あの「8.20豪雨災害」から8年が経過いたしました。
此処に当時を顧みますと。
前夜の轟く豪雨から一転、日が昇ると街は別世界に変容しており。
各所で交通規制が行われてる中、私も自転車で現地へ。
「何ができる」訳でもないのですが、まずは現状を把握しなければ。
全壊、半海の家屋など数限りなく。
家屋の上に、流さて来た別の家屋が乗っかっていたりも。
流木や巨岩がそこかしこに散乱し。
未だ、山肌から流れ出る雨水を利用しては。
ご年配の男性が、ご家族なのか、友人知人だったのでしょうか。
泥まみれになったご遺体を懸命に拭いていらっしゃいました。
また、別の場所では。
毛布にくるまれ横たわるご遺体を前に、若い男性が。
茫然と言葉もなく、ただただ立ち尽くしていらっしゃいました。
現場で何が必要なのか。現地で何が不足してるのか。
都度、ヒアリングを行なっては役所へ届け。
そんな役所も、向こうまとまった期間…
不眠不休となるのは明白だったので。
食事も摂れないだろうと、簡易の非常食ゼリーや。
お風呂も入れないだろうと、大量の体拭き(ウェットペーパー)。
等々の職員用物資をお節介ながら、役所へ届けたモノ。
一定の期間が経過した後は。
友人より3トンのトラックを借り受け、これまた友人と。
数多の土嚢袋を運んだりと、とにかく誰彼に限らず。
みんなが一丸となり復旧に着手した、あの夏。
「人の温情」を星の数ほど受ける経験も致しました。
そして当時、間も無く訪れたのが「9月議会」。
何も広島市のみが「内包する諸問題」ではなかったのですが。
「未曾有の災害」に備えて規定、定められていなかった施策や。
組織としても未整備の部分は非常に多く。
私も一般質問にて登壇しては、行政へ向けて。
かなり辛辣な、手厳しい発言を繰り返した事を覚えています。
その後、本市も市民の方々も幾度かの災害の経験しながら。
行政としても地域としても、現在は。
驚くほど飛躍的に防災力が向上した事実は、特筆するまでもなく。
なんの偶然か、あれから丁度8年後の8月20日。
私共は地域の公民館で、地域包括支援センターも交えながら。
「災害時に要支援者の人々を如何にフォローするのか」
闊達に意見を出し合い、体制を強化する会議を行なっていたりも。
全て一足飛びには進みませんが。
一歩ずつ、コツコツと。
自然災害で尊い命が決して奪われぬよう、引き続き、皆様で。
投稿日 : 2022年8月20日
『8.20』