『リーダーシップ』

いよいよ明日から9月議会が開会となります。

そこでは“旧市民球場跡地の活用策”を検討する為に設置される委員会の必要経費が補正予算に盛り込まれ。

順調に行けば、来月には若者や商店街の関係者からなる約20名(予定)の検討委員会が動き出します。

そして、2013年の春までを最終期限(目処)として、これまでの経緯も踏まえながら充分な資料等が用意され。(担当局長談)

忌憚の無い議論、検討が行なわれる。

そこで、私の率直な意見を申すならば。

この度、新たに設けられるであろう委員会にしても、事前に趣意書を交わしては幾つモノ取り決めまで設定。

「ある程度の権限を持った委員会」に成り得るかと言えば、否定はせずとも疑問符は拭えません。

※コンペ等ではないのですから当然で、「委員会・開催」の意義を悲観するではなく!

そうなると、例えば先だっての特別委員会で太田議員が危惧されていた様に…

「5年も6年も良い悪いは別にしても、みんなが必死に議論してきた」

「ある意味、これまで議論は出尽くしているので、経緯を含め、それ相応に整理して委員会に望まないと」

「全く議論の掴みどころがないモノとなる」と。

まさに、その通りであり、私には、今後イタズラに1年半が過ぎて行き。

「委員会で最終決定は導き出されないまでも、ある程度は、この方向なのですね」といった具合。

引き合いに出すも躊躇(ちゅうちょ)しますが“前政権の如く”最終的な責任は市民や委員会に「転嫁」され。

菓子博が終わった後、徐々に徐々に何かが動き出すのではないか?と。

これでは遅いのです。周辺地域の方々など困窮されている。

「球場跡地は○○にします!」が2期目の市長選における口約になるようでは、返す返すも遅い。

常々「私ごとき」であれ、手前ミソながら自らの強味は、ここ最近でも紙屋町周辺の市民や企業の方々と対話して。

実際に「1日でも早く結論を導き出してくれ」との“現場の声”を伺い、その危機感を肌で感じ取っている。

ゆえに、もしも私がトップだと仮定し、リーダーシップを発揮して行動に移すならば。

「まずは“球場跡地の活用法”のみに囚われず、あの一帯を含め、広島市の中心部を如何にプロデュースするか考えよう」

「ならば、同場所は“スポーツで街の活気を生み出す”文化を継承すべく、サッカー・スタジアムで行こう」(あくまで分かり易い例として)

「しかし、使用頻度(利用日数)はJリーグに高校生等のアマチュアを含めても約60日」

「そこで、芝の養生・強化を検討しながら、取り敢えずはオフ・シーズンでのコンサート、イベントの誘致を模索」

「球場の建物部分に青少年センターや中央図書館も取り込んで、日常の交流を確保」

「そう言えば、仙台では球場の前にビーチバレーのコートを造っていたので、それを採用しよう」

「渋谷では屋上にフットサルのコートが…」「ならば百貨店そごうの屋上のスペースが空いていたぞ?協力してもらい実現しよう」

「球場跡地一帯を造成するにあたり、財政状況を考慮すれば、少しでも財政支出を軽減する必要がある」

「ならば、旧広島市民球場の誕生時の如く、民間にも協力してもらいPFI方式で行こう」

「となれば、まずはSPCを立ち上げ、市が発注者となり、SPCが代理人となるスキームを採用」

「30年間のBTO事業の方向で」

「またピッチの部分を災害時の緊急避難場所に指定」

「北側にある使用頻度の低い中央公園を再生させるべく、子供用の遊具なりを設置後、遊歩道で広島城との連携も図り」

「商工会議所ビルは移転する事なく、1階部分を土産物屋に改築して、屋上を展望テラスに」

「ここまでを提示すれば、湯崎知事は“今の感覚”を持ち合わせているので必ずや協力してくれる」(事実、この公算は高い)

「県と手を組み、国からも、またtotoなどの助成もフルに活用しては、市民の皆様にも喜んで頂き観光客も誘致」

「みんなで後世にまで誇れる最高の広島を築くぞ!」

と、最低限は「ここまで」をメイク・アップした後、初めて検討委員会へ投げ掛けます。

「この案は如何ですか?」「この他に、どうしましょう?」と。

広く意見を集め揉んで行くのは出発点としても、顔色ばかり伺っては…

と同時に、地方自治法(都市公園法や平和都市記念建設法を含め)を考慮したリーガル・チェックに予算、スキームの構築にも精通した面々までも集わなければ…

「2度と戻らぬ貴重なる時間」が過ぎて行くだけです。

せめて、向こう半年なり1年以内には、ある程度の行方を決定付け、残りの期間で準備に入り、菓子博後に…

即着工!

こう願いたいもの。

最後に、何のフォローをするでなく、最低でも松井市長は私の7倍は頭が良い(笑)

補足までに、お人柄も♪

期待しましょう!大きなロマンを抱きましょう!

本来なら、街の中心部を「みんなで検討して行く」のですから、明るくワクワクする話です。

これまでが、ドロドロしては暗すぎた。

松井市長は、必ずや希望の光を灯してくれるはずであり、我々議員は“是々非々”で。

「良いモノは良い」、進捗状況が思わしくなければ「一体どうなっているのか?!」と市民の為、広島の未来の為に全力を尽くすのみ!

これは楽しくなって参りました!

投稿日 : 2011年9月14日
 『リーダーシップ』

 暴君の爪痕

旧市民球場の第2期解体工事の模様がマスコミに公開されました。

ここまで球場の“再活用”を継続して訴えて参りましたが、前政権の際に断行された事が、あまりにも多く…

しかしながら“跡地の活用法”は現時点でウソ偽りなく「ゼロ・ベース」にあり。

今後、検討委員会の動向も含め、みんなで「広島市の未来」を描いて参りましょう。

そこで、温故知新となるべく、どれだけ広島市が「財産」なり「好機」を失ったのか顧みるとします。

私は「旧市民球場を再活用するべきだ」と一貫して訴えて参りました。

時に、このスタンスは「復興のシンボルである市民球場を解体するとは何事か?!」ばかりが先行して。

「懐古趣味」であったり「正義感」と、とかく「叙情的」に受け取られてしまいます。

確かに、そういった感情のウェットな部分が行動の根底にある事は否定しませんけども。

しかし、ドライな感情(慈悲すらなく打算的に)の部分でも、絶対に旧市民球場を活用するべきでした。

推測の域であれ、例えばコレが「民間の発想」ならば“120%”旧市民球場を再活用していたのではないでしょうか。

と、その前に、グローバルなバランス感覚を持ち合わせ、かつ将来的なビジョンに郷土愛までも備えた者ならば?

そもそも、カープ本拠地(野球場)を紙屋町から駅横へ移転させるような選択はしない。

無論、当時の事情はあれ「行く行くは新ドーム球場を」等々を掲げては100億以上も持ち出して。

土地開発公社が貨物ヤード跡地を購入した所から、負の連鎖は始まっていたのです。

惜しまれるは「先見の明」と民間の「経営者的な発想」を持ち合わせたリーダー、ブレインの不在。

例えば、アメリカは大リーグにおいて全30球団の内、経営改革に乗り出しては最も成功を遂げ。

常に人気を維持しては好収益を上げている「ボストン・レッドソックス」。

同球団が成功した最大の理由はいたってシンプルで、2002年に「デキるオーナー(トップ)が就任した」。

当時、大リーグのみならず、アメフトにしても「新スタジアム建設をビジネス戦略とする」が“全盛”の時代。

レッドソックスを買収しようと名乗りを挙げた数々のオーナーも…

1912年に完成し、今なお使用される大リーグ「最古のスタジアム」フェンウェイ・パークを解体!

(レフトの外野フェンスが「グリーン・モンスター」と呼ばれ、古き良きアメリカの風合い漂う特徴あるスタジアム)

誰もが新スタジアム建設を謳っていました。

そんな時代に、就任前からジョン・ヘンリー氏(現オーナー)は「古い」「狭い」と言われた同スタジアムに着眼。

「古い」を「ノスタルジックで伝統ある」に。「狭い」を「アレンジして一体感のある球場」へ。

総じて「球団と球場の歴史」を、他の追随を許さない“宝”として「ブランド化」したのです。

言わずもがな、その仕掛け、目算は大当たり。

当然でしょう。周囲には“遊びの要素”などは盛り込まれながら、どこか似たり寄ったりの新球場が乱立する中。

そこを逆行して、歩めば、歩むほどに差別化されて「希代なるボールパーク」が形成されて行く。

もしも、就任された新オーナーが別の人物であったらば、現在のレッドソックスの隆盛は無かったかもしれません。

ちなみに、楽天イーグルスの本拠地でもある仙台のKスタ(宮城球場)は?

1950年に誕生しながら、街の中心部であるロケーションを保つ為、改築工事の経費を抑える為、歴史の継承、etc。

わざわざ行政側で「条例を改正」してまで民間と協力し、昔ながらのスタジアムをシーズン中はゲームで使用。

オフ・シーズンを利用しながら段階的に改築して、今の美しい一体感あるスタジアムを誕生させました。

1枚目の写真、丸枠の奥に見える部分が、昔ながらの球場部分。

2枚目の写真、矢印の白い天井部分は上記と同場所で、古い球場の玄関に「後から増築」した5階建てスペースの部分です。

ここまで来ると、相対的に広島を「卑下」ばかりしておりますが、それは違いまして。

3枚目の写真(クリックで拡大)の様に、この広島市でも…

紙屋町の同場所で、歴史を継承して「市民球場を再生させよう!」とのアイデアは議会からも提出されていた。

無論、市民の半数以上が、新球場が出来るにしても「同場所の紙屋町で」と望んでいたのですから。

しかし、そこを受け入れ、ならば「貨物ヤード跡地を違う手法で…」なんて選択はされず終い。(当時の時代背景もあり、あくまで回顧として)

今なお、熱く熱く阪神ファンや高校球児から愛される甲子園球場が完成したのは「1924年」であり。

広島市民球場が誕生したのは「1957年」ですが…

晩年、注がれる予算を段階的にカットして行けば、それは市民の球場も急速に老朽化します。

結局、復興の中、街の中心部に「夢の器」を生み出したのも。

また、あの手この手を強引に用いて解体したのも、皮肉ながら広島の市民。

宜しいでしょうか?

「商工会議所が移転する」と言われ、その移転予定地だった“歴史ある正面玄関”から球場を破壊し。

結果、商工会議所は、移転を無期限で見合わせる始末。

名指しで責任を取って貰いたい面々など、いくらでも列挙できる。

何度も申す通り、街の将来や活性化をドライな見地から捉えても。

人々の思い出に街の歴史、先人の足跡までも「財産」を簡単に踏みにじっているのです。

心の底から「よくも、こんな愚行を許したもんだな」と感じ。

他都市、他国と比べるまでもなく、悲しいかな財産を活かすも殺すも、また「人材」なり。

決して、過去をほじくり返しては犯人捜しをしているのではありません。

「これから」の為に「これまで」を見る。

兎にも角にも、旧市民球場の跡地活用法に関しては、今後も徹底的に取り上げては取り組んで参ります。

投稿日 : 2011年9月13日
 暴君の爪痕

 chin up

先日、「広島を素晴らしい街にして行こう」と意見交換をしたメンバーの一人。

そのお母様が亡くなられました。何の予兆も無く、急逝だったとのこと。

電話にて、メンバー本人からの突然の一報に私も言葉を失ったのですが。

御通夜が今にも始まらんとする時に、私へ、こう告げて下しました。

「街を何とかしたいと、みんなが暗中模索もがいている中で」

「石橋さんが当選して『街の構築と運営』が行なわれるにあたり」

「その中枢へと入ってくれた」

「これは本当に大きい事で、みんな喜んでいます」

「感謝すると共に、これからも宜しくお願い致します」

「みんなで頑張りましょう」と。

さぞ力を落としていらっしゃるであろう時に、そんな言葉を…

私は再度、言葉を失ってしまいました。

また、これはセルフ・プロデュースでも何でもなく現場のリポートとして。

時に、数千人は集う大規模なイベントで司会をさせて頂く際。

イベントが終了したらば、その時々の状況にもよりますけども。

イベントに駆け付けて下さった方々が「ぜひ写真を一緒に」と。

未だ、私ごときの為、10分〜20分にもわたる列を作って下さる。

そして、「街を変えて下さい!」「頑張って下さい!」「応援しています!」

無数の温かい激励を頂戴します。

元々、周囲から担ぎ出されて歩み始めた話ではありません。

自ら「何とかしてやる!」と立ち上がり、そこへ沢山の方々が賛同、応援して下さった。

今なお、して下さっている。

この希望、期待を「無」に返さない為にも、真っ直ぐに歩み続けて参る所存。

「良いモノは良い!」「悪いモノは悪い!」と。

議員として任期が始まって4ヶ月。

議会内では、真っ当に正義を訴えられる沢山の同志が出来ました。

それこそ、職員の方々とは私服で忌憚の無い意見とアイデアを交わせる間柄も築いたりで。

表向きには「激変」していないまでも、改善、前進している事は確かです!

そんな中、新たな1ページをめくるべく、今週の木曜日からは本会議がスタート。

一歩一歩、着実に、確実に。

上を向いて。

投稿日 : 2011年9月12日
 chin up

 悲観的な見通しなど一刀両断!

現在、9月10日の午前2時50分。

先ほど、帰宅いたしました。

理由は、大きく勢いのある企業のトップとトップを引き合わす為に。

石橋竜史、まるで坂本龍馬のような事を行なっております(笑)

取るに足らない話ではありますけども、私の父は龍馬の大ファン。

そこで、私が生まれた際、「まるで龍馬のように歴史に名を残すよう」名付けられたのが…

「竜史」。

ちなみに名前が「龍史」とならなかったのは、石橋の「橋」は画数が多いので。

石橋龍史だと字面の中心部が「騒がしく感じられたから」だったとか♪

話は脱線しましたが、なぜにココ最近も民間企業のネットワークを急速に広げているかと申しますと。

何か事を成すにも全て“行政まかせ”で「税金をジャブジャブ使えば?!」なんて時代ではありません。

また民間は、行政のように「取り組み」そして「完成」までに、5年や10年を要したりはしない。

それは、常にスピードに効率、採算が求められますから。

「圧巻」とも言えるのは、民間は頭脳とアイデアにビジョン、行動力の伴った「次代を担う人材」の宝庫。

私とて、同じ空間を共有するだけで多大なる勉強をさせて頂いている。

20代は汗をかき。

30代は頭を使い。

40代は活きたお金を使って。

50代は自らの名前を使う。

“積み上げた”こそ、大事も成せたりで。

とにかく、今後は広島でも“色んな試み”が各所で行なわれる事でしょう。

それは…

「広島を何とかしたい!」との熱意と希望に明確なるビジョンを持った面々が、確実に、着実に行動している証拠。

無論、シッカリと強固なる“連携”を取って。

しかも、我々のネットワークは?

広島のみならず「首都」等々にも密接に繋がっている♪

さあさあ、楽しくなって参りました!

と、ウキウキと本日の成果に嬉々としてブログを書き綴りながらも、あと数時間後には起床して…

同じく本日は、私も“毎年恒例”とはなりますが、ツネイシ・グループの司会で福山へ飛んで参ります。

言わずもがな、同社はワールド・クラスに人材とアイデア、何よりも「アクション」の宝庫♪

さあさあ、これまた楽しくなって参りました!

変えます!

この旧態依然とした広島を、みんなで「連携」して変えて行きます!

また変えて行きましょう!みんなで一緒になって!

広島の未来は、明るいぜよ!

投稿日 : 2011年9月10日
 悲観的な見通しなど一刀両断!

 on the border にて

先日は、スポーツ界にメディア関係者等、約10名で忌憚のない意見交換を行ないました。

その後日は、経済界に各方面との会合が続き。

通常時に輪を掛けて「人との対話」に多大なる時間を割いた、この1週間。

今日も明日も密なる対話予定は続いて行きますけども…

これ幸いで、まるで“レーダー”みたいなモノ。

こちらから、「自己」や「自我」を周囲へ発信させて頂き。

そのリアクション、レスポンス、反射角で己の位置を知る。

そこで、社会学の“ある用語”を持ち出すならば…

「marginal man」 (マージナルマン)

意味は、社会や文化、業界といった中で「複数の集団」に属し。

異なる複数の生活環境から同時に影響を受けながら、双方にも完全には属さない者。

いわゆる“境界線”に立つスタンスから「境界人」などと呼ばれます。

移民であったり少数民族等に用いられながらも。

社会心理学として、現代の一般人にも同様の表現が度々引用されたりで。

例えば、私が突然、ヨーロッパへ移住したとすれば。

そこで、疎外感や孤独感に苛まれながら、また順応しよう、同化しよとも努力する。

こういった心の葛藤や行動が、良い方向にも悪い方向にも左右するのですが。

良い方向へ転じれば、独自の価値観や感受性が育まれ。

クリエイティブ(創造)な一面が磨かれたりも。

また、複数の世界に足を突っ込んでいるので“事態”を俯瞰できる。

つまり「その団体(組織)に属さない者のほうが、客観的に、その団体の事を理解し得る」と。

私、現在は議員活動「9」:アナウンス活動「1」の割合で日常を送っておりますが。

このアナウンス活動「1」が非常に重要なる役割を担っています。

と申しますのも“実際に”双方へ属しては活動させて頂いている「複数現場の人間」として。

議会(行政も含め)とアナウンス業界など、沢山の共通点はあれど。

そこで働く人々の思想、着眼点、センスなど、見事なまでに全く違います。

ゆえ、どちらへ顔を出しても幸いかな「どこか客観的な自分」がいて。

他人へ問う前に「おいおい!それ大丈夫かよ?」と先ずは自問自答が出来たりで。

世界のクリエイティブ業界を牽引した海外の“ある人物”は。

常に、こう書かれたメモ用紙を手に活動されていました。

「自分が間違っているかもしれない」。

これは「自らが誤っているかも?」との否定的な、自虐的な観点からのみでなく。

それだけ、世の中には多種多様な人物や思想が存在していては、個々が貴重で尊くもあり…

誰しもが「己ごとき」であると。

さてさて。

混然一帯、「良い味」が生まれるよう、シッカリと混ぜて行きましょう♪

投稿日 : 2011年9月09日
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