングセンターめいた形態を用いている他都市など普通に存在します。
とどのつまり、望めば果てしなく要望が出てくる中、その全てを網羅する事は不可能でしょうが、しかし「最大公約数」を目指す道もあれば。
(そう考えれば、同場所でプロ野球の興行など無数の条件をクリア、満たしている素晴らしい空間でした)
また、最小だろうが、従来の常識には囚われず、ある方面に特化する道もある。
無論、何を目指すにも「アレか?」それとも「コレか?」の二者択一でなく。
複数案の「融合」だって取り組み次第で充分に可能です。
こうした「活用法」一つで、可能性は無限大!
いくらでも広島が「より魅力の溢れる街」となれる絶好の好機が到来している!
同様の中枢都市、札幌や福岡と比べ、唯一、若者が減少(流出)している広島市にあり。
そこに歯止めを掛ければ、逆に増やせる可能性だって十二分にある!(当然、若者に限定する必要もなく老若男女を問わず)
そこで、否定や肯定を抜きにしても、ココで問うてみるに…
「公園・広場を持って来るのですか?」「それで本当に良いのですか?」「何を生み出すのでしょうか?」との話。
乱暴な表現ながら、敢えて「現実」を用いてみれば。
企業誘致や内需拡大が困難を極める中、「ツーリスト・インダストリー」(観光産業)を推し進めて行かんとする広島市にあり。
「広場・公園化しては子供向けの遊具を築き」それで観光客が増えるのか?
それで、目の前のリーガロイヤルホテルに宿泊客の1人でも増えたのならば…
それは公園で遊び過ぎたのでしょう。超レア・ケースです。
話は、まだまだ続きます。
投稿日 : 2012年1月06日
『 広島市中心部の行方 B』
それでは、前号に引き続き「広場・公園」に言及する前に。
本日、新春の恒例行事とも言える、中央公園で行なわれた「消防出初式」に出席して参りました。
我々が、こうして平穏無事に暮らせるのも、消防士・消防団の方々が暑い日も寒い日も。
日々訓練に励み、また街を守って下さっているからに他なりません。
長きに亘り消防に従事された方々の表彰に、初春のお慶びを告げる子供達のアトラクションまで。
嗚呼、素晴らしきかな伝統ある出初式。
この出初式に於いて、地震・火災救助訓練に使用される、高さにして5階建ビルくらいはあるであろう仮設の「矢倉」が…
旧市民球場の跡地から直線にして400m北上した街の中心部、正に都心に“数週間前”から設置されている。
別の場所で“同様の救助訓練”が行なわれる際も矢倉は早くから設置されておりますけども。
注視すべきは、「街の中心部」に、あれだけ巨大な建造物を、都心の、しかも公園の中心に“何週間”も設置しておける。
如何に、街の中心部が(公園を含め)有効に活用されていないか、広島の現状が浮き彫りとなります。
ちなみに1年前まで、旧市民球場跡地は「広場・公園化しては年間を通じてイベントを行い賑わいを生む」とありました。
400m先で出来ていない事を。
旧球場跡地ならば「本当に出来る」と思われますでしょうか?
私は、メディア・イベント業界に“20年間”身を置いており、自らでもイチから、多大な集客あるイベントをプロデュースした事もあります。
企画・立案から始まり、協賛、後援を募り、各方面への届け出に打ち合わせ等々、準備段階から莫大なる時間と労力が必要となり。
大事なる“人員”の確保、配置から、当日(開催期間)の運営、後片付けに至るまで。
ここまで尽くしたとて「採算」なんて簡単に取れるモノではありません。
分かり易い例を挙げれば、2013年4月19日〜5月12日まで開催される“全国菓子博覧会”へ目を向けてみるとしましょう。
市では1億円を出資するなど、トータルで15億円も注いで簡易のパビリオンなども出展する…
のですから、この時代にあり一過性であれ、それ相応の集客は見込めるでしょう。
また、私も同イベントの成功を祈念する市民の一人であり、ココへ来て難癖をつけたい訳ではありません。
「集客が見込め、賑わいを生むイベント」と謳われて来た、菓子博。
ならば、なぜ?
実績があれば大勢の人々が来広する、同時期に開催されるフラワーフェスティバルと日時を「ズラして」開催しないのか?
酷暑や極寒の時期を外しても、完全に双方のイベント開催期間を分離。
地元へ集客&賑わいを「2チャンス」創出する事も可能であろうにも拘らず。(当然、収益をイニシャル・コストに充てる算段であり)
結局のところ、「不定期なイベントに頼る」ほど企画としても脆弱なモノはなく、返す返すも、その殆どが簡単に採算など見込めない。
逆に、それだけ“ウマイ”話であれば、47都道府県が菓子博を誘致しようと、こぞって諸手を上げている事でしょう。
誤解の無きように補足すれば、「採算が取れないとイベントを打ってはいけない」ではありません。
お隣の韓国など、定期的に大イベントを打っては、都度、自国民が催しを謳歌。
公共事業を発生させ国内で活気を生み、外から人々を誘致しては自国の良さにも理解を深めて貰っている。
※こう表現すると古き「55年体制」時を髣髴させ「公共事業=悪しき慣習」と受け取られるかもしれませんが、そんな胆略的な話でなく
「借金をしてまで事業を打つ」が、健全な構造で“次へと”巡って行けば?
それはお金と人々の流通であり、停滞でなくサイクルを生み出す。
話は横道へと逸れましたが、話の肝となった“イベント”にしても、仮定の話として、その道のプロに企画・運営を任せるとしましょう。
しかし、例えばメディア業界等でも、公務員と同様に3年〜5年のスパンで平気に人事異動が頻繁に行なわれ。
「旧市民球場跡地で、私は、こうしてイベントを打ち続けて行きます!」とのモチベーションを内包した人材の維持。
企画の創出、財源の捻出、etc、コレを“未来永劫”ランニングさせて行かなければならず。
この作業、言うまでもなく無く… 大変。
「広場・公園」に関しては、まだまだ次号へと続きます。
投稿日 : 2012年1月05日
『 広島市中心部の行方 A』
前号に引き続き、話は「旧市民球場跡地の活用策」について。
先ずもって、遅かれ早かれ同場所の“更地”が多くの市民の方々の目に触れる事になります。
今を生きる殆どの方々が、あの場所に「球場があった光景」に慣れ親しんでいる。
いわゆる“当たり前”の場所が、広大な広場と化している訳ですから、大よその人々の目には…
その光景が、条件反射として新鮮に映る事でしょう。
「おお!こんなに広いんだ!」「広場も悪くないな♪」と、当然の反応とも言えます。
しかしながら、いつかは必ず「慣れる」のです。120%慣れる!
例えるなら、キッチンに置かれた“大きな冷蔵庫”みたいなモノで。
そこにあったから、また何らかの用があって足を運び、違和感すら覚えて来なかった。
そしてある日、古くなった大型の冷蔵庫を廃棄し、家族の誰もが感じます。
「おお!こんなに広いんだ!」「このスペースも悪くないな♪」
しかし、いつかはキッチンの空きスペースにも普通に慣れて、かつ用が無ければ、そこへ足すら運ばなくなる。
「慣れる」について、ここ最近で言えば「マツダ・スタジアム」など好例。
良いスタジアムです。長い間、空き地で荒地でもあった場所にカープの素敵な新球場が誕生。
誰もが、それは誰もが新鮮でした。
その瑞々しい感覚、感情を…
同球場と「初対面」の人は別として、どれだけの方々が今なお維持し続けられているのか?
※維持できない事を「非」としているのではなく
話は冒頭へ戻りますが、この更地には「夜」に触れ合ってみる事も大事でしょう。
この度の「旧市民球場跡地検討委員会」に於いても、地元地区を代表した複数委員からは。
「地元民は『広場だけはやめてくれ!』との意見では一致しています」との正に“現場の声”を耳にします。
「夜間は暗く危険なる広大な土地が生まれる」
他に「固定資産税の高い場所で経済波及効果の得難い…」
「安易なる憩いの場所だけは勘弁して欲しい」との理由も挙げられておりました。
そう!
同場所の活用法を模索するにあたり、これまでのキーワード、「広場」であり「公園」。
次号は、その辺りに触れて参りたいと思います。
投稿日 : 2012年1月04日
『 広島市中心部の行方 @』
「復興のシンボル」と言われ、半世紀にも亘り広島市民へ夢と希望、歓喜まで届けてくれ。
歴史的な背景を鑑みても、世界に誇れる「文化財」とも呼べる稀有な球場が解体され、更地となりました。
当初より、この場所で菓子博を開催する予定など無く、返す返すも広島市民として「愚かな行為に出たものだ」と。
賛否の声が渦巻く中、私は切に、そう感じます。
この場所の行方を検討、決定するにあたり“向こう1年が鍵を握る”と言っても過言ではありません。
そこで今一度、1957年に遡り。
当時、旧市民球場の建設に現場監督として携わられた人物の「声」に耳を傾けるとします。
「市民球場の仕事は、戦後、初めての大型工事となりました」
「その頃、広島の町は、みなバラックの掘立小屋でお粗末な建物ばかり」
「戦後復興で、ようやく小学校でも2〜3教室の三階建てのコンクリート造りが出来るような程度でした」
「平和大通りも、あんな広い道路を造るよりも『市営住宅を造ったほうがええ』との意見も沢山ありましたよ」
「私も野球が好きなもんですから、総合球場へカープの応援に行き、観客が多ければ石炭箱に乗って人の頭上から観戦したものです」
「広島カープは相変わらず弱いチームでしたが、勝てば市民の機嫌がいい」
「何とかならんもんかと誰もが思っていたのでしょう」
「他球団のグランドや施設と比べれば大きな差異のある事が、カープファンにも伝わっていましたから」
「球場建設の音頭を誰がとったかは分かりませんが、当時の市長や東洋工業さんあたりが『何とかせにゃあ』と話題にして行ったのではないでしょうか」
「広島市民、カープファンの為に頑張るべく、岩国の現場から市民球場の現場に行かされました」
「当初、図面はあったのですが、どこがホームベースで、どこがピッチャープレートなのか分からない」
「それは、どっちを向いてもいいようなつもりで書かれていたのではないかと思います」
「五ヶ月で完成させなさいが至上命令で、皆、生活が苦しい時代であり、一生懸命に働けば直ぐにお金が貰えるという、そんな状況ではありません」
「会社は、金の事は二の次で、とにかく工事を間に合わす事を第一義にしていました」
「金の事は言わない、やる!という気っ風の良さが受けたらしく、第一期工事の契約書はありません」
「当時の広島の経営者の皆さんは、よそ様の出し具合を考えながら出すというのではなく、自分の身の丈に見合った事はしなければならない」
「郷土愛的な考えが強かったのではないかと思います」
「建設中、組み立てようとすると、ある筈の資材が無くなっており、資材泥棒にはくたびれましたよ」
「でも今のように自動車が発達していないので、担いで持って行く範囲はたかが知れていて、自転車で回れる範囲で取り戻す事が出来ました」
「ここは広島城の外堀にあたるところで、地層が特に弱く、一塁側の照明柱の基礎付近はヘドロ状況」
「ヘドロを積んだダンプは電車道を走り、相生橋あたりまで黒い土でベタベタになって、苦情が出るのではないかと心配しましたが杞憂に終わりました」
「市民も私達も、市民球場が早く出来て『カープを勝たせたい!』との思いで一つになっており、苦情も無く、夜中にホウキで掃除をしたものです」
「建設途中、市民球場付近を通過する電車は、ゆっくり走ったりして… 運転手さん、車掌さんの好意が身に沁みて伝わって来ました」
「日本一明るいナイター設備との触れ込みで、見学者が沢山訪れ、見学者の乗って来た自転車の臨時駐輪場を急造」
「敢えて駐輪代を徴収したのですが、樽募金を出された方々ですから、市民も喜んで応じて下さいました」
「安い呑み屋は、川土手にいっぱいありましたね」
「電車道から外壁のカーブを見る市民球場の景色が最も好きでした」
「市民球場は狭いと言われますが、逆に距離が近いから、我が家の中から選手を応援しているような、そんな身近さが何よりですね」
「市民球場建設の時代、都市計画がどうのという事は、市の幹部の方々は考えられていたのでしょうが、一般には別次元だったと思います」
「原爆で多くの人々が亡くなられた事を心の奥底にわきまえて、政治家、財界、市民みんなが希望のシンボルとして市民球場建設に取り組んだ」
「ですから、反対の意見は一つも聞いていませんよ」
如何だったでしょうか?
当時の“時代背景”と申しますか、人々の情熱、人間味、街の情景まで浮かんで来る気が致します。
この現場監督の“生の声”を聴き、被爆建物の調査・研究に取り組まれて来た、ある大学教授が返します。
「調査をして行く内に、被爆建物の設計者が分かったり写真が出て来たり、魅力みたいなものが少しずつ出て来る」
「昔はこうだったんよと説明が出来るようになれば… いわば街が博物館になるんです」
「市民球場は、みんなが魅力に気付かない内に処分してしまうような気がしてなりません」
さて。
いずれにせよ、我々は“広島の復興”で身をもって学んだはずではないでしょうか。
「絶望してはいけない」「英知を結集すれば必ず希望はある」と。
同場所の活用法を策定するにも、コレからです。コレから!
投稿日 : 2012年1月03日
『 ALWAYS 紙屋町の夕日』