我が家の書棚に見える、水色のバンダナ。
この下には…
使わぬままの1台の新品DVDプレーヤーが。
通夜から帰って参りました。友人の。
「友人」と表すれば、知り合ってから数年しか経過しておらず。
しかし「知人」と表すれば、あまりにもヨソヨソしく。濃密に。
社会活動を共にする同士だっただけに、間違いなく友人でした。
同世代の、あまりにも若すぎる悲しい死です。
非常に温厚な性格で、常に柔和な表情で接して下さり。
激昂された場面など、過去に一度も見た事の無い人物。
多様なる奉仕活動に於いても。
一瞬、顔を出しては現場を去って行くにあらず。
朝から夕刻まで現場に張り付く、真面目であり、明朗快活であり。
大柄な体格も手伝ってか?
何か壁にぶつかっても「なぁに、大丈夫です!」「行きましょう!」
そんな豪放磊落な一面も持っていらっしゃいました。
そして、忘れもしません。同氏は。
長い間にわたり、ある地域を地盤とするA議員さんのエリアで…
商売をされていたのですが、余談ながら数年前。
私は「地域要望を聞いて欲しい」と市民の方から面会を求められ。
先方様から指定されたのが、前述A議員さんの地元に位置するカフェ。
要望を伺い、コーヒーを飲み、会計時。カフェのマスターより。
「A議員の地元カフェに、よく乗り込んで来たもんよのぉ」
と、面と向かいストレートに告げられた事があります。
地盤を持たず。政党にも属さず。後援会も無ければ。
特定の団体、業界からも何一つの応援を受けていない。
そんなインディペンデンスな私から致しますと、過去10年間。
同様の事例など、枚挙に暇はありませんけども。
誠に罪深くも故人を偲びながら、更に余談を続けたらば。
故に私は、自らの名が明記された「後援会連絡所」めいた看板を。
今日現在も、街中へ頑なに1枚も標示していません。
それは、「明白に景観を損なう」との確固たる矜持と共に。
ある店舗さんが「〇〇議員 後援会連絡所」の看板を掲げていると。
私が「そこで買い物したく」も、先方様に気を遣わせてもイケナイし。
裏を返せば、自らの場合…
「ここは石橋議員の後援者の店だからぁなあ!」と。
当該店舗のマイナス要因を「無ければ無いで済んだモノ」を喚起する。
こうした事例を避けたく、私は看板を出していない。のです。閑話休題。
にも、拘(かか)わらず。
私が選挙時を迎えると、同氏は「いくらでも」と何の逡巡もなく。何より。
微塵の屈託もなく、私のリーフレットを店内に置いて下さり。
しかも、近所の店舗にまで「行きましょうよ!」「紹介しますから♪」と。
(吐露して申し訳なくも、この時点でパソコンの前、涙が止まりません)
私を連れて、一緒に深々と首(こうべ)を垂れて下さるのです。
そもそも。
家族を含め、ほんの数人で選挙をする私にとって。
“その様な経験”が全く無いモノですから、ただただ嬉しくて。
ただただ営業中に申し訳なくて。でも。
自らのお父様にまで、ご紹介して下さって。
「この恩だけは生涯、絶対に忘れない」と誓うにとどまらず。
心に深く、深く、刻み込みました。
そして、数カ月前に同氏の突然の入院を知る。
難病でした。
最先端医療を用いてなお、治療は困難を極め。
幾度も集中治療室へ。
私達、周囲の友人は面会も出来なければ、何も手立てがない。
かくも無力です。
そこで。
みんなで「応援メッセージボードを作って渡そう」と呼び掛け。
さすれば「集中治療室を出たらば…」などの言葉も聞こえるので。
「集中治療室から出すために今、やるんだよ!」と。
私もちょっと、語気を荒らげた事も。
でも、みんなで。みんなで応援しました。
完治を、回復を、社会復帰を心から、みんなで祈りました。
そんな折、無理もないのですが、長引く入院生活により。
旦那さんも「時に弱気になる」一面を、奥様から伺いましたので。
私と同世代との事もあって。
「いつでもオーダーして下さい」「効果は保証できませんけども」
「少しでも気分の転換や高揚の一助になれば」「即座に届けます」と。
DVDプレーヤーと一緒に。
ロッキー4。インビクタス。いまを生きる。等々。
敢えて懐かしめの明快ムービーを用意しては。
出動を心待ちにしていたのですが…。
あんなに大柄だったのに。そんなにも痩せられて。
それは、ご家族の為にも、必死に病気と闘われた証であり。
悔しいな。
ご冥福なり、また祈ってばかりになってしまう。
ほんの。ほんの30秒でも20秒でも構わないので。
励ましにせよ、感謝にせよ、軽いジョークにせよ、今一度。
伝えたかったな。
合掌。
投稿日 : 2021年10月16日
『One more chance』