広島ビッグアーチで行なわれたフレンドリーマッチ。
試合前、会場入口では、この度の東日本大震災の被災地へ向け。
義援金を募るべく、樽募金が行なわれました。
沢山の方々が会場へ足を運んで下さり。
皆様が、募金にご協力して下さった。
トラメガ(トランジスタ・メガホン:拡声器)を手にご協力を呼び掛けさせて頂きながら。
いけません。
皆様のご厚意に、自然と涙が溢れて来る。
また、この感涙には他の源泉もあり、本当に沢山の方々から…
「頑張ってね」「いつまでも応援しています」「これまで本当に有り難う」
身に余る、温かい言葉の数々を頂戴しては、ねぎらって頂いた。
選手も、みんなが知っている。
だから、ある選手が言って下さいました。
「このままでは…」
「本日のフレンドリーマッチで我々がゴールを決めたら」
「トラメガでゴール・コールをして下さい」
それを受けて、私が。
「不謹慎ではないですか?遠慮しておきますよ」
さすれば、再び言葉を返して下さる。
「誰もが、サッカーの感動を知っています」
「今日の試合だからこそ、選手やサポーターの皆さんが」
「石橋さんのコールを絶対に望んでいますから」
「叫んじゃって下さい♪」
フレンドリーマッチの前半、李選手が見事なシュートを決めて、我らがサンフレ先制!
駆け付けて下さった、サッカーを愛する3千人の皆様の中。
トラメガを通し、叫ばせて頂きました。
Goal!What a professional play! アォッ!!!
拍手の音が美しくこだまする澄んだ空間に、私の声が響き渡ります。
ベンチに座っていた選手もスタンドを振り返る。
私は、サンフレッチェ広島のスタジアムDJとして。
「目の前の1試合が最後になるかも」と常に全力を尽くしてアナウンスをして参りました。
ゆえに、何の後悔もありません。
また、思い出のギッシリと詰まったビッグアーチで。
偶然にも、今一度、叫ぶ機会が訪れた。
選手、サポーター、クラブ、あらゆる皆様から届けられた。
贈り物。
心から感謝、お礼申し上げます。
私は学生時代の頃から、常にクラブの主将に任命されていた。
自らを過大評価するならば、それは資質なのかもしれません。
そして試合中に円陣を組んでは。
いつも主将が声を大にして叫んでいた言葉。
さあ!
“元気”出して行くぞ!
投稿日 : 2011年3月20日
『 私らしいっちゃ、らしい』
テレビの仕事を自ら辞め。
未だ、時に単発となる喋りの仕事は抱えておりますが。
“立ち上がる表明”をしてから今日までの約1ヵ月半。
「顔を合わしては会話して初めて伝わるモノがある」と。
朝から晩まで。
何時間も何時間も。
徒歩で徹底的に地域を歩き回っています。
明るく相対して頂く事がある。
温かい言葉を掛けて頂く事もある。
笑顔で。
驚きで、歓喜で迎えられる事もある。
と同時に。
目すら合わせて頂けない事もある。
冷たい言葉を浴びせられる事もある。
手にしたパンフレットすら受け取って頂けない事も。
時には雨が降る中、傘を差し。
頭上に雪が積もっていた日も。
昨日も。
昼食も摂らず、歩き始めて5時間半が経過した頃。
すっかり日も傾きかけ、冷たい風が吹き抜ける最中。
大きな幹線道路の脇にある歩道を。
一人、歩き続けていた。
1日の疲労はピーク。
でも、誰の目に触れているか分かりません。
一生懸命、一生懸命、胸を張って歩いていると。
対向車線から声がします。
「石橋さん!頑張って下さいね!」
ふと見れば。
以前、一緒に番組を担当していた共演者の車と偶然にもすれ違ったのでした。
ほんの数秒の出来事ながら、私も言葉を返します。
「よお!久し振り!元気?!」
私を発見したとて、私側は100%気付いていないのですから。
無視して通り過ぎる事だって充分に出来る。
そんな中、窓を開けてまで声を掛けてくれる彼女に心から感謝しながら。
こうした状況でも。
先方が「気兼ねなく声を掛けてくれる関係」を無意識の内に築けていた己を自賛。
頂戴した「ほんの一言」の威力たるや偉大であり。
一瞬にして急速受電。
より猛々しく、心身ともにリスタートさせて頂きました。
さて。
今日は、我らがサンフレッチェがビッグアーチで福岡とのフレンドリーマッチ。
キックオフは13時。
また、12時頃を目処に同会場で東北関東大震災・義捐金の為。
募金樽が設置されます。
私も会場で皆様のお越しをお待ちしておりますので。
ご協力の程、宜しくお願い致します。
貴方も私もサポーター。
みんなで紡いで参りましょう。
では、みんなの幸せを願い、1曲お届けします。
Why don't you have a break time.
The song is called 「糸」
Take it away!
投稿日 : 2011年3月19日
『 『滋養』』
マイクを握って20年。
これまで私は“喋り手”として、国内外を通じて様々なジャンルの現場で喋って参りました。
テレビ、ラジオ、サッカー場、イベント、式典、結婚式、etc。
例えばテレビを挙げてみれば。
広島ローカルであっても、県内や隣県も含め、公共の電波に乗せて何百万人へ向けて発信されている。
イベントや結婚式の司会にしても、何十、何百、何千、何万と集まる人々の前で。
年間、何十回と喋って来たのですから…
それは「同じ時間と空間を共有した者同士」として、沢山の方々と今日まで「つながり」を持って来た次第です。
先だって、地域回りをしていると、以前、結婚式の司会をさせて頂いた新郎新婦さんにバッタリ。
正に、縁が縁を呼んだ縁と申しますか、私も嬉しくなって、つい長々と立ち話をしてしまいました。
また前回、「まひろちゃん献血」の話題を当ブログで書き綴らせて頂いたらば。
これまた以前、私が結婚式の司会をさせて頂いては、現在も地域の福祉に尽力されている新婦さんからメールが届き。
添付・写真の催しを教えて頂きました。
3月20日(日)に場所は「竹原市民館」。
献血は10時からで、シンポジウムは13時から。
いつも熱意を持っては「献血の啓発」に取り組まれている、私のよく知るプロダクションのスタッフ。
そして、現場の中心に携わって来られた方々がパネラーとしてご出席されます。
お近くの方は、また少々遠方の方であれ、必ず得られるモノがあると思われますので、是非、お出かけ下さい!
マイクが築いた無数の「輪」。
今なお、広がりを見せています。
投稿日 : 2011年3月18日
『 合縁奇縁』
数年前のこと。
テレビのニュースから流れて来るは、白血病と戦う4才の女の子で、名前を「まひろちゃん」。
血液のガンと戦う為、長きにわたる抗がん剤治療により、まひろちゃんの髪の毛は抜け落ちてしまっていました。
そんな事実を知った“あるカツラ・メーカー”が、その年のクリスマス…
まひろちゃんへ、ウィッグ(カツラ)をプレゼント。
まひろちゃんはウィッグをかぶり、長髪をまとった自分を鏡で何度も見ては、女の子らしくなった自らを周囲に見せるべく、病院中を笑顔で走り回ります。
その一部始終が特集され、ニュース映像から流れて来たのでした。
私は、そのニュースを目にした時点で、既に「献血の普及」を周囲に訴えるべく、テレビ局にも「献血の特集を組んで下さい!」と要望していたので…
冒頭の「まひろちゃんのニュース」を制作して下さったディレクターにも直ぐ様コンタクトを取り、申し伝えました。
「闘病中のまひろちゃんを元気付けられるのであれば何でもするよ」
「いつでも何処へでも出向くので、気軽に声を掛けて欲しい」と。
その後も、担当ディレクターに問い合わせては、継続してまひろちゃんの容態を伺っていました。
「元気になった」「ちょっと体力が低下している」等々。
そして、2年間の闘病生活の末、笑顔の素敵なまひろちゃんは、2009年の7月に天国へ旅立つ事に。
私は数年にわたって彼女の病状、経過を気にしていたので、亡くなった事実を知らされた際は、正直、号泣しました。
それから、約1年後。
この広島には「まひろちゃん献血」と言う運動までもが生まれ、そこへ尽力する学生の模様が再び取材されては報道される事に。
何の巡り合わせなのでしょうか。
そのニュース素材が、丁度、私が生放送の番組に出演している際に、特集として流されたのです。
生前のまひろちゃんがVTRに登場する。
愛娘の死後、何としても同じ悲しみを生み出さない為に奮闘される、まひろちゃんのお父様の姿が映し出される。
そんな「画」(え)を目の当たりにして、生放送中だろうが何だろうが溢れる涙をおさえ切れるわけもなく。
私は生放送中のスタジオで、それはワンワンと泣いてしまいました。
いい歳をした男が人目もはばからずに。
勿論、その模様を、テレビを通して目撃された方々も沢山いらっしゃった事でしょう。
そして、本題はココからです。
そんな私の姿を観て、あるインターネットの掲示板に書き込みをした方がいらっしゃいます。
折角ですので、全文を丸々明記しましょう。
「少し前の話になるんだけど 番組で子供が白血病で亡くなって」
「その子にそっくりの 着ぐるみ人形が 献血のお願いをしてるというVTRあけに」
「石橋なんちゃらとかいう ローカルタレントが号泣してた」
「周りが引くくらい泣いてて見てるこっちもドン引き」。
以上ではありますが、さてと。
私は出来た人間でもなければ聖人君子でもない、そのままの粗削りな人間です。
しかも、こう言った商売を20年間も続けて来たのですから、これまでも誹謗や中傷は星の数ほど受けて参りました。
ですから、この期に及んで「前記の書き込み」に対し、取り分け、目くじらを立てるでもありません。
しかし。しかしです。
冒頭からの背景を「誰も知る由は無い」のですから「この男は何で号泣してるんだ?」との率直な感想を抱かれるのは摂理ながら。
それを公の場に書き込んで、何が浮かばれると言うのでしょうか?
私は、これまた生来のヤンチャ坊主ですから、未だ、怒る時は普通に怒る。
でも、今回の一件は、怒るも何も、漂う空虚感と申しますか、どこか悲しい。
もしも、書き込んだ人物が、私が号泣するシーンをテレビで観る数分前に「宝クジで100万円」でも当たっていれば…
絶対に“同様の書き込み”はしていなかったでしょう。
結局は、あらゆる事象を感受するにしても。
それは受け取る側の「心のコンディション」次第なのです。
こんな話を、何を持って今時分に書き綴っているのか?
それは、今回の書き込みを、最近、知人の指摘で知ったから。
別に“反撃”しているのではありません。
これからの未来へ向け、誰かに対して、同様の書き込み等が「1つでも減ってくれれば」と願い。
例えば、世の中には素敵な「歌」が無数に存在する。
それは、人間の感受性が豊かであり、繊細であるがゆえ。
汝、「寛容」であり、「他人に優しく」あれ。
石橋竜史からのお願いでした。
投稿日 : 2011年3月17日
『 明かすまでもない舞台裏を明かす』
この度の東日本大震災により。
私も後援会活動、政治活動は“ここ数日間”自粛しておりました。
しかしながら、私は生来の「徹底した現場主義」。
なので、この間も地域を取材するべく、徹底して地域を何時間も歩き回っております。
※「挨拶回り」でなく「取材」
実際に目で見て、現場の声を訊いて、分かる事、把握できる事がある。
夢中になって何時間も歩いていたらば、西風新都 I.Cまでやって来て…
道中、数々の発見がありました。
地域の課題に問題点、また前向きな可能性等々。
しかも、汗をビッショリかいて歩いている最中、沿道の店舗より…
「あら!石橋さん!ちょっと寄って休んで行きなさい♪」と温かい言葉を掛けて頂いたり。
改めて。
私が掲げる政策の中に「地域コミュニティの再生」があります。
大震災を引き合いに出して申し訳ないながら、人が生きて行く為に。
「人と人とのつながり」と言うのは本当に重要です!
誰もが助け合える。励まし合える。共存、共生できる。
「おはよう」 「お疲れ様」 「ありがとう」
気軽に挨拶を交わし、コミュニケーションの図れる地域を目指し。
不肖なる私は、今日も取り組める事に全力を注いで参ります。
投稿日 : 2011年3月16日
『 近況』