“プライベートの切り売り”めいた感もあり、伏せておくべき話であろうかとは存じますが。
現在も「多くを学ぶ最中」にありますので、ここに詳細にまでは触れずとも、敢えて記すと致します。
先月の中旬に、一つ屋根の下で共に暮らす父の“ある病”が発覚しまして。
日々の生活サイクルの中へ、家族みんなで新たに「治療」「完治を目指す」との要素が加わりました。
顧みれば、私自身はスポーツを継続している事もあり、今日まで無数の怪我を重ねて参りましたけども。
お陰様で、大病を患ったりと入院、手術の経験は皆無で、それは健在の両親を含め、家族も同様…
ではありました。コレまでは。
しかしながら、前述の通り先月より父の通院が始まり、その後に入院。
そして、今月に入り上旬に手術が行われ、つい先だって、ようやく退院を果たしたのですが。
今後も通院しては、再度の手術(その可能性)や長期にわたる治療は既に決定しておりまして。
いわゆる生活の中へ「完治への道程」が組み込まれる生活が常態化しては「日常」となって参ります。
そこで、遅まきながらも肌身をもって“実感”させて頂くは?
先々月までの「我が家のようなケース」が、この現代社会の中ではマイノリティー(少数派)である…
であろう事実と、突き付けられた現実で。
家族で通院をフォロー、術後・帰宅後のリビングや寝室、浴室のアレンジや「食」への配慮にetc。
何よりもメンタル面での不安、心配、心労は、かくも表現し難く。
私にせよ、過去10年の議員活動でも高頻度に医療や介護に関する現況を目や耳にしては。
重ねて、微力ながら環境の改善・進展等へ取り組んで参りましたけども。
繰り返しとなれ、実際に我が家、我が身が遭遇した場合の「そこ」までの想像が至っていなかった事を。
この度、否応も無く痛切させられた次第です。
無論、各所でも現在進行形にて存在する医療や介護の「問題」とまで言わずとも「事象」について…
「他人事」(ひとごと)と捉えていた訳ではございませんが、実際に「自分事」としての経験値は無く。
比較するなど誠に失礼となれ、病状一つにしても我が家よりも大変なご家庭など世に数多。
「経験に未経験であろうとも想像力と感受性をフル稼働させて事に当たらなければ」
との実感を改めて覚えたるは、現段階で“怪我の功名”とまで言えずとも、大きな学びでありました。
言わずもがな、世は「常に万全」で臨める事の方が少なく。
誰もが何かを抱えながら、もがきながら、それでも前を見据えて今日を、日々を。
うむ。慈しみ。
投稿日 : 2020年8月16日
『慈愛の時合』