誰が瀬戸内のジャンヌダルクや!

毎朝

沢山の人々と挨拶を交わします

小学生の登校・防犯パトロールで

何人ものご父兄、先生、そして子供達と

そこから日課のジョギングへ繰り出せば

まるで映画ロッキーのワン・シーン(笑)

周囲からリンゴでも投げられそうな勢いで

地域の人々からお声を掛けて頂いては

会釈を交わし

笑顔を交わす

まだまだ発展途上の私ではありますが

敢えて自らに可能性を見出すならば

幸いかな

小学生から大学生

主婦の方々からお父様方

ご年輩の方々から

改造バイクにまたがっている兄ちゃんまで

直ぐに仲良くなれる

これは地元で

10年以上もマイクを握らせて頂いたお蔭であり

私ごときでありながら

先方が「おっ!石橋さん!」

と認知して下さっているケースが多々あることは

議員云々でなく

社会で活動するにあたり

特性であり個性でもありアドバンテージ

裏を返せば

微力ながら私を通じ

各方面の老若男女の方々を結び

そこを地域と結べる可能もあるわけで

まだまだ小さい旗ではありますが

率先して振って参る所存です

投稿日 : 2012年1月24日
 誰が瀬戸内のジャンヌダルクや!

 結果には必ず原因がある

本日、ある国会議員が催されたパーティーでの話。

そこへは、国会議員をはじめ、各市町村の首長に議長、県議、市議に財界関係者と沢山の方々が列席され。

お祝いの宴は、滞りなく進んで行きました。そして、しばしの歓談へ。

私が先輩議員と軽口を交わしていると、どこからか、「石橋議員…」「サッカースタジアム…」との声が、断片的に聞こえて来ます。

What?と顔を上げ、その方向へ顔を向けたらば、以前、同様の会合で知り合った、経済界の大先輩が…

隣りのテーブルにいらっしゃった松井市長と対峙されては…

「石橋議員を宜しくお願い致します!」「応援してやって下さい!」「ぜひサッカースタジアムの誕生を!」

と、「この機を逃すな」とばかりの陳情と申しますか、直談判の真っ最中!

その経済界の男性とは先述の通り「前会合が初対面」であり、ある程度の地位もあれば、明らかに一財も築かれてるでしょうに。

一生懸命、頭を下げられては、広島市長にお願いをされている。

正直、涙が出るほど嬉しかったのは言うまでもありません。

そこで、いきなり話は飛躍しますが…

旧広島市民球場が誕生した「1957年7月下旬」から、遡る事、6年前の2月。

カープ球団は創設2年目にして早くも経営難に陥り、山口県は下関を拠点とする大洋ホエールズとの合併話まで浮上。

そんな折、当時、カープの本拠地であった観音総合球場に試合の開催日、1台のパトカーが到着。

下車して来た制服警官の手に握られていたのは?

警察本部の有志が、市内各署に「カープ救済」の募金箱を設置しては、市民から寄せられた「支援金」でした。

これを機に、観音球場の入口には2つの樽が並べられる様になり、苦しい経営状態の球団を市民が救う大々的な募金活動がスタート。

まさに、「市民に支えられた球団史」のプロローグとも呼べる、1951年の話。

その後、街の活性化とカープ再生の為に「市の中心部にナイター設備のある球場が欲しい」との投稿が新聞社へ寄せられ始めるなど。

広島市民の中で、徐々に「カープの新球場建設」へ向けた機運が高まります。コレ、1953年頃の話。

1954年になると、現オーナーの祖父にあたる松田恒次氏が「広島にナイター設備のある球場を造ろう」と広く訴えられ。

偶然にも、時を同じくして、当時の浜井市長や池永市議会議長も“同様”の話を持ち出される。

ならばと、同年3月に市議会にて「市営野球場対策委員会」が設置され、初めて、この旨の検討が動き出します。

同年8月には、カープや県に市、官庁に財界まで巻き込んでの「市営市民球場建設促進協議会」へ発展を遂げ。

その2ヶ月後、「市税を使わずして市営のナイター球場を建設する」との結論に至りました。

さすれば、口火を切って同年の12月には、広島電鉄から市へ2千万円が寄付される事に。

審議、検討は定期的に継続され、翌1955年の暮には上記の促進協議会に、国会議員なども名を連ねては委員会が発足。

しかし、ココから当初の建設候補地でもあった「基町」や「検察庁前」が二転三転するなど事態が混迷を極めて参ります。

すると、年明けの1956年には、なかなか前進しない展開に業を煮やした市民が、引っ切り無しに市長へ対して「陳情攻勢」を繰り返し。

同年8月には、広島駅に着いた当時の渡辺市長を市民が待ち伏せては包囲。

市長が徹底的に油を絞られる一幕、後に言われる「市長つるし上げ事件」まで起きました。

悲鳴を上げる市長は、ついに同年の11月、財界代表を招いては懇談会を開き、「球場建設について宜しくお願いします」と協力要請。

いよいよ、広島市は運命の「1957年」へと突入します。

1月14日、広島の財界10社から建設資金となる「1億6千万円の寄付」申し出があり。(そこへ広電からの寄付金もプラスされ)

その2週間後、緊急臨時市議会が開かれ「市民球場の建設」が決定。

2月22日には、早くも現地で起工式が行なわれ、5ヵ月後の7月22日には完工式。

2日後の7月24日、あの警察本部の有志が「カープ救済」の募金を始めてから、約6年の月日が流れた後に…

「この先、75年間は草木も生えない」と言われた広島市の中心部に“希望の明かり”が灯される。

初のナイター、広島対阪神戦が行なわれました。

そして、翌日の報道では大きく、「晴れ姿みせた球場」「ファン、歓声の連続」「文句なしに素晴らしい」の見出しが躍ったのです。

往年の常勝カープで活躍され、後に国民栄誉賞まで受賞された衣笠祥雄氏は口にされます。

「戦後、間もない頃にカープ球団を誕生させ、あの時、あの場所に球場を持って来た」

「広島の街、また市民エネルギーの凄さを痛感した」と。

いつの時代も、ただ行政へ対して…

「金くれ」「知恵くれ」「やってくれ」の「三くれ主義」を主張したところで。

進展はおろか、実現など程遠い。

しかし、今を見据えれば、旧市民球場跡地の「今後の行方」などフラットな状態にあり。

あらゆる可能性をはらんでいる。

極端な例を持ち出すでなく、普通に「2013年の6月」には同場所でサッカースタジアムの建設が始まる可能性は存在します。

私とて、この数ヶ月間、議会内で徹底して話をさせて頂き、お蔭様で…

ベテランの先輩議員、同年代の議員、他会派の議員に及ぶまで飛躍的に賛同者が増えています!

ただし、ふと世間を見渡した際、「ならば誰が、どの程度、欲しがっているのか?」と問われれば。

冒頭の経済人も然り、昔から訴えて下さっている市民の方々は“沢山”いらっしゃるのですが…

「旧市民球場誕生」の歴史、経緯を鑑み、当時のエネルギー、熱量と現在を“比較”してみると?

まだまだ「GOサイン」が出るまで機運が醸成され、環境面が整った域に達していないのが実情。

街の再生にあたり、我々が生きている間、二度と訪れぬかもしれぬ“千載一遇の機会”が目の前に存在するにも拘らず。

20年後、己の歩んで来た道程を振り返りながら、波風も立てず、ひたすら保身に走り。

「平穏無事に悔いなし」と緑茶をすするも人生。

後先も考えずに冒険したが、後の世代に何か「自らの歩んだ足跡」を残し。

「決して自分に対して嘘だけはつかなかった」己を。

苦笑いしながら、自分で褒めてあげ、ねぎらい、臨終を迎えるも、また人生。

How about you?

投稿日 : 2012年1月21日
 結果には必ず原因がある

  Inspired by true events.

行くぞ!気合と!情熱だ!

と、常に猪突猛進では、周囲も自らも疲れてしまうので(笑)

そこは、「緊張と緩和」。

今回は、インフォーマルな話題に触れるとします♪

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」で。

私は、議会内で少しでも分からない事や、何か疑問を抱けば。

What?And Why?とばかり、即座に先輩議員に伺いを立てます。

そこで、時に資料まで持ち寄っては、都度、丁寧に教えて下さる同会派の平野先生から…

「おい♪石橋さん♪コレを読んでみてごらん♪」とオススメを頂き、お借りした本が?

写真の、マイケル・ルイス著 「マネー・ボール」です。

アメリカ・メジャーリーグの実話を基に、ブラッド・ピット主演で映画化された作品の原作ですけども。

こちらの本、最高に、最高に面白い!!!

ストーリーを要約すれば、メジャーリーグでは、球団間の財力に格差が広がり。

潤沢なる資金を擁する金満球団が、優秀選手を引き抜いては好成績を収める傾向が顕著に表れていた…

そんな2000年初頭、リーグ最低クラスの年俸総額ながら、快進撃を続けて行くチーム、オークランド・アスレチックス。

チームを再建した、実在するGM(総支配人)の手腕、黄金時代を築くプロセスを描いた物語。

ただでさえ、小学生の頃からメジャーリーグの大ファンで、現在も家にはグッズが溢れ返っている私にとり。

劇中に、懐かしの名選手の名前が次から次へと登場するので。

それだけでも、ページをめくる度に甘美な時間が流れます♪

ともあれ、ヒューマニズムまで見事に描かれた、ビジネス書としても自己啓発にも一助となる良書です。

インフォーマルついでに、私の同士である「ジョバンニさん」のお店。

中区にある、イタリアの家庭料理を基調とした 「La Viola」(ラ・ヴィオラ)にて、同志と会合。

西区の豊島議員と、安芸区の三宅議員、そして私の親友にもご参加を頂いて。

料理も熱けりゃ、コーラとジンジャーエールの炭酸ファイトで、議論も熱い!

「より良い広島の創出」へ向け!

ブっ通しで4時間弱は語り合いました♪

これまた、刺激を受ければ勉強にもなる、私にとって良友との至福の時。

良書、料理に良友と、良縁に恵まれ。

これからも、喨々(りょうりょう)と頑張って参ります!

投稿日 : 2012年1月20日
  Inspired by true events.

  『変遷』 後編

そこで、私のケースでは?

時に数百、数千人の規模にまで及ぶ「地盤」と言った類を引き継いだわけでなく。

特定の地盤と密接な関係があったわけでも、持っていたわけでもないので。

立候補する際も、誰に気兼ねするでなく、伺いを立てるでなく、「掲げたい」理念を掲げられました。

「目標」として幾つモノ取り組みを掲げた、その中の1つを挙げてみれば…

「サンフレッチェが、このまま(ビッグアーチ)の環境で興行を続ける事は非常に厳しい!」

※12年間も興行の中心部で、クラブ、選手、サポーター、地域に携わって来た私の「個人的」な見解として

「また、ビッグアーチも長年にわたり、維持費を収入でまかなえない状況にあり年間で多大な赤字を出している」

※「費用対効果が良い」、「利益が上がる」と言ったモノは民間に任せれば、民間がそれだけ潤うわけで、それ以外の「赤」が出る事業を「市民サービス」として補完するのも行政であり、全ての事業に対して暗に黒字化は求められません

※しかし、例えば国内で最大のスタジアム「横浜国際総合競技場」(日産スタジアム)は、前・中田宏市長の就任時など、同氏の命により、年間「約8億円」の維持管理費を、ネーミングライツの導入と徹底したコスト・カットで、一切の税金を注いでいませんでした

「双方の問題を解決する為にも、改めて“根本的な構造”を見つめ直して参りましょう!」

「サンフレッチェは市内の中心部へ移転し、より多くの方々に触れ合い易くしては、市の“成長エンジン”の役割を果たし!」

※「市民球場跡地にスタジアムを持って来る」に留まらず、周辺を含めた都心のグランド・デザイン構築と、イニシャル&ランニング・コストの捻出法等が大事であり、この辺りは、引き続き発信させて頂きます!

「ビッグアーチは、新たな活用法(競技場兼“スポーツ・キャンプ地”機能の充実等)で再生への活路を見出す!」

「そこへ乗じて、この厳しい社会情勢にありながら、西風新都の更なる発展へも結びつけて行きましょうよ!」と。

ごく一般的に考えれば、安佐南区から立候補するにあたり、普通は掲げられない政策提言です。

なぜなら、現在、安佐南区は、区を上げて「あさみなみ サンフレッチェ応援プロジェクト」を展開して下さっている。

「サンフレのホームグランドは安佐南区にあり、みんなでサンフレを応援しよう!」

「サンフレを通じて地域間の交流を図り、また地域への愛着と誇りが持てる街づくりを進めよう!」と。

私とすれば、素直に大絶賛であり、非の打ち所など全くございません。

また、ビッグアーチの周辺地域でも「サンフレを応援して地域の活性化へ繋げて行きましょう!」

と熱く取り組んでいる地域住民の方々がいらっしゃる事も重々承知しております。

こうした大前提が並ぶ中、私が、「取り急ぎ、議員になりたい」が目標であれば。

「同区の誇りであり宝であるサンフレッチェを市の中心部へ移行させましょう」など胸に閉まい選挙に挑む事は容易。

「敢えて掲げてしまう」アクションにより…

「オイ!あの候補者、我々の地域内から宝物を持ち去るって言ってるぞ!」と反対の意見が必ず浮上するからです。

ですから、選挙前の限られた時間ではありましたが、私は連日にわたり頻繁にビッグアーチ周辺へ足を運んでは。

周辺地域、一軒一軒を歩き、また幾つもの商業施設を訪ね、ご説明をさせて頂きました。

「安佐南区の財産を、広島市の、広島県の財産にして行きましょう!」

「その代わり、安佐南区も興行によって発生する定期的な大渋滞などは解消されるので、更なる魅力ある場所にして行きましょうよ!」と。

ならば、いかなるご意見が人々から返って来たか?

この手の案件では如何なる場合も満場一致など不可能に近く、賛否の声に関し、敢えて明言は避けますけども。

まずは、上記の目標を明記したリーフレットを区内に配布させて頂き、その後、当選をさせて頂いた。

また、今なお私が実現へ向け、熱く熱く取り組ませて頂いている事を、何よりの「リサーチ結果」に代えさせて頂きます。

いずれにせよ、「地盤」を軽んじるでなく。

しかし、色んな意味で「地盤ばかり」を見つめていても、総合的な発展はありえません。

僭越ながら、何も安佐南区に、また市議会議員に限らず、議員サイドも地盤サイドも、ふと俯瞰しては…

是非とも、皆様で共に、本来「あるべき姿」を追求して行きたい次第。

「地盤」とは呪縛でなく、「サポーター」なのですから。

誰だって、自宅周辺の利便性が高いに越した事はなく。

広島市で申せば、118万人が暮らす中、仮にコンビニが「1件」しかなければ、そりゃ目の前に欲しい。

そこへの分配権を握ったり、口利き役となるのが、旧来の「議員像」でした。

それを、市民の為に、コンビニ営業の為に、改めて「総合的なビジョンで考えよう」と。

当選も落選も顧みず、私など「信念」で一貫して訴えているのみ。

兎にも角にも、大阪の橋下市長ではありませんけども、いつの世も「時代」や「次代」の常で。

遅かれ早かれ、良くも悪くも…

「従来選挙」の枠に囚われない人物が必ず現れては行動して何かを示し、人々へ投げ掛ける。

時代は流れ、変化しています。

今回も長々と書き綴りましたが、なにぶん情熱を燃やしておりますから…

いつも睡眠時間を削って思いの丈を綴り、時に過熱で、その後が、なかなか寝付けなかったり(笑)

末尾に、こうして安佐南区に上等を切りながら手を上げた私をご支持して下さった方々。

そうでなかった方々の為も含め、現在も、そしてコレからも当然!

全体像ばかりでなく、「より良い安佐南区」も目指し、全力で活動させて頂く所存です!

P.S.

「三バン」の内、私はお蔭様で多少なりとも看板を持たせて頂いておりましたけども。

“従来”で言う地盤は無く、カバンは、潤沢なる資金が入る大きな物は持ち合わせておらず…

「倹約」とプリントされた、小さいポーチを持っていたのみ(笑)

改めて、「同志」に感謝!

さあ!コレからです!

Why don't you have a good time! Please don't go away!

投稿日 : 2012年1月19日
  『変遷』 後編

  『変遷』 前編

「前号からの続き」となりますが、議員の選出“その背景”ついて。

衆議院に参議院選挙、各市町村の首長選挙に、県議・市議・町議会議員選挙、etc。

様々な規模の選挙が行なわれますが、一般的に、当選へ向けて必要と言われるのが「三バン」。

つまり、地盤(支持組織、団体、後援会等)、看板(知名度)、カバン(選挙資金)の三要素。

この三要素を満たさなければ当選困難であれば、それは偏った世の中に他ならずとも。

上記の三要素を持ち合わせていれば?

誰もが冒頭のあらゆる選挙において、「当選」へのアドバンテージを握る事は確かです。

ココまでを踏まえながら、今回の話で肝となるは、「当選後の議員と“地盤”との相関関係」。

当選へ向け、幾人もの候補者が並ぶ中、連携しては自らを支持、応援して下さった「地盤」。

当選後は、言わずもがな一人の議員として「地盤」の皆様と良好な関係の“継続”を目指します。

しかも、この「地盤」が、裸一貫、自らで築き上げて来た地盤ならばともかく。

現職の議員さんが引退時、後継者を「選任」しては、門外不出、一子相伝の如く。

「お師匠さんから、お弟子さんへ」と引き継がれる事など往々にしてあり。

尚更、老舗の暖簾(のれん)、師匠から継承された看板に泥を塗るわけには行きません。

ストレートな表現を用いれば、およそ「2人に1人」しか選挙に足を運ばない世の中で。

「必ず選挙へ足を運んで下さる組織票」の存在たるや、かくも偉大なのです。

勿論、組織票、政党票、確固たる後援会等の「地盤」を批判しているわけでなく、例えば諸外国など。

「議員になりたい人物」のみならず、「議員に相応しい人物」を。

たとえ本人に“その気”が無くとも、周囲が徹底して組織を形成してはバックアップ。

当選へと導くケースなど多々あり、特定の地盤が、広く有権者の為に、ひいては地域の為に多大なる貢献を果たすのも事実。

簡単に、何が良い悪いとは申せません。

つづく。

投稿日 : 2012年1月18日
  『変遷』 前編

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