広島市安佐南区から市政を新たに! みんなでいっしょに変えて行きましょう!
石橋竜史(いしばし りゅうじ)の公式Webサイトです。
今朝の毎日新聞に、かき船移転計画について記事が掲載されており。
リード(見出し)部分は、「進め方に矛盾」。
改めて、原爆ドーム近くの“かき船移転計画”について。
3日の14時、移転先近くの住民と、かき船問題を考える会の方々、約20人が。
市議会議長へ、「計画の再考を求める」陳情書を提出。
その後、15時から18時まで、上記の方々と市の担当課の間で、意見交換が行われ。
私は、陳情書の提出と意見交換会の双方に出席して参りました。
同問題に関しては?
「平和都市」「伝統ある食文化の継承」「地域住民の住環境」「景観」等々。
多様なるファクターが介在いたしますが、裏を返せばコレ程に。
以前から発信している通り、「より良い広島市の未来」を阻害する根源。
「街の旧態依然とした縁故」(オジサマ達が牛耳る社会構造)が…
如実に表出した「分かり易い案件」はありません。
(主演に助演と、相変わらずのキャストが登場して参りますけども)
ならばと、この機会に、先入観も何も“一切合財”捨て去って。
ニュートラルな見地から、今一度、誰もが同問題を冷静に振り返ってみたらば?
「無理」「ゴリ押し」「不自然」めいたモノが、今日までのプロセスで…
随所に登場、遭遇する。
とかく、同移転問題については、「国が占用許可を出した」であったり。
「残された死水域へ民間事業者も止む無く」等々。
「市」は無関与であり、事の結末へ向けて、一般的には…
「市は何の手立てや仲介も出来ない」ように受け取られるかもしれませんが。
極言なれ、「市が懸念や反対」を明確に表明すれば?
120%「前進しない」話です。繰り返しますが、絶対に前進しない。
では、何故?こうも拙速に、地域住民や各団体が猛反対しては。
世間からも「約4万筆」の反対署名が提出される中、現在も着々と前進しているのか?
答えは簡単で、市が「プラマイ・ゼロ」の「我、関せず」のスタンスでなければ。
「反対や慎重」へのマイナスのスタンスでもなく。
明白に「移転に加担(プラス)している」から前進している。
例えば、私が上記の様に「普通にやっている事が破綻しているじゃないですか?」
と、行政に問いただせば、現場の担当課は…
「関与する誰もが法令を順守して、何の瑕疵も無く、今日まで粛々と進めて参りました」
「実際、国と民間事業者の話なんです」
と、反対住民の方々へ対した時と「同様の答弁」を私へ150%される事でしょう。
でも、現場の担当課(者)は、ノー・チョイスです。
上からと住民からとの板挟みで、「そう言うしかない」「言わざるを得ない」立場にある。
そうした態度が、殊更、過去や今回の意見交換会に於いても…
猛烈に反対の意思を表明される住民や団体の方々の感情(炎)に油を注いでいるのですが。
コレより、ニュートラルでなし、完全なる「私見」を展開させて頂くとして。
一発の原子爆弾の投下により。
表現は不穏当なれ、事実として、無数の亡骸が漂着した川(場所)であり。
喉の乾きと、火傷の熱さで、無数の方々が飛び込んだ川(場所)でもある。
だからこそ、そこには「ヒロシマの碑」が、原爆瓦まで用いては。
平和学習の中心に居た「学生」のアクションを礎に建てられています。
碑文にあるは、次の通り。
「天が まっかに 燃えたとき」
「わたしの からだは とかされた」
「ヒロシマの 叫びを ともに」
「世界の人よ」
その数メートル前の石垣が壊され、重機の搬入路が作られては。
事前には、原爆瓦や人骨が出る可能性もあるので…
「川床は網を使用して慎重に掘り起こす」と事業者が口にされながら…
結果、重機の鉄の爪で、何のお構いも無く川床をサライ、掘り続け。
訪れた人々や周辺住民の「憩いの場」でもあった桜の木々。
その「6本」もの桜木が、かき船のエントランスとなるべく、チェーンソーで伐採され。
そもそも、こうした諸々の工事の初日などは?
何の看板すら掲げられず、週末の朝6時半から執り行われる。
昨日、陳情者の一人が…
「コレが国際平和文化都市のやる事ですか!」
と、憤慨されておりましたけども。
憤慨されるにきまってます。
ただでさえ、「まずは説明会を開催して下さい」と住民が「対話」を求めながら。
「忙しいから」と無下に説明会は何ヶ月も先送りされ。
(今なお、未開催)
ある程度、工事が進んだ段階で、初めて住民は…
住居の目の前に、プロパンガスや変圧器まで設置される事を知る。
また、隣接する町内会の役員「8人中7人が移転反対」を明確にされながら。
「町内会長(一人)からは了承を得た」だの。
「住民は移転に関心を示されませんでした」だの言われるのですから。
繰り返しとなれ、憤慨しない方がオカシイでしょう。
まだまだ、いくらでも「報じられない事実」は列挙可能であれ。
如何なる着地点を見出すにせよ、末尾に。
20年以上も前、元安川から発見される瓦を「撤去する」とアナウンスがなされ。
そのリアクションとして、当時の高校一年生が発表した「詩」を記します。
川は見ていた 巨大な光を きのこ雲を
その下で何万人もの人たちが苦しんで
死んでいったことを
川は見ていた 今その川を
「美しく」しようとしている
川を美しくするとともに
川の見てきた苦しみも忘れようとしている
川の苦しみは人の苦しみ
人の苦しみは川の苦しみ
その苦しみを忘れるときに
あらたな苦しみを
人はつくるにちがいない
川を美しくするのはいいが
川の苦しみを 人の苦しみを
忘れてはいけない
以上となりますけども、この広島の高校生の純粋なる豊かな感受性を。
広島市は、失っているのでは?
工事の着工時、変わり果て行く現場を前に。
立ちつくされた年輩のご婦人が。
一人、静かに口にされておりました。
「悲しいね」「ほんとうに悲しい」と。
投稿日 : 2015年6月04日