20年以上に亘り、県政の発展に貢献されては。
副議長も務められた「石橋良三氏」が、22日。
71歳の若さで亡くなられました。
振り返れば、約8年前。
私が安佐南区から市議選へ初挑戦するにあたり、新人候補者は?
地元区から選出されている「現職」(先輩)議員のもとへ。
(市議や県議に国会議員とのカテゴリーを問わず)
「立候補の挨拶に伺う」が、古くからの慣習にもなっていて。
しかしながら私は、当時も今も「特定」政党に属しておりませんし。
と、補足までに私は現在、議会内の「会派」に於いて…
「自民党保守クラブ」に所属はしておりますが、やはり議会は「数」。
議会内で自らの思いを進めるも、何かに歯止めをかけるにも。
「過半数」を取らなければならず、周囲との連携は欠かせません。
故に当時「最大会派」であった同会派へ、大仰に言えば「戦略的」に…
お世話になっては、今なお身を置かせて頂いているモノで、繰り返しとなれ。
私は過去も現在も「特定の政党」には属さない、インディペンデントの身。
そんな余談は、さて置き。
私は根っから「慣例」に囚われる性格ではありませんモノで。
先述の「立候補時」にせよ、どなたかへの「事前の挨拶」など…
“微塵”も考えていなかったのですが、何かのご縁により。
良三先生と私の「共通の知人」から…
「安佐南区から立候補するなら良三さんを紹介したい」と告げられ。
良三氏が如何なる人物かも知らぬまま、事務所を訪ねました。
ならば、私が体育会系の「元気印」であった事を気に入って頂き…
お付き合いがスタート。
ながら、選挙時に「応援した」「して頂いた」ですとか。
「何かをお願いに上がった」「プライベートでも飲みに行った」等々。
こうした関係性では無く。
しかし、お蔭様で私の初当選後も。
事ある毎に、様々な区内の会合でお会いすると?
「ホンマ頑張っとるのぉ♪」と、温かい言葉を掛けて頂くなど。
都度、お褒めの言葉を頂戴していた次第で。
また私も、表現は失礼ながら、生来。
「戦略家」タイプの人物よりも、「スパっ」っと竹を割った様な。
そんな豪快で直球勝負の人物とウマが合うモノで。
「教育」に主眼を置かれ、ブルドーザーの様に突き進まれる…
そんな良三先生を、率直に慕っておりました。
その「豪快」なる性格と振る舞いゆえ、これまた失礼な物言いながら。
「毀誉褒貶」の渦巻く人物でもいらっしゃいましたが。
熱狂的なファンを「多く」獲得、支持されていたのは事実。
その証拠に私も過去8年間、あらゆる場面で「名刺交換」をする際に。
先方様より「おお!アナタは良三さんの息子さんか?!」と。
どう少なく見積もっては「数百回」は言われて参りまして。
そんな話を良三先生にすると…
「ガハハハ!そりゃエエわい」「遠くで血が繋がっていると言っておきなさい♪」
と、顔の半分くらいまで口を開けながら、大笑いされていたっけ。
それだけ。
広島の「政治」や地域の「自治」へ、確かに貢献された議員さん。
この度の訃報は、まだ若すぎて何よりも早く、非常に残念でなりません。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿日 : 2019年1月24日
『お悔み』