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石橋竜史(いしばし りゅうじ)の公式Webサイトです。
犯人(ホシ)を追って、九州は長崎へ。
「逃がさんぞ!」
“さすらい刑事・旅情編”をも髣髴させる1枚の写真ではありますが。
長崎を、朝の6時発。
1泊の滞在から、慌しく帰広して参りました。
懐かしいな。
私は、生後半年で広島に移り住みましたので…
「出身は広島」と表現として間違いありませんけども。
厳密に申せば、生まれたのは長崎。
父の仕事の都合で、生活の拠点は広島となりても祖父母は長崎に暮らしていて。
幼少の頃から中学生になるくらいまでは、お盆と正月の年2回。
「必ず」といってもよい程、長崎に帰省していたもの。
列車移動で、長崎は西側の終点でもあり、線路の終わり。
この突端部分に、いつも祖父が立っては。
長旅を終え、長崎に着いたばかりの我々を迎えてくれました。
私曰く、「ただいま!」
幼い私にとり。
当時、列車に揺られ、約5時間も費やして到着する長崎は遠い異国であり。
大好きな祖父母や大勢の親戚にも会えれば。
朝から晩まで自由な時間が流れ、何の制約も無い空間が広がる。
こうした諸条件が、私へ更なる「隔世の感」を与え。
帰広の際は、いつも「帰りたくない」と泣いたっけ。
その祖父が亡くなったのが、私が18歳、高校3年生の時。
「学校を…」と表現するより。
夏の大会前の「野球部」を休んでは駆けつけた長崎。
今回、長崎駅に降り立ったのは“その時”以来となります。
実に22年ぶり?
そして何の因果か、今回、長崎に足を運んだ理由は、祖母の急逝。
天真爛漫、大柄で豪快。
常に大きな声で笑うので、遠くに居ても直ぐに分かる。
私達兄弟は(私には姉がいて)初孫だった事も手伝ってか、溺愛して貰ったのを思い出します。
大好きだったお婆ちゃん。
私は高校卒業後、上京しては、また海外へ。
結婚しても、子供が生まれても、アナウンス業に没頭、邁進する日々。
「まとまった休み」など1度も取れず、妻子を祖母に紹介する事も出来ないまま。
この度を迎えました。
また、通夜には参列する事が出来ましたが、告別式の同日には…
広島での予定が午前中からギッシリ。
山ほどのお礼も、お別れも、そこそこに帰広する事に。
多大なる感謝と、不肖なる己の申し訳なさでいっぱいです。
顧みれば、祖母、母、私と。
異様なまでに「明朗活発」な性格は、確かに脈々と受け継がれており。
やはり「血」であると。
私は私で、今、取り組める事に。
微力ながら、広島が明るく元気になるよう。
全力を尽くして参ります。
湿っぽいのは嫌いだったもんね。
サンキュー! 婆ちゃん♪
投稿日 : 2012年6月19日